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2011年5月 7日 (土)

緊急シンポジウム「原発事故とメディア」に出かけました

     緊急シンポジウム「原発事故とメディア」

日時:2011430日(土)午後130分~430

場所:新宿歴史博物館

プログラム

基調講演:「福島第一原発事故に関するメディア報道の検証」

講師:広河隆一(フォトジャーナリスト)

ディスカッション「原発事故とメディア」:

     パネリスト:後藤政志( 元東芝原子炉設計技術者)

           渡辺実(防災・危機管理ジャーナリスト)

           寺尾克彦(福島放送労働組合)

     コーディネーター:砂川浩慶(立教大学准教授)      

主催:メディア総合研究所・開かれたNHKをめざす全国連絡会

             **

左より講演中の広河氏、パネリストの渡辺氏、後藤氏、寺尾氏

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 会場には、40分以上も前に着いたのに、あたりは大変な混雑で、行列ができていた。講堂には椅子だけが並べられていて、100席はあるように思えたが、壁際や通路、入り口付近にも人が一杯になった。

 広河さんは、トレードマークらしい野球帽をかぶったまま、最初に話し始めたのは、312日午後336分の1号機の水素爆発を受けた、夕方からの原子力安全・保安院の会見後、「直ちに住民の健康に影響を与えるものではない」という文言が、NHKのアナウンサーと記者の言葉として語られたことの重大性だった。アナの「危険が高まったという段階ではないですね」の質問に、記者は「(原発事故の状況は)すぐさま、人体に影響を与えるものではない」と、メディアが原発の安全性をオーソライズ、追認する形が出来上がったと、指摘した。また、事故後25年になるチェルノブイリには50回以上通っているということで、原発施設の労働者や周辺住民、研究者など、個人に寄り添った取材が伝わってきた。当然、次に取材に行ったときは亡くなられていたというケースもある。報道管制下の当時のソ連の事故対策と福島の場合を比べていく中で、日本の政府や企業の事故の重大性をチェルノブイリの「10分の1にすぎないからまだ安全」という過小評価をつねにマス・メディアが追認している構造を告発していた。分かりやすくいえば、10分の1ということは、広島の原爆の50個分を意味し、大気中に流れた空間線量のみを問題にしているにすぎないという。ともかく、原発はいったん停止して、考えよう、というのが締めくくりだった。

 後藤さんは、1989年来、10数年間、東芝で原子プラント設計に携わってこられた技術者である。今回の事故では悔しさと怒りで、やむにやまれず警告を発している一人である。津波で非常用のディーゼルが止まったことに端を発する事故であるが、「止める・冷やす・閉じ込める」という原則が、核反応制御の失敗、炉心損傷、圧力容器損傷、格納容器損傷というシビアな事故に成果が上がらず、水素爆発・水蒸気爆発・再臨界を防げなかったという。その原因は、地震・津波がきっかけではあるが、機器のトラブルと人為的ミスが重なり、そもそも自然環境条件の設計ミスとプラントの原子炉の集中立地に問題があった、という。まだ、収束していない福島原発の事故では、炉心の冷却、使用済燃料プールの冷却、格納容器の損傷確認と注水など重要である、ということが分かった。

 寺尾さんは、現在は福島放送の営業部であるが、大震災の取材の応援に駆り出されたアナウンサーでもあった。地元メディアの、被災地・被災者と東京のキー局とのはざまでの苦悩もあったという。福島原発事故報道では、かなりの報道陣が決死の思いで取材にあたっていたかのような印象受けていた。しかし、寺尾さんの話によれば、放送局と社員、放送局と労組の間では、局によりその範囲はまちまちであったが、10キロ範囲には絶対入るな、なかには40キロ範囲に社員は入れるな、という取材制限がかなり厳密に実施されているという。そして「直ちに健康に影響を与えるものではない」という政府広報を繰り返していたメディアの実態をどうとらえるべきか。あえて危険を冒せとは言わないが、危ない取材は、ここでもフリーランスのジャーナリストたちなのだろうか。

 渡辺さんの話は、地震直後日本テレビ局で缶詰めになったこと、原発事故の行方が分からずシナリオが描けない・・・など、だいぶ緩いコメンテーター振りで、会場からのブーイングもあった。

 

 311日、山手線車内で地震に遭遇、帰宅困難者となったこともあって、東京へ出るのが億劫になっている昨今、広河さんや後藤さんの話が聞けてよかったと思っている。ただ、参加者との質疑の時間が取れなかったのは残念だった。同じ佐倉から参加していた友人は、「あれでおしまい?もっと先が聞きたい」との感想を漏らしていた。

 「震災報道とNHKニュース7」の後半をまとめるつもりが、取り急いでの報告と相成った次第である。

 

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