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2011年6月11日 (土)

鎮守の杜が危ない~そこには、やはり、開発の影

 私たちの町内に接して、八社大神という小さな神社がある。ここは、かつての井野・青菅の鎮守の杜で、境内には15~16世紀に在ったとされる井野城の遺構がある。私が引っ越してきた20数年前、この神社周辺の雑木林と幹線道路を挟んで西側に位置していた、かつて馬の水飲み場であったという土塁にかこまれた雑木林があった。双方の緑地とさらに南側の縄文後期の井野長割遺跡をめぐる森林は、多くの住民にとって、かけがえのない癒しの空間であった。八社大神は、50所帯近くの井野本村の方々が長い間大事に守ってきた「井野一番地の鎮守の杜」であり、いまも「辻切り」という伝統行事を守っていることでも有名である。

2003年の発掘調査によれば、拝殿の東側には、なだらかな斜面に囲まれたような、約30m四方の低地があって、ここが城郭跡らしい。その北側にもやや小さめの窪地がある。周辺には坑や溝の跡や鍋や磁器の出土品があり、その跡はただちに埋め戻されたという。というのは、この境内地を含め上記の雑木林と井野長割遺跡は、48ヘクタールの井野東土地区画整理組合事業による開発区域に入っており、組合の代行業務である地元ディベロッパーの山万が、周辺と一体的に開発を進めてきた。この経過については、このブログでも何度か取り上げているので参照していただきたい。

今回の地震直後、八社にお参りに行くと、鳥居の笠木の部分が崩れ落ち、碑が倒れ、付近の田んぼを貫く農道にも液状化のためか陥没箇所があった。この八社の森に面して、50戸近い新しい住宅街が出来上がったばかりだった。そこに住む知人から聞いた話によると、地震の直前だったが、突然地元の工事会社から、この境内の西北のコーナーを伐採し、住宅街に面した北側に「参拝者用」の駐車場12台分を作りたい、近く工事に入るのでよろしく、とあいさつに来たという。びっくりして、図面と地元への説明会を依頼した由、地震のため延び延びになっているとのことだった。この森に面しては6軒のお宅が並ぶ。この鎮守の杜の風景は、変わることがない環境だというのが、これらの住宅購入時の説明で、数か月前に購入したお宅もあるとのことだった。

ともかくいろいろあって、4月下旬に説明会が開かれた。工事の施工主は、先の井野本村の氏子さんたちで作る一般社団法人井野興農社で、工事は当地のディベロッパー山万の子会社K社であった。両者による説明会には、興農社からは社長以下十数名とK社から2名、近隣住民と自治会関係者あわせて30人だったろうか。

なぜいま、八社の森を削って駐車場なのかが、よく分からない。このままでいけば、この境内地を含む「井野東土地区画整理事業」は来年完了し、土地区画整理組合も清算の予定なのだ。区画整理事業の第4工区にあたるこの境内地の隣接地では調整池を拡張、親水公園もでき、公園北側には13階建てのマンションも2年前に完成しているのである。

興農社役員の説明によれば、境内でたき火や賽銭泥棒などが続き、あるいは氏子たちの高齢化が進み、管理がしにくくなったので、この際、整備することになったという。境内地の5分の1にあたる1000㎡ほどの樹木を伐採予定だという。それに、境内には倒木寸前の樹木がたくさんあって、危険でもあるといって、中が空洞になっている短い丸太まで持参し、見せるのであった。

隣接の住民は、鎮守の杜があったからこそ、そのロケーションだからこそ購入したといい、拙宅のように数百メートル離れていても、同じ町内の貴重な緑がまたも削られるのがやりきれない、という思いもある。樹齢百年以上の古木も少なくない。整備の名のもとに伐採され、張り芝や駐車場になってしまうのはいかにも惜しい。緑の景観もさることながら、樹木の保水力が一気に失うのも心配だった。第一、神木をそんなに一度に伐ってしまってよいものなのか。

