NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか(3)“熱狂”はこうして作られた」(2011年2月27日)を見たのだが・・・
新しい資料とは
メディア、とくに新聞とラジオが軍部と政府と連携して、国民の戦争への「熱狂」をどのように作り出していったかを、当事者の証言、研究者のコメントなどにより検証しようというものだ。当事者―軍人・政治家・メデイア関係者100人以上に及ぶ証言テープ(すべてが日本新聞協会のヒアリング?日本新聞博物館所蔵?)を今回新しく発掘し、その資料に基づく成果だという。まず、その資料の性格が、今一つはっきり伝わってこなかった。その存在はいつ明らかになったのか、どういう経緯で残された証言なのか、いつ誰に向かって話した証言なのか、類似の先行証言・資料との関係は、なぜ今になって明らかにされるのか、市民がアクセスできるのか否かなどの疑問が残る。
欲張り過ぎて、散漫に
多くの当事者の肉声テープと研究者のコメント、実写フィルム・アニメなどでつづられていくのだが、全体の印象では、格別新しい事実や展開は見られないまま、少し欲張り過ぎて、散漫に終わったのではないか。特定の当事者の肉声による証言の意味は重いが、断片的すぎて、証言者の名前や身分すらメモできないし、その内容はなおさらである。また、メディア史の研究者のコメントもおそらくは大方端折られたのではないかと思われるほど断片的で、さほど深い内容のものはなく、残念だった。それに、私は、あの進行役、松平アナウンサーの「力のこもった、重々しい」喋りが苦手で、いつも、もっと淡々と話せないものかと思うのだ。ところで、彼は、番組制作にどれほどコミットしているのだろうか。単なる読み手にすぎないのか。
ラジオ、NHKの責任
さて、内容についてだが、焦点を絞ってほしかった。早く言えば、新聞とラジオの両者を50分弱で扱うのは無理だったのではないか。新聞と対比するのでなく、まさにラジオの当事者はNHKなのだから、ラジオについての証言を丹念に拾い、残る当時の番組の録音や当時のNHK関係者の証言をもっと登場させるべきだろう(大原知己氏のみ)。それがNHKの責任というものではないか。この番組では、30分を経過した後半になって、近衛文麿が日本放送協会総裁となって新興メディアのラジオをいかに利用したかに触れ、その演説放送も流していた。さらに、日本放送協会は「ラジオは国家の意志を運ぶ」がスローガンだったナチスをモデルにしたことも明言するが、それに対する評価、反省には一切及ばない。メデイアの基本的な役割として、的確な現状把握、国民への判断材料の提供に言及するが、「メデイアの持っている力を思い知らされる」というに留まるのである。
真相を伝えなかったメディアの責任
前後するが、番組の前半で、新聞に関して、高田元三郎(東京日日新聞)、緒方竹虎(朝日新聞)の言動を通して新聞が大きく方向転換をして軍支持となり、そのキーワードが「発行部数」と「国益」だったことが語られる。いわばこの番組の核心とも思われる「柳条湖事件」が関東軍による謀略であったことを、当時、一部の新聞記者たちは、軍部より知らされていたという石橋恒喜(東京日々新聞)証言などが紹介される(すでに1970年代に、その著書で明らかになっていることではあったが)。また、1932年から33年にかけての満州国独立をめぐって日本が国際連盟脱退までの経緯の中で、新聞各社による「共同宣言」がなされたこと、軍部・メディア・民衆のトライアングルによる強硬論への喝采の中での信濃毎日新聞の桐生悠々の抵抗と敗北などが語られる。しかし、これらの歴史が、遠い昔のメディアの歴史ではなく、まさに現代のメディアが抱える問題と決して無関係ではないはずである。その視点が欠けているのが残念だった。
NHKの姿勢を問う、「熱狂した庶民」への責任転嫁?
全体を通して、敗戦時、朝日新聞社を辞した武野武治(むの・たけじ)氏の話がリードとなり、武野氏の「戦争を始めてはいけない、それには各国が何を考えているのかの現実を知らせ合うことだ」の言葉で結ばれる。そして、最後に、戦争は来る17.7%、来ない65.8%、どちらともいえない、というNHK独特の選択肢による世論調査の結果を流すのだった。
さらに、私は、視聴後、本記事を大半書き終わってから、NHKオンライン上の「番組ガイド」を見て驚いた。一部引用は誤解を招くので、以下全文を引用する。冒頭の「『坂の上の雲』の時代に世界の表舞台に躍り出た日本が、なぜわずかの間に世界の趨勢から脱落し、太平洋戦争への道を進むようになるのか」のくだりには、こんなところでプロデューサー同士のエール交換や「坂の上の雲」第3部の宣伝をしないでほしい、と思った。第一、明治期の二つの戦争を「世界の表舞台に躍り出た」と評価し、「世界の趨勢から脱落し、太平洋戦争への道を進む」という認識は、これまでの近代史研究の積み重ねをまるで無視しているような発言にも思える。そして、後半に至っては、肉声テープには「軍の主張に沿うように合わせていく社内の空気」「紙面やラジオに影響されてナショナリズムに熱狂していく庶民、そして庶民の支持を得ようと自らの言動を縛られていく政府・軍の幹部たちの様子が赤裸々に」語られていた、というのだ。「空気」とは、他人ごとだし、メデイアに携わる者個人の意思がまるでなかったかのようだ。「庶民の支持を得ようと自ら縛られていく政府・軍の幹部」にも驚く。私は、庶民に戦争責任が全くなかったというつもりはないが、「熱狂した庶民の支持を得ようとしていた政府・軍幹部」としか捉えようとしない感性と知性に愕然としたのである。教育・思想・言論・情報統制の中で「軍国主義」に絡め捕られてゆく庶民の歴史に目を向ける姿勢が感じられないのだ。メディア・政府・軍人に限らず、当然のことながら、「証言」の多くは、自らの保身に逃げ、正当化に陥りやすいことは織り込み済みのはずではないのか。ジャーナリストとしての基本をわすれてはいないか不安になってきた。情報の受け手のメデイア・リテラシーが喧伝されるようになったが、送り手にも、情報を選別し、理解する力を身につけてほしい。
衰退する印刷メディア、インターネットの発展、視聴率優先、世論誘導、自主規制、政治介入など、かつての危機と隣り合わせでもある現代メディアへの問題意識が一つでもあれば、こんな番組にはならなかったのではないかと、残念だった。NHK社内の「空気」はどうなっているのだろう。
<番組ガイドより>
「坂の上の雲」の時代に世界の表舞台に躍り出た日本が、なぜわずかの間に世界の趨勢から脱落し、太平洋戦争への道を進むようになるのか。開戦70年の年に問いかける大型シリーズの第3回。
日本が戦争へと突き進む中で、新聞やラジオはどのような役割を果たしたのか。新聞記者やメディア対策にあたった軍幹部が戦後、開戦に至る時代を振り返った大量の肉声テープが残されていた。そこには、世界大恐慌で部数を減らした新聞が満州事変で拡販競争に転じた実態、次第に紙面を軍の主張に沿うように合わせていく社内の空気、紙面やラジオに影響されてナショナリズムに熱狂していく庶民、そして庶民の支持を得ようと自らの言動を縛られていく政府・軍の幹部たちの様子が赤裸々に語られていた。
時には政府や軍以上に対外強硬論に染まり、戦争への道を進む主役の一つとなった日本を覆った“空気”の正体とは何だったのだろうか。日本人はなぜ戦争へと向かったのか、の大きな要素と言われてきたメディアと庶民の知られざる側面を、新たな研究と新資料に基づいて探っていく。
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