東北関東大震災、その時私たちは
閉じ込められた車内で
3月11日の午後、浅草公会堂での東京大空襲展を見た後、地下鉄銀座線で渋谷へ出て、山手線で新宿に向かっている車内のことだった。下から突き上げる衝撃の後、数分間、縦に横に車両ごと大きく揺れ、なにが起きたのか、一瞬わからなかった。窓の外では何本もの架線が波打って上下に揺れているのがわかる。「地震、地震だ」の声に、ようやく我に返る。「ただ今、三陸沖に地震が発生しましたので、停車しています」という車内放送が繰り返される。何度かの余震にも見舞われているうちに、周辺の若い人たちは、ケータイで入手した、地震情報を語り出す。私の隣席の人も、ケータイ画面を見せてくれた。夫も懸命の検索で、ようやく様子がわかってくる。夫が娘にメールをすると職場から「こちらは無事、落ち着いて行動せよ」のメールが届く。停車して30分以上たった、3時20分頃、車内放送で山手線全車両停車している状況で、照明や放送も中止となる旨が流れると、長期戦になるかなと少し不安になる。何となく車内の空気を察知したのか、近くの母親に連れられた男の子がぐずり始めた。「遅れちゃうよー」と泣き始めると、母親は「地震だから仕方ないのよ、先生にきちんといおうね」となだめるが、涙をぽろぽろ流し始めた。
それでも、その頃、私たちは新宿での所用をあきらめて、きょうはもう早めに家に帰ろうなどと、気楽に話していた。ところが、女子係員が来て、今から先頭車両から下車をして、代々木駅まで歩いていただくことになりましたのでしばらくお待ちください、とのこと、もうすでに4時を回っていた。何車両かを歩いて、先頭の乗降口から階段で線路に降ろされた。思いのほか結構な高さである。まさに線路の中を、列をなして歩いていくうちに、ケータイからの地震情報、被害情報を教えてくれる人もいて、だんだんと客観的な状況が見えてきた。夫のケータイの電池があまりなくなったという。着いた代々木駅は人でごった返していた。テレビの大型画面からの地震情報、駅員からの交通情報を得たものの、いっさい鉄道は動いていないらしい。まずは新宿まで歩こうか、手段がなければ、池袋の私の実家まで歩こう、歩けない距離ではないはずと、行列をして手洗いを済ませた。キヨスクで、お茶とおにぎりと思ったが、おにぎり、弁当、菓子パンの類はすでに売り切れていた。仕方なくフルーツケーキとドーナツを購入、浅草で買ったせんべいもある。ともかく新宿南口まで歩く。駅近くの生活用品の店の棚からは、食器類が割れたまま床に落ちていたり、ビルの外壁やガラス破片が舗道に落ちていて、赤いコーンが置かれていたりした。南口駅頭の人群れは尋常ではなかったが、あちこちに駅員か警官か立ってくれているのはありがたかった。ともかく明治通りを行けば池袋東口に出られるはず。尋ねてみると、やはり明治通りが一番わかりやすい、という。新宿南口5時30分出発である。
ひたすら明治通りを歩けば
紀伊国屋書店を向かいに見て、マルイの前あたりの公衆電話だったか、列が少し短い。ともかく家で留守番の犬の件、今晩帰宅できないかもしれないので、ご近所の知人に電話して散歩と食事をお願いした。新宿3丁目の伊勢丹の角がもう明治通りだ。左に折れて、すぐに花園神社があるが、帰宅困難者の人波をしり目に、さすがにきょうの境内はひっそりとしていた。信号待ちの時は、人群れはさらに膨らむ。池袋方面からの人の列もあり、なかなかスムーズには歩けない。そこで、渋滞で、車の列の動きが鈍いことをいいことに、時々車道に出て歩くこともあった。30分も歩いた頃、この辺で夕食をとれるうちにと、セルフサービスの「おふくろの味」風の食堂に入る。休息も兼ねて20分弱、陽はすっかり落ちたが、歩道の人並みはまた増えた感じだ。
途中、明るいロビーがある建物で、「どうぞ、どうぞ、トイレが使えます」との案内をしている人がいる。中では、丸いテーブルを囲んで休んでいる人もいる。看板を見れば日本赤十字社東京都支部とある。あらかじめ池袋の実家の義姉に電話を入れたかったので、公衆電話の有無を尋ねたが、「申し訳ありません、ありません」という。道中の公衆電話はどこも相変わらずの行列。それに、歩道でのもう一つの行列は、バス停である。ここも長蛇の列、ともかくバスは動いているらしいのだ。大久保通りを渡ると、「西早稲田駅」の灯り、こんな駅、あったけとよく見ると「副都心線」とあった。そういえば、開通は最近、まだ乗ったこともなかった。だいぶ歩いたつもりが、まだ新宿区の諏訪町の交差点、さらに、進むと左に大正製薬の看板、そこは神田川、架かる橋は高戸橋というらしい。ああ、ここが「神田川」という感慨もつかの間、高い石組の崖下は「学習院下」、都電荒川線の停留所である。ここは昨年だったか早稲田から都電に乗って通り過ぎたところだ。やがて千歳橋、間もなく雑司ケ谷に入る。池袋も近い。新宿を出て間もなく池袋まで4㎞の表示を見たから、代々木からだと6km近くは歩いただろう。池袋東口到着7時30分、北口へのガードをくぐれば実家へは5分。突然の訪問で申し訳ないが、私は、今晩はお世話になろうと思うのだが、夫は、ホテルがとれればと、東横インなど3軒ほど立ち寄ってみるが満室。
8時前には、実家に到着、熱いお茶をいただき、テレビの前で、ようやく落ち着いたが、その被害の大きさに改めて驚いた。娘をはじめ、何人かに電話を掛けさせてもらった。義姉は、長兄の亡くなった後、小さな店を切り盛りしている。娘たちの訪問や電話に守られながら暮らしている。あれから、この夏で6年が経つ。七回忌はどうしようね、という話になった。暑いさなかなので、きょうだいの家族だけで、簡単にしようかと思うとの義姉の提案に、私も異存はなかった。続く余震のなかではあるが、12時前には、就寝、長い一日が終わった。
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コメント
大変な思いをされたのですね。
でもご無事で何よりでした。地震情報を検索していてこちらに辿り着きました。懐かしいお名前だったのでコメントしています。
今回の地震と津波による協力が義捐金と節電しかないことが情けないです。
若ければ飼い主を失ったペットの世話に現地に行きたいですが・・・きっと年齢で断られてしまいそうです。
これからも是非!ご健筆を心から願います。
投稿: さよ | 2011年3月29日 (火) 12時20分