知り合いの氏子さんの一人は「おらァ、反対したョ」といい、氏子の総会では「役員連中」が強行したと憤懣やるかたない様子であった。多数決と言っても僅差の可決で工事が決まったらしい。氏子ならずとも、何かの「たたり」があるのではないか、心配にもなった。しかし、同じ町内の住民の中には、あの曲がり角は見通しが悪い、夜の暗がりがあぶない、花粉症なので杉は伐って欲しい、という者から、所有者の工事にクレームをつけるのはけしからん、という発言まで飛び出した。

明日からでも工事に入ります、みたいな勢いだったが、ともかく、住宅の売り主であったディベロッパーにも参加してもらう話し合いを持った後、駐車場が2か所に分散する変更が見られ、現地の説明会を持った後は、参道位置の修正により伐るはずの樹木がだいぶ残ることになった。この間、自治会が途中で退いてしまい、隣接住民と有志の支援者で一件落着を見たことになる。まずコーナーの外周に立つ杉の木だけでも20本以上は伐られただろうか。切り口の年輪をみると60~70年のものが多く、枯れていたのは12本?たしかにあたりはすっきり明るくなったが、外周道路から鳥居や狛犬が丸見えとなった。いまだに「なぜ駐車場?」と、釈然としないまま、伐根、切り土工事が進む横を通り過ぎるのだった。

また、説明会では、公益社団法人化する要件作りの一環らしいことにも触れていた。その後、調べてみると、2015年がその期限らしい。また、区画整理事業区域の住居表示変更が66日になされ、境内を含む一帯の第4工区は、「宮ノ台6丁目」となった。また、氏子さんの何人かは、八社大神の「井野一番地」という表示がなくなってしまうのかと嘆いている。町名変更についても、ディベロッパーの意向が強く反映していた実態は、本ブログでも触れた。*

*町名ってこんな風に決まるんだ、「ユーカリが丘」ってどこまで

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/07/post-3f5d.html

 もう、これ以上失う樹木はなくなった。来年、都市計画道路が開通する。近くの個人商店、酒屋、喫茶店、美容院、パン屋さん・・・、この数年でどんどん閉店していった。地震で長らく不通になったモノレール、高齢化著しい私たちの町はいったいどうなるのだろう。

                  1.伐採前の八社大神北側、2011年4月28日

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              2.伐り出された杉 2011年5月13日                           

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                           3.伐採後の八社の森 2011年5月19日

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              4.一部残された木々2011年5月13日

             Gedc1348_2

              

町名変更にかかる佐倉市からの情報は下記をどうぞ ↓

  http://www.city.sakura.lg.jp/011561000_jichijinken/500soudan_etc/nishi_yukari.htm

補記: いよいよ工事が始まりました。

5.駐車場工事、高いところの狛犬と鳥居が丸見えとなった、6月25日

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6.参道整備工事、6月25日

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工事がほぼ完了したようです。2011年10月11日

7.参道左手、宮の杜公園方面を望む

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8.参道から見下ろす住宅街

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コメント

フィンドレィ麻紀様 山万の電話口の方は、かなり不正確な答えをしていますね。責任のある方からは、すでに直近住民への説明があったはずで、ロケーションが変わらないという住宅販売時のセールストークは「言葉のアヤ」という発言もあったそうです。ご覧のとおり、駐車場工事は着々進んでいます。

投稿: 内野 | 2011年7月 3日 (日) 11時53分

昨日山万さんにおききしてみましたところ、その土地を昔から所有している方と自治体でお決めになって、参道を整備しようということになり、駐車場にはならない、とおっしゃっていました・・・山万さんによる整備ではないのでよくわからない、ともおっしゃっていました。ごめんなさい!私の昨日の聞き出しではこのあたりで限界でした。

投稿: フィンドレィ麻紀 | 2011年6月29日 (水) 08時04分

少々 住民への配慮が示されたと思えば良いのでしょうか?

しかし お金では買えない歴史ある森をどうして簡単に潰して
人工物を作るのでしょうね?

宮ノ台は一変してしまいました。

どうも お疲れ様でした。

投稿: グリ猫のママ | 2011年6月19日 (日) 22時48分

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