中学校国語教科書の中の近代・現代歌人と短歌作品~しきりに回る「観覧車」
二〇一一年六月、来年度から使用される検定済みの中学校教科書の展示会に出かけた。その後、あらためて、五社による「国語」教科書に目を通し、近代・現代短歌歌人と作品がどのように登場し、扱われているかについて、平成一八年度から二三年度(二〇〇六~一一年度)まで使用されている教科書と平成二四年度(二〇一二年度) から使用される教科書を比較してみることにした。今回は、国立国会図書館分館の国際子ども図書館(二〇〇二年以降の教科書)と教科書研究センター付属図書館(明治以降の教科書を網羅的に所蔵)で閲覧・複写した。
指導要領改訂は一〇年ごと、教科書検定は四年ごと、ということで、タイムラグが生じる。たとえば、平成一四年度(二〇〇二年)の指導要領改訂によって平成一二年度検定がなされ、原則的に四年ごとに検定がなされる。しかし、この間、検定申請がなされなかったので、中学校国語の場合は、今年度まで、六年間同じ教科書を使用していたことになる。指導要領改訂を踏まえた検定済み教科書について、各県は、採択のための参考資料として各社教科書の分析報告を作成することになっている。東京都の場合、その報告は東京都教育委員会のサイトで見ることができ、整理や確認に利用できる。以下、今回作成した下記の「中学校国語教科書平成18年度・24年度比較表」をもとに概観したい。
①学校図書
作品一五首の中に、土岐善麿と平井弘、荻原裕幸が並び、中学校教科書に岡井隆が登場するのは珍しい。与謝野晶子が登場しないのも、この教科書だけである。旧版に登場する草地宇山(母逝くと吾子のつたなき返しぶみ読みて握りて耐へてまた読む)という名の作者は、私は今回初めて知ったのだが、辺見じゅん『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(一九八九年)で紹介された作品であった。新版で入れ替わった植田多喜子(一八九六~一九八八)(顔よせてめぐしき額撫でにけりこの世の名前今つきし児を)は、植松寿樹に師事し、『沃野』同人、ベストセラーとなった私小説『うづみ火』の作者でもある。教材が著名歌人の作品に限る必要はないが、いずれもマイナーな作者ではないかと思う。掲載の意図はどの辺あるのだろうか。また、三年用に登場する俵万智(「あいみてののちの心の夕まぐれ君だけがいる風景である」)が、古典和歌、藤原敦忠「逢ひ見ての後の心にくらぶれば昔はものを思はざりけり」との出会いから、「歌の源流へ(万葉集・古今和歌集・新古今和歌集)」といざなう解説導入文になっている。現代の中学生と古典和歌との懸け橋としての俵万智の登場は編者の苦心のしどころだったかもしれない。
②東京書籍
晶子、茂吉、啄木、修司、万智の五首は新・旧変更がないが、道浦母都子の書下ろしエッセイでは鑑賞作品を変えた。旧版は、俵万智は別として、大口玲子、永井陽子という、ややマイナーな選出から与謝野晶子、寺山修司、栗木京子というポピュラーな人選となった。
③三省堂
タイトルも「現代の国語」から「中学生の国語」に変更され、短歌の単元の編成も変え、作者・作品の入れ替えも行った。旧版の島木赤彦、近藤芳美が消え、新版に釈迢空、佐佐木幸綱、穂村弘が加わった。新版には、編集部による鑑賞文のなかに、晶子、修司、牧水、子規、茂吉が取り入れられた。新・旧版ともに収載の李正子「〈生まれたらそこがふるさと〉うつくしき語彙にくるしみ閉じ行く絵本」と、穂村弘「シャボンまみれの猫が逃げ出す午下がり永遠なんてどこにも無いさ」の二首が他社にない特色と言えるだろうか。前者は在日コリアン二世としての苦渋と穂村のアンニュイというか刹那主義を中学生にどう理解させるのかが、教師の指導力にかかってくるのだろう。
④教育出版
短歌に関して、やや編成を変えた。近代短歌五首の作者・作品に変わりはない。穂村弘のエッセイが三年から二年に移動した。三年に佐佐木幸綱の書下ろしによる、古典・現代の歌の鑑賞の手引きが収録された。「恋の歌」として、万葉集から天武天皇(「我が里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後」)と藤原夫人(「我が岡のお上に言ひて降らしめし雪のくだけしそこに散りけむ」)との相聞から現代の恋歌として、栗木京子(「観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生」)と俵万智(「『寒いね』と話しかければ『寒いね』と答える人のいるあたたかさ」)が登場する。さらに「季節の歌」として、古今和歌集の凡河内躬恒(夏と秋と)、藤原敏行(秋来ぬと)を引用する趣向は、学校図書版の三年「言葉との出会い」同様の試みだろう。現代の中学生には、ストレートに古典和歌に入るのは難しいのかもしれない。
⑤光村図書
