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2011年7月29日 (金)

放射線量測定会に参加して~佐倉市は、落ち葉や汚泥の早急な除去を

 727日、ある空間放射線量測定会に参加した。私は最終日の、わが家にいちばん近かった会場の、ユーカリが丘公園だけの参加だった。20人以上の市民が集まり、主催者によれば、今日の、この会場が一番の盛況だったという。若いご夫婦や若いお母さんの子連れの参加もあって、やはり不安の一端を反映していた。

 測定器は、私たちが719日に使用した機種と同じもので、富士電機製の<ハンディサーベイメーターNHE20CY3-131BY-S>だった。本ブログ722日の記事にもあるように、測定の仕方が若干異なり、今回は、1m・50cm・1 ㎝の高さにおいて、1個所について10秒ごとに10回計測し、その平均値を算出しようというものだった。

 砂場、芝生広場、すべり台下、四阿のベンチと計り進めていくと、砂地部分は、高さにかかわらず、ほぼ0.20マイクロシーベルト/時間におさまるのだけれど、芝生や樹木に囲まれた四阿付近になると、0.20(マイクロシーベルト/時間)以上を記録し、とくに芝生の地表は、0.30(マイクロシーベルト/時間)を超えた。さらに、やはり心配だった、公園と道路との間の側溝上では、1mで0.3050cmで0.40を超え、地表では1.81という数値が出てしまった。さらに、すぐ横の汚泥の上での数値は、地表で3.22(マイクロシーベルト/時間)という驚異的な数値になってしまったのだ。モノレールの橋げたの下、志津コミセン入口の向かいの道端である。本来ならば駐車場利用の人しか跨がないところだが、多くの人が、近道として公園への出入りに利用しているところである。これが、乾けば、また空間に舞い上がる。雨が降れば雨水の放射線量が高くなるわけだから、一刻も早く、除去して、一か所に集めて管理するのが先決だろう。「ただちに健康への被害がない」とは言っていられない、低線量被ばくの被害を食い止めなければならない。

 あす・あさってのユーカリ祭りの会場でもある、ユーカリが丘南公園、雨も心配だが、あの高い放射線量を知ってしまった後は、雨が降っても止んでも不安なのである。

(付記)お詫び:ブログにアップした当初、南公園とあるべきところ、北公園になっていました。

補記(730日):今朝の毎日新聞・東京新聞によれば、東葛6市松戸・野田・柏・流山・我孫子・鎌ヶ谷でつくる東葛放射線対策協議会は、68日に発足しているが、すでに4回の測定を行っており、72526日に測定結果を発表した。最高が我孫子市の久寺家あけぼの公園の0.64マイクロシーベルト/時間 (地上50cm)であったといい、他の各市の最高値が0.19から0.42(いずれも地上50cm)というから、佐倉市測定の数値と私が参加した測定会の数値と比べてみれば、いわゆるホットスポットと呼ばれている各市の数値と大差はない。むしろ高いくらいである。

 先にも伝えたが、川口市では0.31を超える場所での屋外活動を13時間以内とし(620日発表)、野田市では0.30を超える場所は立入禁止とし(625日)、足立区では、0.25を超えると土壌の取り換え、砂場使用禁止としているのだ(77日)。福島県いわき市では、除染後も0.30を超えた場合は校庭の表土除去の方針を打ち出した(725日)。

  佐倉市は、6月3日に立ち上げた検討委員会で、ひたすら「調整・検討」を続けているのだろうか、さっぱり動きが見えないではないか。

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2011年7月27日 (水)

この夏、航空機騒音、気になりませんか~佐倉市上空は、5分に1機の低空着陸飛行!

  私は、冷房があまり好きではない。居間の窓もよく開け放っておくことが多い。はじめは、そのためかと思っていたのだが、今年は、飛行機の爆音がやたら大きく聞こえるのだ。それに、5分いや3分おきくらいに上空を北から南に飛んでいくのがわかる。熱中症だったのか定かではないが、数日間、昼寝をこまめにしたり、夜早めにやすんだりしていた。ベッドから見える空を飛行機が横切っていくのだ。いまは、夜間一緒に、ウォーキングする友人も「あんまりの騒音なので市役所に聞いてみたけど、風向きによって航路が変わるとか・・・」といい、近くに住む友人も「ひどい騒音に、通過の度にメモを取ってみて、沖縄の人の気持ちが少しだけ分かる気がする」とも嘆いていた。

  私も、佐倉市と千葉県に問い合わせてみたところ、まず担当者が電話口に出るまでが手間取る。一通りの問答では、「わかりません」と市は県に、県は国の窓口に振ろうとする。ここは執拗にねばる。市役所担当者には、佐倉市の上空に何便、何機くらいの飛行機が飛んで、どんな騒音をもたらしているか知らないでいていいのかと、調査を依頼した。その結果が次の表のとおりである。まだ疑問や不備があるが、とりあえずお伝えしたい。

  昨2010年10月21日から、羽田空港の滑走路が増え、発着陸の便数が増加した。佐倉市上空の通過は、羽田空港への着陸がほとんどで、成田空港の発着は、佐倉より東側の上空で完了している。そもそも、どのくらいの便数が増えたのか。県の担当者は「思ったより増えていません、昨年10月までは110便、以降120便ぐらいになりました」という。これは北からのルートで、羽田に着陸する便に限った数字らしい。たまたま、特定したある日の便実績しかわからないというので、聞いてみると、トータルで123便、127便という数字が出た。12~15%の増便ということになり、かなりの数字である。朝の8時から夜の11時までが、内陸を通過する航路で、11時から翌朝8時までが東京湾海上航路であるとう。それならば、なぜ海上ルートの時間帯を拡大しないのか、それに、海上のみならず、房総半島に集中させずに、分散する意味でも、神奈川上空のルートはとれないのか、との質問には、県下の連絡協議会でも、海上ルートの拡大、海上ルートの時間帯の拡大を国に要請しているが、なかなか調整が難しいというのが現在の対応らしい。また、後者の質問には、羽田の西部は、横田基地や厚木基地があって、神奈川上空の制空権は「米軍にある?!」というのだ。やたらに入れないことになっていて、これは国と国との問題で難しい。県としても、近隣の知事らと「日本の空」の返還を国に要請しているというのだ。ここにも基地の問題が、日米安保が厳然と横たわっていたのである。

