短歌・主題の発見<国家・政治>
われらには知らされ難き真実か知り難きかと嘆きて語る
土岐善麿『六月』(1940年)
世の動向(うごき)とらへかねてはあへぐ日の誰ぞわれに来て真(しん)ををしへよ 館山一子『彩』(1941年)
われ子らに少し語りつジャーナリズムが迎合して行きし過去
柴生田稔『入野』(1965年)
テレビジョンにこよひ公憤のごときもの湧きて用なき机を灯す
竹山広『射禱』(2001年)
映すゆゑ見る戦争の映さざる部分を思ひみることもせず
竹山広『遐年』(2004年)
女川が「チェルノブイリとなる」予感飲みつつ言へり記者たちはみな 大口玲子『ひたかみ』(2005年)
被災地の一人となりて見えてくる点の情報孤立の恐怖
山口恵子『短歌』(2011年5月)
たびたびの事故隠したる原発を想定外と吾は認めぬ
遠藤幸子(朝日歌壇佐佐木幸綱選2011年5月16日)
ほんとのことを知らむと見つむtwitterの断片の流れその電子文字 阿木津英『短歌』(2011年6月)
いつよりか啜り泣きさへ「号泣」と載せて恥づなき広告の文字
澤田尚夫『短歌現代』(2011年6月)
菅首相は、記者たちの前で、「未曾有の国難とも言うべき今回の地震」(二〇一一年三月一二日)」といい、「必ずや国民の皆さんが力を合わせることで、この危機を乗り越えていくことができると確信」(三月一三日)すると発言した。その後は、マス・メデイアともども「国をあげての総力戦」「日本は強い、日本は一つ」などと世論形成に躍起となった。しかし、行方不明者の捜索もままならず、被災者の過酷な避難生活が続く。「ただちに影響がない」と言い続けていた原発事故は収束するどころか、拡大する一方、政府は対策本部・会議などの立ち上げに奔走するばかりだ。ACジャパンのCMではないが「、政治や国家は誰にも見えないけれど、政治家や政局は見える」というのが率直な感想である。取材・調査をし、報道するのがメディアの役目なのに、政府や企業の「発表」の後追いに終始し、むしろ見えなくしている。さらに、メディアは、一握りの点景にすぎない奇跡の救出、家族の絆や再会、子どもたちの卒業や旅たち、仕事の再開・再建などの明るいドラマを盛んに流し、タレントやアスリートたちの炊き出しを追っかけ、皇族たちの被災地訪問をことごとしく報じている。スポーツ紙や週刊誌などにしても、原発推進・反原発・脱原発などを政局がらみや学者の確執のような視点からの記事が圧倒的に多い。多くの国民の知恵と決断とともに、救援・支援・復旧への有効な具体策を探り、再生への道筋を示さねばならない国や政治が見えてこない。
そんな状況の中、大震災を主題とした短歌は、新聞歌壇や短歌雑誌に溢れ出た。その多くは、テレビからの情報が作歌の動機であったが、やがて、そこに被災者自身の体験をモチーフとする作品も加わってきた。ある歌人は「原子力は魔女ではないが彼女とはつかれる、(運命とたたかふみたいに)」(『短歌研究』二〇一一年年五月)「どうしても敵が欲しいと思ふらしいたとへば原発つて内なる敵が」(『短歌』同六月)と歌い、次のような文を寄せている(岡井隆「大震災後に一歌人の思ったこと」『日本経済新聞』二〇一一年四月一一日)。「原発は、人為的な事故をおこしたわけではなく、天災によって破壊されのたうちまわっているのである。原発《事故》などいって、まるでだれかの故みたいに魔女扱いするのは止めるべきではないか。これは、あくまで少数意見であろうから『小声』でいうのである。」 少数意見という「ことわり」を付して、「日経」というメディアで風向きを確かめながら、後進の歌人たちをけん制してみたかったのだろう。
一方、被災地仙台市に住む歌人、佐藤通雅は、個人誌『路上』において、地震直後の吹雪の中、「ただ事でないと直感した私は、揺れのおさまったところで町内会長さんと共に独り暮らしの家と幼児のいる家を巡回しはじめました」と記す。メデイアからの「大方の論評には激しい違和感を覚えました。(中略)高所から、つまり安全地帯から見下ろす論評。この事態を前にすべての言説の根拠が崩壊したというのに、なんと能天気な―と思うばかりです」と続ける。そして、最後に、終刊まであと一号を残すのみとなった『路上』、「このまま表現を終えるわけにはいかない」と結んでいる(「一一・三・一一手稿」『路上』一一九号二〇一一年四月一〇日)。生活者としての感性と理性は、日常の創作姿勢とも連動しているに違いない。「安全地帯」から、韜晦的にものをいう「有識者」の発想にはない行動に思われた。
二人の歌人のエッセイは、国とメディアとの関係をいみじくも対照的にとらえている結果で、今回のような大震災に遭遇して、一層明確になったといえよう。だから、短歌の主題として国家・政治をと思うなら、まずメディアを直視することが先決だと思う。かつてマス・メディアは、権力への監視機能を持する自負をこめて、「第四の権力」「無冠の帝王」などと称されることもあった。しかし、 私たちは、明治時代における「新聞操縦」、昭和の「大本営発表」報道、被占領下におけるGHQの検閲をはじめ、さらには、テレビやインターネットという新しいメディアを手にしながらも、情報操作や自主規制のもとに情報統制が連綿と続いていることも知った。「国」や「政治」を見えにくくするメディア、そのメディアをしっかり見据えることによって見えてくるものがある。決して新しい主題ではないが、見逃してはならない主題といえよう。
(このエッセイは、『短歌現代』7月号の特集「主題の<発見>」に寄稿したもので、「国家・政治」が筆者にあてられた)
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