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2011年7月11日 (月)

新刊書を手にしなくなって、反省しきり、旧著にも触れて

  インターネット時代、電子図書の時代に入ったとはいうものの、とくに学術的な研究には、雑誌論文と新刊図書への目配りは重要であることには変わりはない。とくに、図書館という職場にいた頃は、とにもかくにも、少しの努力で、それらの資料に接することができた。足しげく書店に通い、近くの図書館にでも通えば、一部はカバーできたかもしれないのに、今回は知らずに過ごしていたことになる。

  早稲田大学の20世紀メディア研究所に登録、研究会にもたまには参加していたので、岩波書店から『占領期雑誌資料大系・文学編』が完結したことも知っていたのだが、気になりながらも、その中身を見ることがなかった。それでも、ついでがあって、第2巻と4巻は古書店で、年表索引などの資料が付された第5巻(2010年8月刊)は新刊で購入しておいた。

  そして数か月後、ようやく中身に目を通した。最も関心のある第5巻「第五章短詩型文学」(解説)を読んでいると、拙著『短歌と天皇制』(風媒社 1988年)からの引用が何か所かあった(「占領期における言論統制―歌人は検閲をいかに受けとめたか」初出『ポトナム』1973年9月!!)。ご承知のように、プランゲ文庫も索引ができて、検索・利用しやすくなった現在、当時の調査不備もあったかもしれないが、私の「占領期の言論統制」への基本的なスタンスは変わっていない。当時も、私は、GHQの検閲を受けて、自作を捨てたり、変更せざるを得なかったりした歌人たちと編集者たちが、自らが受けた検閲についてなかなか語ろうとしない事実、ないしは、その歌人の継承者たち、短歌史の研究者たちさえも、検閲の正確な事実、実態を語り残そう、書き残そうとしない傾向を嘆いた。歌人たちが「検閲」を語るときの、それが内務省による検閲、GHQの検閲であろうと共通して、「配慮に満ちた」言説としてしか記録にとどめられていないことを指摘した。この点について、私とは視点が異なるが三枝昂之『昭和短歌の精神史』(本阿弥書店 2005年)がある。歌壇ではなかなかその中身が議論にもならず今日に至っていた。今回の斎藤愼爾の解説では、当時の私の苛立ちに言及されている。

  まだまだ、明らかにしなければならないことがある。原資料にあたりながら深めてゆくべきだろう。時間がないではないか。

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