  騒音については、ルートもさることながら、高度も問題である。冬の北風時の高度は8000フィートというから、もちろん爆音は地上に届くが、夏の4000フィートと違っていたのだろう。あまり気にならず、むしろ民間のヘリコプターや自衛隊機の方が気になっていた。環境基本法の環境基準によれば「うるささ指数」というのがあって、佐倉市では測定していないが千葉市の数値では、60前半で、法律はクリアしているということであったが、この騒音の大きさと途切れることの少ない煩さに、佐倉の志津地区~青菅、宮ノ台、ユーカリが丘、志津・・・の住民はいったいどうしたらよいのだろう。本気で考えなければならない夏になってしまった。

羽田空港再拡張後(20101021日~)

羽田着陸航路(佐倉市上空)

通過便数時間帯分布

時間帯

千葉県庁からの報告

2011.5.20実績

佐倉市からの

報告

2011.5.1実績

夏・南風航路

佐倉市上空 4000feet

運用率40

8時~

4

3

9~

6

5

10~

9

7

11~

11

10

12~

7

10

13~

3

7

14~

9

7

15~

12

13

16~

11

10

17~

6

7

18~

12

8

19~

7

9

20~

8

7

21~

11

11

22~

7

13 

合計

123便

127便

237

22便 東京湾

海上航路

?便 東京湾

海上航路

冬北風空路

佐倉市上空8000feet

運用率60

担当部署

総合企画部空港地域振興課

043-2232283

総務部企画政策課

0434843374

201010月以前の便数のトータルは、1

110便程度であったという。

・上記の数値ほかは、県・市の担当者の電話回答による。

・国土交通省・東京空港事務所:0357573000

次の図の見方

・朱色の北からのルートは、北海道、」東北、北陸方面からの着陸ルート。

・朱色の南からの房総半島側からのルートは、西、関西方面からの着陸ルート。

・青色は、離陸ルートの範囲を示す。

・黄色は、「羽田再拡張事業に関する県・市町村連絡協議会」に参加の25市町村を示す。

・冬・南風航路ほか、詳細については、千葉県ホームページの「羽田再拡張後の飛行ルート」をご覧ください。

下図、「南風好天時」:

北からの着陸ルート(朱色の地帯)の西に航路を曲げる直前、九州のような形をしているのが佐倉市で、印西市の中央部を通過して佐倉市北西部志津地区上空を経て、四街道市から、千葉市に入り、西へ羽田に直進しているのがわかります。千葉市上空では、西からの着陸ルートと高度を変えて交差しています。

飛行ルートの図は、下記のURLをクリックしてください。

http://dmituko.cocolog-nifty.com/tuginozunomikata.pdf

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2011年7月22日 (金)

佐倉市から回答が届きました~難しいからやりたくない?

 6月30日の本ブログ記事の通り、佐倉市は、ホットスポットと呼ばれる柏、松戸、流山、野田市などと並んで福島第1原発事故後の空間放射線量の数値が高いことがわかったので、佐倉市長宛に「市民の声」として、意見を提出した。以下参照。

「佐倉市もホットスポットです!直ちに対策を」(6月30日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2011/06/post-d9fb.html

 その回答が、3週間以上もかかって本日 7月22日に届いた。以下がその文面である。文中にある「佐倉市放射線対策検討委員会」は6月3日に発足したそうだが、ホームページを見ても、何をやっているかの発信がない。事務局に尋ねてみると、いまだに担当課の連絡調整を行っているらしい。なんと委員長が鎌田副市長だ。「横並びが好きな役人」と市議の間でも評判の人だけあって、仕事が遅い。首都圏では、川口市、野田市が独自の基準を設けたのに続いてに、7月20日、柏市教育委員会において、「私立の学校、保育園、幼稚園で、空間放射線量が1マイクロシーベルト/時間以下でも、周辺に比較して高ければ、草刈り、土砂の撤去、水洗いなどの清掃すること」を明らかにしている。また、8月以降は、園児や生徒に電子式個人積算線量計を導入するとしている(毎日新聞7月21日)。 市役所のホームページには「市政へのご意見・ご提案」というサイトがあるが、「市民の方から寄せられた主なご意見・ご提案と回答の概要をご紹介しています」との説明がある。「主な」「概要」との断りもある。私の提案はどのように掲載されるのだろうか、あるいはされないのだろうか。

*********

23佐秘第1号-131
平成23年7月21日
×× ××様            佐倉市長 蕨 和雄

お寄せいただいたご意見について(回答)日ごろより、市政にご理解とご協力をいただきありがとうございます。平成23年6月30日付けでお寄せいただいたご意見について、下記のとおり回答いたします。
           記

(1)夏休みを控え、測定器を借りてでも早急に測定を継続すること
放射線の測定については、測定・監視体制の拡充を図ることにより、広域的、かつ継続的に対応してまいりたいと考えております。なお、佐倉市で購入する測定器が、7月下旬に納品される予定です。

(2)放射能線量についての問い合わせ先を市役所の縦割りでなく、統一した窓口を設置すること
測定の対象となる各施設の構造や利用状況が異なることから、問い合わせに対しては、施設の状況に精通した所管課が対応することが好ましいと考えております。なお、佐倉市の放射線対策を検討するため、市内部の組織として「佐倉市放射線対策検討委員会」を設置し、庁内での情報の共有化と今後の統一した方向性を検討しております。