今回の検定で、最も変更が大きかった教科書である。二年の鑑賞のためのエッセイの執筆者が玉城徹から馬場あき子に変わり、子規、晶子、茂吉、白秋の近代歌人に加えて、寺山修司、俵万智の現代歌人が採録された。「短歌十二首」では、作者・作品が入れ替わる。伊藤左千夫、島木赤彦、長塚節、前田夕暮、佐藤佐太郎、塚本邦雄が消え、窪田空穂、木下利玄、岡本かの子、前川佐美雄、斎藤史、佐佐木幸綱、高野公彦、河野裕子の九人が加わる。左千夫、赤彦、節、夕暮、佐太郎、空穂、利玄、かの子、佐美雄などは、私自身も中学校や高校で出遭ったような歌人の登場を懐かしく思うのだった。近代・現代短歌にかなりのこだわりを持つ人選に思われた。
以上のように、新・旧版で劇的な変更した教科書はなかったといえるが、全体的に見れば、登場歌人の「世代交代」が徐々に進んでいるのは確かだろう。
五社の新版における収載の歌人・作品の上位は次のようになった。五社すべてに収載された歌人は、石川啄木、斎藤茂吉、栗木京子、俵万智の四人で、その収載作品は以下の通りだ。括弧内の数字は収載出版社数であり、未記載のものは一社である。栗木京子の一首、旧版では三社であったが、新版では五社すべてが収載した。俵万智は四社から五社へ、啄木と茂吉の作品数は変わらないが、作品に入れ替わりがあった。茂吉の「死に近き」は、四社から三社となった。茂吉や啄木などの作品一首一首の解釈や鑑賞は、ある程度定着してきている。しかし、たとえば、栗木京子の「観覧車」について、比較表④「伝え合う言葉3」新版において、佐佐木幸綱は「(前略)一緒に並んで乗っていながら、二人の心の中は同じではない。対立仕立てになっている下の句が、対照的な二人の心を描き出しています。失恋の歌です。せつないですね」と断定的に説く。作者自身は、学生時代にゼミ仲間で遊園地に遊んだ折に「すんなりできてしまった一首」であって、深刻でもない、哀切な歌でもないと明かしている(『短歌を楽しむ』岩波書店 一九九九年一〇七頁)のは興味深い。他に、俵万智や松村由利子の「読み」も微妙に異なっていたのを読んだことがある。
小学校では、短歌は六年で学習するが、与謝野晶子「金色の」の収載が圧倒的に多い。俵万智の場合は、各社各様の選出である。啄木、茂吉、牧水など中学校と重なる作品も見受けられるが、どのように発展させていくのだろうか。高校では、テキストの数も多いし、スペースも多いので、実に多種多様な作者・作品が収録されている。今ここでは触れない。
<資料―掲載作品と収録教科書数>
栗木京子
観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生(五)
斎藤茂吉
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞こゆ(三)
みちのくの母のいのちを一目みん一目みんとぞたたにいそげる(二)
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり
蚊帳のなかに放ちし蛍夕さればおのれ光りて飛びそめにけり
石川啄木
不来方のお城の草に寝ころび空に吸はれし十五の心(三)
やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに
ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく
誰が見てもわれをなつかしくなるごとき長き手紙を書きたき夕べ
俵 万智
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ(二)
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
白菜が赤帯しめて店先にうっふんうっふんかたを並べる
思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ
あいみてののちの心の夕まぐれ君だけがいる風景である
さらに、与謝野晶子(五首)と寺山修司(四首)が四社に登場、若山牧水(四首)と正岡子規(三首)は三社に登場していることがわかる。以下は二社で収載している作品である。
与謝野晶子
なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな(二)
若山牧水
白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ(二)
正岡子規
くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる(二)
比較表は下記をクリックしてください。↓
(『ポトナム』2011年12月号所収)
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