(3)文科省の福島県下での非常時的な数値を漫然と受け入れるのではなく、子供たちの健康を守るべく、その未来を守る佐倉市独自の規制数値を検討すること
現在、各自治体が放射能問題に苦慮しているのは、以下の3点が主な原因であると考えています。
・事故前の放射線量データがないため測定値との比較ができず、安全性を客観的に判断できない。
・測定に使用する機器、対象となる核種と放射線種、測定精度、測定場所の基準、安全と判断する値などが定まっていない。
・低放射線量における人体への影響について研究が進んでおらず、専門家の意見が統一されていない。これらの問題について、放射線の研究施設や専門家を有していない市町村レベルで判断するのは極めて困難です。また、市が独自で判断基準を策定することにより、合理的根拠に基づかない過剰な反応や、放射線量の大小や変化の大きさに翻弄されることによる風評被害の発生や差別のおそれがあるだけでなく、適切な対応に欠けることにより、結果として子どもも含めた市民の皆さまの安全・安心を損なう事態が生じることも考えられます。
  以上のことから、放射能問題に関して、佐倉市独自で判断基準を策定することについては、難しいと判断しております。そこで、佐倉市といたしましては、科学的な知見や情報収集に努めるとともに、測定体制の整備を図りながら、併せて、国及び千葉県において、統一的な基準や行動指針等を早急に示すよう働きかけております。

〔問い合わせ〕 

放射線について 環境保全課 ℡043-484-6150
保育園の測定について 子育て支援課 ℡043-484-6245
公園の測定について 公園緑地課 ℡043-484-6165
学校、幼稚園の測定について 指導課 ℡043-484-6185

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近くの公園でも、放射線量を測定してみました、やはり、まだ、高かった!

私たちの地域のグループで、環境問題で活動されている、松戸市の武笠紀子さん(元松戸市議、関さんの森を育む会代表)に、自前の測定器で、佐倉市内の放射線量を測定していただくことになった。まったくのボランティアにて、ありがたいことだった。

719日、当日は台風6号が近づき、時々雨に見舞われる曇り空だった。武笠さんのご都合もあって限られた時間だったが、印旛沼船戸大橋付近、間野台公園、私の家の近くの宮の杜公園、ユーカリが丘北公園での測定に参加したので、お知らせしたい。5回測定の平均値を出すのが一般的なルールだが、非公式に12回測定した場所もあるが、それは載せていない。佐倉市が測定した場所については注記した。

            

              佐倉市内放射線量測定結果

測定者:武笠紀子(元松戸市議、関さんの森を育む会代表)

測定器:富士電機 ハンディサーベーメーターNHE20CY3131BY-S

測定方法:地上1m・地表5㎝を5回(130秒)測定し、最大値・最小値及び5回の平均値を記録する

単位:マイクロシーベルト/時間

測定場所:千葉県佐倉市

測定日2011719() 10 時~13

天候:くもり時々雨

参加者:市民有志10

時刻

地域

場所

高さ

最低~最高値

平均値

佐倉市測定値

10:09

 

間野台公園

中央・土

1

0.140.18

0.16

526

公園隣接間野台小学校グランド50cm  0.23

5

0.170.22

0.20

砂場

1m

0.130.23

0.16

5

0.200.33

0.25

11:00

印旛沼畔

沼畔

1

0.070.12

0.10

5

0.150.18

0.17

11:35

宮の杜公園

広場砂地

1

0.110.17

0.13

614

芝生1

0.240.29

5

0.100.16

0.13

広場芝生

1

0.160.23

0.19

5

0.210.26

0.23

池畔

1

0.100.17

0.13

5

0.250.31

0.28

階段下

1

0.150.25

0.20

5

1.021.23

1.11

12:11

ユーカリが丘北公園

北側入口

1

0.110.17

0.13

5

0.390.60

0.47

広場芝生

1

0.130.18

0.16

5

0.210.28

0.25

12:33

井野中学校

西門外、街路樹下

1

0.130.21

0.25

713

グランド1

0.140.14

5

0.290.33

0.32

佐倉市測定に二つの数値があるのは、二つの測定器による結果です

 地元の松戸市はじめ、千葉県内の各地で測定を続けている武笠さんの話によれば、千葉県の、原発水素爆発事故以前の地上の数値は、通常0.06マイクロシーベルト/時間ということである。千葉県で毎日公表されているのは、市原市の海上7mおける0.04前後という数値でほぼ一定している。これらと比べると、佐倉市は、いまだ、一桁あるいは二桁ちがって、高い数値になっていることがわかる。もう4か月も経っているというのに。

 福島県内の数字と比べてみると、極端に高いところは別にして、同じくらいの数値のところも多い。子供たちにとって、低量被ばくはその累積が怖く、どこまで安全ということはありえないそうで、少なくとも通常に戻さねばならないはずだ。今回の測量で高かった公園では、側溝や縁石付近にたまった汚泥や落ち葉を即刻集めて、身に触れないところに置くことが重要だと、武笠さんは話す。乾くと埃と一緒に舞い上がり、また汚染が拡散するというくり返しを止めなければならない。佐倉市の測定もグラウンドや芝生の真ん中ではなく、例えば上座総合公園(616日、西側園路部、地上6cm)の0.47マイクロシーベルト/時間に見られるように、そうした部分の除染を、組織的にしなければならないのではないか。

 なお、意外に低かったのが、印旛沼の水辺の数値だった。沼に流されているのではないかという素人の憶測ながら、ほんとうは印旛沼の水の放射線量も測定したいところだったが、この測定・分析は専門の機器・機関により、時間もお金もかかるということだ。

さらに、非公式ながら、メンバーのお宅の屋内で測定したところ、床上50.060.08であって、少し安心した。なるほど、屋内退避という意味が分かった次第である。しかし、できれば床はフローリングのままで、よく水拭きをし、クーラーはかけずに、窓は閉めて・・・と、この暑い夏、難しい注文ではあった。

間野台公園、地表5㎝を測定 Gedc1527_2 Aさんのお宅の玄関の測定値に、一安心 Gedc1529 印旛沼の水辺で一休み Gedc1531 Gedc1534 宮の杜公園、今回の測定で一番高かったところ Gedc1549 Gedc1536 宮の杜公園すべり台下の武笠さん

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2011年7月21日 (木)

原発事故に関連して二つの報告~福島第2原発は、いま

近くで、原発関係の集会や放射能関係の講演会などがあると、なんとなく落ち着かない。しかし、これを「集団ヒステリー」などと言ってはばからない、政治家や企業、ジャーナリズムも幅を利かせている。恐ろしい風潮に抗うためにも、冷静に人の話を聞き、判断していきたいと思う。

去る18日、20人ほどの集まりで、福島第2原発構内に仕事で入った方の話を聞くことができた。地質調査関係で、たった1日の仕事であったそうだが、なまなましい報告であった。

1原発より11キロ離れている第2原発に入るにも、何重ものチェックを受けた上、いわゆる「出撃基地」といわれる「Jビレッジ」にいったん入る。支給品コーナーではいくつかの段ボールから、レトルトカレー・サトウのごはん、加熱剤・加熱用袋、ソーセージなどの食糧関係、防護服・靴下・キャップ・マスク・手袋・靴カバーなど防護関係用品を各自が入手する仕組みになっている。「入構者教育」とは、マスクの着用徹底、携帯持込み禁止、水飲むな、などと・・・保線マップを前に立入禁止区域の説明を受けるくらいとか。作業従事者の待遇は、高齢者大歓迎で、時給1万円、13時間という情報が飛び交っているという。55歳以上になると放射能の感受性が低減するというのだ。ご当人は50代後半と苦笑いされていた。

報告の方は、原発や放射能の専門家でもない、と頻りにおっしゃっていたが、日本の原子力政策、アメリカ・正力・中曽根のライン、とくに原発導入の経緯など歴史、海外の研究所・日本の省庁や関連団体の資料をネット上収集され、パワーポイントで示されたので、分かりやすかった。福島のみならず、浜岡、玄海、六か所村などの現状にも言及された。

もう一つの報告は、チェルノブイリ原発事故発生直後の朝日新聞取材班による『地球爆発・チェルノブイリ事故と日本』(1987年)、『チェルノブイリ汚染大地・5年目の報告』(1990年)などの文献からチェルノブイリ事故の対応と福島第1原発との比較を試みたものだった。

こうした市民レベルの調査や探索が「情報の海」でおぼれないために重要な作業であり、姿勢に違いないと思った。

近日中に、私たちの小さなグループも、知人のつてで、放射線量測定をすることになっている。

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2011年7月18日 (月)

佐倉市、ようやく第3回空間放射線量測定~依然として高い放射線量~

 佐倉市は、715日、14日までの測定分の結果を発表した。これまで5月、6月に実施された測定の対象になっていなかった35か所の測地結果である。これで、佐倉市内の保育園(18)、幼稚園(13)小学校(23)、中学校』(11)及び公園7か所の合計72地点での調査が終わったことになる。大震災、福島第1原発水素爆発以後4か月も経ってのことである。測定地点が異なるので、同地点での比較はできないが、佐倉市内の施設の放射線量は相変わらず高いことがわかった。詳しいことは、佐倉市のホームページ、以下のサイトでご覧いただくとして、私の住む近隣の志津地区14か所 の部分だけをコピーしてみると、次のようになる。630日、79日の本ブログ記事も参照してほしい。いつまでも、文科省が発信した福島県内、学校向けの暫定措置としての見解を踏襲するばかりでいいのか、思う。

 年間1ミリシーベルトという、文科省の一つの目安で計算すると、佐倉市は0.19マイクロシーベルト/hを超えるところは3回を通じてかなりの箇所に上る。首都圏の川口市や野田市のように、これに自然界の大地からの放射線量:年間0.34ミリシーベルト、宇宙放射線量:年間0.30ミリシーベルト、合計年間1.64ミリシーベルトをという数値を加味して、0.31マイクロシーベルト/hという独自の規制基準で、屋外活動時間や立入禁止等の制限を設けている自治体もある。この基準を超える個所も、市内には少なくない。

7月13日(水)調査分【志津地区 天候:晴】

施設名(住所)

調査場所

空間線量

(地上50)
(μSv/h)

空間線量

(地上1m)
(μSv/h)

表面汚染(Bq/㎠)
※砂場のみ

佐倉市

消防組合

佐倉市

消防組合

小竹幼稚園
(小竹)

園庭・砂場

--

0.26

--

0.22

0.380

光の子保育園
(上座)

園庭・砂場

--

0.20

--

0.15

0.190

ユーカリハローキッズ

(上座)

園庭・砂場

--

0.27

--

0.19

0.262

志津幼稚園
(井野)

園庭・砂場

--

0.24

--

0.27

0.348

さくら幼稚園
(
西志津2丁目)

園庭・砂場

--

0.15

--

0.13

0.297

マミーズハンドさくら
(上志津)

園庭・砂場

--

0.25

---

0.18

0.350

志津わかば幼稚園(上志津)

園庭・砂場

--

0.36

---

0.20

0.253

南志津小学校
(下志津原)

グラウンド

0.22

--

0.21

---

---

上志津中学校
(上志津)

グラウンド

0.24

--

0.15

---

---

10

西志津中学校
(
西志津4丁目)

グラウンド

0.16

--

0.15

---

---

11

上志津小学校
(上志津)

グラウンド

0.16

---

0.16

---

---

12

小竹小学校
(ユーカリが丘5丁目)

グラウンド

0.16

---

0.16

---

---

13

井野中学校
(
宮ノ台3丁目)

グラウンド

0.14

--

0.14

--

---

14

志津中学校
(井野)

グラウンド

0.19

--

0.18

--

---

佐倉市第3回空間放射線量測定結果(715日発表)

http://www.city.sakura.lg.jp/012543000_kankyohozen/osirase/110715_housyasen.html

参考のため

佐倉市(第2回)空間放射線量測定結果(617日発表)

http://www.city.sakura.lg.jp/012543000_kankyohozen/osirase/110617_housyasen.html

佐倉市(第1回)空間放射線量測定結果(530日発表)

http://www.city.sakura.lg.jp/012543000_kankyohozen/osirase/110525_housyasen.html

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2011年7月14日 (木)

「すてきなあなたへ」63号を発行しました

「すてきなあなたへ」63号(2011年7月14日)

左手「マイリスト」63号をクリックしてください。バックナンバーも読めます。

目次

八社のフクロウ(村上まいこ)

佐倉市の放射能対策、検討委員会は何をやっているの?
~「ホットスポット」と呼ばれても~

菅沼正子の映画招待席 35
 一枚のハガキ―絶対、戦争してはいけない―

*編集技術がいたらず、印刷しましたものには、早川由紀夫研究室作成の汚染地図の頁には
千葉県北部の拡大図とカットを切り張りしてあります。

*訂正とお詫び : 2頁下段の自治体の独自対策取組みの一覧、野田市における対策において 「0.3Sv/h以上は立入禁止」となっていますが、「0.3マイクロシーベルト(0.3μ㏜)以上は立入禁止」の間違いでした。 お詫びして訂正します。

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2011年7月11日 (月)

新刊書を手にしなくなって、反省しきり、旧著にも触れて

  インターネット時代、電子図書の時代に入ったとはいうものの、とくに学術的な研究には、雑誌論文と新刊図書への目配りは重要であることには変わりはない。とくに、図書館という職場にいた頃は、とにもかくにも、少しの努力で、それらの資料に接することができた。足しげく書店に通い、近くの図書館にでも通えば、一部はカバーできたかもしれないのに、今回は知らずに過ごしていたことになる。

  早稲田大学の20世紀メディア研究所に登録、研究会にもたまには参加していたので、岩波書店から『占領期雑誌資料大系・文学編』が完結したことも知っていたのだが、気になりながらも、その中身を見ることがなかった。それでも、ついでがあって、第2巻と4巻は古書店で、年表索引などの資料が付された第5巻(2010年8月刊)は新刊で購入しておいた。

  そして数か月後、ようやく中身に目を通した。最も関心のある第5巻「第五章短詩型文学」(解説)を読んでいると、拙著『短歌と天皇制』(風媒社 1988年)からの引用が何か所かあった(「占領期における言論統制―歌人は検閲をいかに受けとめたか」初出『ポトナム』1973年9月!!)。ご承知のように、プランゲ文庫も索引ができて、検索・利用しやすくなった現在、当時の調査不備もあったかもしれないが、私の「占領期の言論統制」への基本的なスタンスは変わっていない。当時も、私は、GHQの検閲を受けて、自作を捨てたり、変更せざるを得なかったりした歌人たちと編集者たちが、自らが受けた検閲についてなかなか語ろうとしない事実、ないしは、その歌人の継承者たち、短歌史の研究者たちさえも、検閲の正確な事実、実態を語り残そう、書き残そうとしない傾向を嘆いた。歌人たちが「検閲」を語るときの、それが内務省による検閲、GHQの検閲であろうと共通して、「配慮に満ちた」言説としてしか記録にとどめられていないことを指摘した。この点について、私とは視点が異なるが三枝昂之『昭和短歌の精神史』(本阿弥書店 2005年)がある。歌壇ではなかなかその中身が議論にもならず今日に至っていた。今回の斎藤愼爾の解説では、当時の私の苛立ちに言及されている。

  まだまだ、明らかにしなければならないことがある。原資料にあたりながら深めてゆくべきだろう。時間がないではないか。

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2011年7月10日 (日)

短歌・主題の発見<国家・政治> 

われらには知らされ難き真実か知り難きかと嘆きて語る
                                                        土岐善麿『六月』(1940年)
世の動向(うごき)とらへかねてはあへぐ日の誰ぞわれに来て真(しん)ををしへよ                                                             館山一子『彩』(1941年)
われ子らに少し語りつジャーナリズムが迎合して行きし過去
                                       柴生田稔『入野』(1965年)
テレビジョンにこよひ公憤のごときもの湧きて用なき机を灯す 
                                                  竹山広『射禱』(2001年)
映すゆゑ見る戦争の映さざる部分を思ひみることもせず
                                                   竹山広『遐年』(2004年)
女川が「チェルノブイリとなる」予感飲みつつ言へり記者たちはみな                                                                         大口玲子『ひたかみ』(2005年)
被災地の一人となりて見えてくる点の情報孤立の恐怖 
                                                山口恵子『短歌』(2011年5月)
たびたびの事故隠したる原発を想定外と吾は認めぬ
                          遠藤幸子(朝日歌壇佐佐木幸綱選2011年5月16日)
ほんとのことを知らむと見つむtwitterの断片の流れその電子文字                                                                          阿木津英『短歌』(2011年6月)
いつよりか啜り泣きさへ「号泣」と載せて恥づなき広告の文字 
                                             澤田尚夫『短歌現代』(2011年6月)

  菅首相は、記者たちの前で、「未曾有の国難とも言うべき今回の地震」(二〇一一年三月一二日)」といい、「必ずや国民の皆さんが力を合わせることで、この危機を乗り越えていくことができると確信」(三月一三日)すると発言した。その後は、マス・メデイアともども「国をあげての総力戦」「日本は強い、日本は一つ」などと世論形成に躍起となった。しかし、行方不明者の捜索もままならず、被災者の過酷な避難生活が続く。「ただちに影響がない」と言い続けていた原発事故は収束するどころか、拡大する一方、政府は対策本部・会議などの立ち上げに奔走するばかりだ。ACジャパンのCMではないが「、政治や国家は誰にも見えないけれど、政治家や政局は見える」というのが率直な感想である。取材・調査をし、報道するのがメディアの役目なのに、政府や企業の「発表」の後追いに終始し、むしろ見えなくしている。さらに、メディアは、一握りの点景にすぎない奇跡の救出、家族の絆や再会、子どもたちの卒業や旅たち、仕事の再開・再建などの明るいドラマを盛んに流し、タレントやアスリートたちの炊き出しを追っかけ、皇族たちの被災地訪問をことごとしく報じている。スポーツ紙や週刊誌などにしても、原発推進・反原発・脱原発などを政局がらみや学者の確執のような視点からの記事が圧倒的に多い。多くの国民の知恵と決断とともに、救援・支援・復旧への有効な具体策を探り、再生への道筋を示さねばならない国や政治が見えてこない。
  そんな状況の中、大震災を主題とした短歌は、新聞歌壇や短歌雑誌に溢れ出た。その多くは、テレビからの情報が作歌の動機であったが、やがて、そこに被災者自身の体験をモチーフとする作品も加わってきた。ある歌人は「原子力は魔女ではないが彼女とはつかれる、(運命とたたかふみたいに)」(『短歌研究』二〇一一年年五月)「どうしても敵が欲しいと思ふらしいたとへば原発つて内なる敵が」(『短歌』同六月)と歌い、次のような文を寄せている(岡井隆「大震災後に一歌人の思ったこと」『日本経済新聞』二〇一一年四月一一日)。「原発は、人為的な事故をおこしたわけではなく、天災によって破壊されのたうちまわっているのである。原発《事故》などいって、まるでだれかの故みたいに魔女扱いするのは止めるべきではないか。これは、あくまで少数意見であろうから『小声』でいうのである。」 少数意見という「ことわり」を付して、「日経」というメディアで風向きを確かめながら、後進の歌人たちをけん制してみたかったのだろう。
  一方、被災地仙台市に住む歌人、佐藤通雅は、個人誌『路上』において、地震直後の吹雪の中、「ただ事でないと直感した私は、揺れのおさまったところで町内会長さんと共に独り暮らしの家と幼児のいる家を巡回しはじめました」と記す。メデイアからの「大方の論評には激しい違和感を覚えました。(中略)高所から、つまり安全地帯から見下ろす論評。この事態を前にすべての言説の根拠が崩壊したというのに、なんと能天気な―と思うばかりです」と続ける。そして、最後に、終刊まであと一号を残すのみとなった『路上』、「このまま表現を終えるわけにはいかない」と結んでいる(「一一・三・一一手稿」『路上』一一九号二〇一一年四月一〇日)。生活者としての感性と理性は、日常の創作姿勢とも連動しているに違いない。「安全地帯」から、韜晦的にものをいう「有識者」の発想にはない行動に思われた。
  二人の歌人のエッセイは、国とメディアとの関係をいみじくも対照的にとらえている結果で、今回のような大震災に遭遇して、一層明確になったといえよう。だから、短歌の主題として国家・政治をと思うなら、まずメディアを直視することが先決だと思う。かつてマス・メディアは、権力への監視機能を持する自負をこめて、「第四の権力」「無冠の帝王」などと称されることもあった。しかし、 私たちは、明治時代における「新聞操縦」、昭和の「大本営発表」報道、被占領下におけるGHQの検閲をはじめ、さらには、テレビやインターネットという新しいメディアを手にしながらも、情報操作や自主規制のもとに情報統制が連綿と続いていることも知った。「国」や「政治」を見えにくくするメディア、そのメディアをしっかり見据えることによって見えてくるものがある。決して新しい主題ではないが、見逃してはならない主題といえよう。

(このエッセイは、『短歌現代』7月号の特集「主題の<発見>」に寄稿したもので、「国家・政治」が筆者にあてられた)

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「婚活事業」で石田純一が講演!議決前に広報?~「議会基本条例」ができたばかりの佐倉市で

文教福祉常任委員会を傍聴

やや、前後するが、6月下旬、文教福祉常任委員会を傍聴した。議事に先立って、選挙後初めての委員会だからだろうか、職員紹介というのがあるらしい。その間、傍聴人の列はどんどん増えて、最後の人は14番の札を持っていた。中には退職議員もいる。また、委員会メンバー7人ではない現職議員も11人傍聴に来ていた。議員定数28名中、あわせて18人が参加していることになる。連日の傍聴人もいるらしく、昨日の総務常任委員会も多かったですよ、とのこと。

 審議会の傍聴には何回か通ったことがあるが、委員会は初めてか。議会ウオッチも本議会だけでなく、委員会の方が重要かもしれない。本会議から付託された「議案審査」の場では、実質的な討議をという意味合いがあると思うが、この日は、議員の行政側への質疑や要望に時間が費やされていた。ここでの採決と議論の報告が議会最終日の本会議でなされ、議決される。かつて、この最終日の本会議を傍聴したとき、各委員会報告、議員の質疑、採決という流れとなるが、傍聴していると実にめまぐるしいのだ。

 この日の文教福祉委員会は、議案6件、請願3件、陳情1件であった。いずれにしても私がいつも腑に落ちないのは、審議会でも委員会でも傍聴者に資料を配らないことだ。この日は市民傍聴者が14人いるのに、補正予算書は3部しか用意しておらず、回覧せよということらしい。しかも持ち帰り禁止なので、いま手元にはない。215000万の補正予算に当初予算を合わせると、4258000万の規模である。記憶やメモによるのみで、はなはだ心もとないのだが、気になったいくつかを。

3億円2000万近い「保健福祉振興基金」への積立金242万が問題になっていた。この基金は毎年利子の範囲でしか運用していないというのだが、いったいどういうことなのか。各種の「基金」なるものは、この自治体にも多い。要調査か。

・補正であらたに療育支援コーディネーター1人がついたという。これまで、障害児の就学時支援は職員が対応していたが、保護者からの相談や就学先に同行して説明したりする専門家ということだが、いずれにしても、本気でやり通すにはかなりの業務量になろう。職員もコーディネーターもおざなりならないよう願うばかりだ。佐倉市の障害者手帳を持つ障害者は、平成22年(2010年)で身体障害者3853、知的障害者695、精神障害者586、合計5134名、前年度比で7%増えているという現状である。

・学童保育所を待たなかった最後の和田小学校で本年12月開設することになった。指導員募集、その待遇を見ると、週3日、16時間、4日で14時間、5日で13時間という勤務体系でしか選べないので、人材が獲得しにくいのではないか。指導員本来の役割から、学童と毎日、顔を合わせて指導するという教育的な観点からも、そうした働き方が望ましいのではないかという意見・要望が出されていた。小学校の「おまけ」としての学童保育ではない、放課後保育の位置づけを大切にしてほしいと思った。結局、臨時やパートでの雇用を続けると宣言していた。それでいて、少子化対策もないものだと思う。

・道徳教育に力を入れるといって、社会人活用で、プロの落語家を4名起用するとか、「佐倉学」の講師として市内の現役教諭や有識者、元職を謝礼付きで招く計画についても疑問が出た。はっきりした答弁はなかったが、やっぱり、おかしくない?

 傍聴だけでは分かりにくいのだが、これは、市民の側でも相当勉強しないと市の無駄遣いは食い止められない、という感じである。 今回の委員会には、7人の委員のほかに11人の議員が傍聴している。それならば、現在は法的な根拠がないという「全員協議会」だが、本会議はもちろん委員会を全議員参加の方式で、議員も行政も傍聴の市民もフラットな会場で、議員同士の討議や議員と行政との質疑を市民がウオッチできたらいいな、と思った。とくに中小の市町村においては、すべての委員会を議員全員参加にして、公開・記録を前提に透明化をはかることが可能なのではないか。市民にはその方がわかりやすいし、議員にはもっと、勉強して、働いてもらいたい。

信じられないような「ミス」、佐倉市は何を焦っているのだろう

この日の議案ではなく、前日の総務委員会で議論されたというが、補正で佐倉市の地域振興費で実施する「婚活事業」673万というのもかなりおかしいのではないか。年6回、男女を登録制で集めてパーティーをやる費用だという。自治体が若年層を地元に引き留めるために婚活事業を実施するといったニュースを聞いたことがある。人口激減の郡部の話かと思ったら、この佐倉市が!?(東京の品川区でも同様の事業を実施したそうだが、1年かけて1カップルが生まれたそうだ)

この怪しげな予算については、次の一件でさらに倍加した。71日の「こうほう佐倉」の3面トピックス欄に「佐倉で婚活!生涯のパートナーを」の記事の真ん中で石田純一がほほ杖をついて笑っているではないか。731日、某ホテルでのパーティー前に特別ゲストで「講演」するらしい。登録の対象は「本気で結婚を考えている2545歳の人」だそうだ。こともあろうに、どういう人選なんだろう、ワイドショウではあるまいに(ちなみに講師謝礼は94万余?)。さらに、さらに、佐倉市は大変なミスを犯していたことが発覚。というのは、この婚活事業は、前述のように、補正予算で付いたものだったのだが、その補正予算が可決したのは74日の6月市議会最終日だったのだ。市議会の議決前に、広報紙で発表してしまったわけである。この議会軽視に怒った議員は7人(28人中)、抗議をしたそうだが・・・。「議会基本条例」が泣いてはいまいか。

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2011年7月 9日 (土)

佐倉市、近く小学校では~放射線量数値の究明を

 佐倉市が5月末と6月半ばに一部の教育施設や公園で、空間放射能線量の測定が実施され、その結果が発表されたのは、本ブログでもお知らせした。(630日付「佐倉市もホットスポットです!直ちに対策を」)

 72日(土)は、近くの小学校の授業参観と教育ミニ集会の日だった。地域にもオープンされる。自治会の役員をやっている頃は、近くの中学校のミニ集会には参加していたのだが、いまは縁遠くなってしまった。今回小学校のミニ集会に参加した友人の話を聞いてびっくりした。

その日は、日本科学技術振興財団の出前講座「放射能を知ろう」があって、校内のあちこちを簡易測定器「はかるくん」で、計ったというのだ。これは昨年度来からの文部科学省による原子力・エネルギー教育支援事業の一環だという。「はかるくん」なんてふざけた名前なのだが、今回は威力を発揮しているらしい。以前は、個人にも貸出していたが、現在は、自治体・学校関係に限っていても、順番待ちらしいことが財団の「はかるくんWeb」に書いてある。

 何に驚いたかと言えば、やはり放射線量の値だった。グランドのあちこちで0.38マイクロシーベルト/時間とか0.32とかいう数値が出ていたという。佐倉市が計ったときは0.27(地上50cm)、その日の講師の話によれば、福島第1原発の水素爆発後に飛散したもので、増えていくものではない、除染をすれば心配はない、と明言していたという。しかし、減ってはいない。小学生の保護者ならずとも、不安である。給食や屋外活動はどうであろうか。

 佐倉市は、文部科学省の福島県内学校向けの暫定措置をうのみにして「安全宣言」ばかりを続けるのではなく、他の自治体にもならって、もっと現実的に 早急に、測定の場所や頻度を増やすべきではないか。その数値の推移と共に、原因をたどり、対応しなくてはいけないはずだ。佐倉市の、この数値は、あの同心円から遠く離れた「ホットスポット」と言えるのではないか。

放射能への国民の不安を「集団的ヒステリー」という自民党石原幹事長発言、「脱原発はポピュリズム」という民主党前原前外相発言には、その根底に、国民の素朴な不安を無視し、企業利益を優先する姿勢が見える。政府や企業、時には自治体の「怠慢」や「ウソ」を後手、後手に騒ぎ立てるマス・メディアにも怒りを禁じえない。私たちは、情報に踊らされるのではなく、今こそ、冷静に、情報の海から真実をすくい、エネルギー政策の見直しや転換への道筋を考えるチャンスだと思う。

九州電力の「やらせメール」に似たケースは、これでもか、これでもかと「御用学者」の起用を憚らない政府、御用学者に加えて「御用市民」を抱える自治体にも横行しているではないか。

7月1日、思いがけず、3株目のアマリリスが咲き始めた

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2011年7月 4日 (月)

中学校教科書の中の短歌と昭和天皇と(2)「昭和天皇」の短歌も登場

 

自由社と育鵬社の中学校の「歴史」と「公民」は、展示会に一緒した友人たちが閲覧していて、なかなか見られなかったのだが、大急ぎで撮った写真をアップしておこう。

①「新しい歴史教科書」(自由社)「昭和天皇―国民とともに歩まれた生涯~立憲君主的な立場を貫きつつ、国民の安寧を祈り続けた 無私と献身の生涯とは」

②「新しい公民教科書」(自由社)「もっと知りたい・天皇のお仕事」という2頁のコラム。

 ①には、最晩年の「思はざる 病となりぬ 沖縄をたづねて果たさむ つとめありしを」(1987年)の昭和天皇の「御製」を引用し、「沖縄への思い」を強調する。

③「新しい日本の歴史」(育鵬社)「国民とともに歩んだ昭和天皇」

④「新しい日本の公民」(育鵬社)「第2章私たちの生活と政治~日本国憲法の基本原則」表題頁には「天皇による内閣総理大臣の任命」の写真。

 ③には、「身はいかに なるともいくさ とどめけり ただたふれゆく 民をおもひて」(1945年)の敗戦時における昭和天皇の短歌を引用し、「終戦を決断された時の御製ですが、ここにも天皇の覚悟が見てとれます」と説かれている。マッカーサーとの会見や東京裁判の過程で見せる天皇の動揺は、その後の歴史研究や側近の日記などからも明らかになっている現在、かなりの無理が「見て取れる」ではないか。

また、19419月の御前会議で昭和天皇が読み上げたという明治天皇の御製「四方の海 みな同朋(はらから)と 思ふ世に など波風の 立ちさわぐらん」(1904年、日露開戦時)も登場、「戦争より日米交渉を重臣たちに示唆」した証のように綴られている。

  

  この2社の教科書の天皇に対する記述には「国民のことを思う平和主義者」としての天皇、昭和天皇を強調するばかりで、天皇の政治的発言や行動が政府や軍にとってどんな意味と役割があったかに着目していない。心情を吐露したとする「短歌」によって責任を回避しているに過ぎない、としか私には思えなかった。

 

↓左側が「新しい日本の公民」第2章

 天皇から任命を受ける鳩山前首相の姿が見える

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「国民とともに歩んだ昭和天皇」(③「新しい国民の歴史」育鵬社)

             

                     

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「昭和天皇~国民ともに歩まれた生涯」(①「新しい歴史教科書」自由社)

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中学校教科書の中の短歌と昭和天皇と(1)晶子から俵万智まで、女性歌人が優勢になったが

628日、検定済教科書展示会に行くことになった。佐倉市中央公民館での展示が6月いっぱいということで、友人のお誘いもあってやって来た。たまたま最近、私自身や娘、昭和一ケタの次兄の教科書まで、物置にあるのを発見、その時のことは本ブログにも書いた。http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2010/09/1945-da7f.html

今どきの教科書は、どうなっているのか。それにかつて「あたらしい歴史教科書をつくる会」による扶桑社版の教科書問題が、いまは、内輪もめを経て新たな火種になっている。今回は時間もないので、自分の関心事である、中学校の国語教科書に「近・現代短歌」がどう扱われているか、歴史・公民教科書に「昭和天皇」がどんなふうに登場するのか、だけでも知りたかった。それにしても、時間がない。節電で暗い展示コーナーは、そっけなく、「今使われている教科書」「これから使われる教科書」の仕切りがあるだけの机上に無造作に立てられ、並んでいた。コピーでもとれると、まだよかったのだが、尋ねたところ、「県や市に問い合わせてから」とラチがあかない。何のことはない、写真を撮っているのは、いろんなブログでも見ていたのだから、撮ればよかったのだが、気が付くのが遅かった。

感想を書くには、材料が少ない。いずれにしても、教科書研究センターや国際子ども図書館にでもいかなければならない。とりあえず、短時間で、自分が見たことだけをお知らせしておこうと思う。

1.教科書の中の短歌・晶子から俵万智まで~女性歌人は優勢なのだが

近代・現代短歌に、比較的頁をさいていると聞いたことのある「教育出版」の中学校国語「伝え合う言葉」1・2・3を大急ぎで見てみた。

「伝え合う言葉 中学国語」(教育出版)1・2・3

平成18年度版「1学年」に俵万智「私の好きな春の言葉」「3学年」に、穂村弘「それはトンボの頭だった」というエッセイが載っていた。近・現代の短歌のメインは「2学年」で、「近代の短歌」と題して、茂吉・母の歌、啄木・ふるさとの歌・、牧水・旅の歌、晶子・恋の歌のあわせて9首が載っている。

平成24年度版「1学年」変わらず。「2学年」も歌人も作品も変わらないのだが、トップが茂吉から啄木に替っていた。「3学年」に佐佐木幸綱の書下ろしの鑑賞「古典の歌、現代の歌」が入って、「現代の歌」として栗木京子、俵万智、竹山広、正田篠枝の作品が掲げられていた。竹山、正田の長崎、広島の原爆作品を扱っているのは、中学生へのメッセージとして重要だと思った。近年竹山は亡くなったが、俵ともども佐佐木氏率いる『心の花』の同人というのはいささか気のし過ぎか。

以下は、帰宅後、いずれも平成18年度版をネット上で調べてみたのだが、参考のためメモしておこうと思う。

「現代の国語」(三省堂)「2学年」:「短歌の世界」として、子規、赤彦、晶子、茂吉、白秋、牧水、啄木の近代歌人と寺山修司、栗木京子、近藤芳美、馬場あき子、李正子、俵万智の作品が登場する。

「中学校国語」(学校図書)「2学年」:「短歌十五首」として、子規、啄木、迢空、善麿、茂吉の近代歌人のほか、道浦母都子、河野裕子、永井陽子、平井弘、栗木、寺山、荻原裕幸、岡井隆、佐佐木幸綱の現代歌人と草地宇山という旧軍人(辺見じゅん『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』収録)の作品が収録されている。導入部分に佐藤正午による俵の「この味がいいね・・・」の鑑賞がある。

「国語」(光村)「2学年」玉城徹書下ろしの「短歌を味わう」においては北原白秋、正岡子規、石川啄木の1首ずつ挙げる鑑賞である。さらに「十二首」として、伊藤左千夫、赤彦、晶子、長塚節、茂吉、前田夕暮、牧水、佐藤佐太郎、宮柊二、塚本邦雄、栗木、俵の作品が掲載されている。

「新しい国語」(東京書籍)「2学年」道浦母都子の鑑賞文「言葉でパチリ」では、俵、大口玲子、永井陽子と中学2年生の作品を鑑賞し、短歌五首、晶子、茂吉、啄木、寺山修司、俵万智が掲載されている。

5社の国語教科書の近代・現代の短歌教材をざっと目を通したことになる。次の2首の採録が際立っていた。

・死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる(斎藤茂吉)                          (『赤光』) 教育出版・学校図書・光村・東京書籍 

・観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生(栗木京子)
(『水惑星』1984年)   三省堂、学校図書、光村 

茂吉は、私たちの教科書にもあったような気がする。受験教材にはあったろう。大人になって、身近な人の死を経験すると理解も深まる。中学生にわかるかなあ、とも思う。栗木京子の作品には私が好きな歌もあるのだけれど、この歌はどうしても抵抗がある。リズムもいい、リフレインや対比という手法も取り入れられている、内容も一見わかりやすい。しかし、こんな歌が独り歩きして、中学生の男女に刷り込まれていくと、ジェンダーの観点からみると、どうだろう、と思ってしまう。男子というより男性が喜びそうな歌ではないか。 

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