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2011年12月31日 (土)

『二十世紀短歌と女の歌』(阿木津英著 学芸書林)の出版を祝う会、竹橋へ

  1225日(木)、竹橋のパレスサイドビルの「アラスカ」で、阿木津さんの新著出版を祝う会があった。会場の9 階からは、国立近代美術館とお濠と、皇居が見下ろせる。ああ、あのお濠端をジョギングしていた頃もありましたっけ。職場の昼休み、高速をくぐって三宅坂のお濠側にわたり、最高裁、国立劇場と続く内堀通りのイギリス大使館前を千鳥ヶ淵公園に入り、土手で早くも一服、ストレッチをする。乾門、北詰橋を右に見て、公文書館、近代美術館、今いるビルに入っている毎日新聞社を左に見て、気象庁、消防庁を正面に右にカーブすればパレスホテル、皇居前広場を経て、桜田門へのコースは、5キロ弱というが、40分はかかったろうか。走った日の昼休みは忙しい。職場に戻って、地下でシャワーを浴び、持参のお弁当にかぶりつく。隣の課の友人と週2回ほど、名古屋に転職するまで数年続いた。それまで悩みの種だった肩の凝りや背中の痛みは消えていた。あの爽快さが、ただ懐かしい。
 
きょうの会では、何かしゃべるようにと、お世話役の吉川豊子さんから、けさ電話をいただく。批評会でもなく研究会でもない「祝う会」だから、気ままに行けばいいと思っていたが、最初の森山晴美さん、近代文学の長谷川啓さん、評論家の松本健一さん、乾杯の音頭をとった渡辺澄子さん、高良留美子さん、皆さん、しっかりと中身に触れた批評をされた。短歌関係50人、近代文学関係20人が参加とのこと、報告があった。歌人の出版記念会には珍しく、近代文学、フェミニズムの分野からの参加者が多い。さあ、困ったぞ。何を話せばいいのか。 阿木津さんの書いたものは難しいし、私の書評らしきものは『短歌研究』8月号に書き、このブログにも収録しているので、パスすることにした。
 阿木津さんとの付き合いは、戦後短歌史をジェンダーの視点から見直そう、という勉強会に誘われてからのことであり、数年後の2001年『扉を開いた女たち』という共著をまとめ、今もこの研究会は続き、次の成果をまとめようとしているところである、といったことを話した後、今後の阿木津さんへの「お願い」?として、次のような話をした。会場には差しさわりのある参加者もいらしたかもしれない。 

私は、数年前、友人から次のような話を聞いた。私たちの大先輩である若桑みどりさんが紫綬褒章を受けられた際、一緒に受章したその友人と皇居で拝謁を待つ間だったか、控の間で、ひそひそ話をし、若桑さんは、「勲章はもらいたくもないけれど、分からずやの男性たちには、少しばかり効用があってね、教授会などでも、自分の発言力が少し違ってくる」といった趣旨のことを話されたそうだ。 

若桑さんの言葉には、国家と文芸、国家と学問という重い課題が含まれていないか。文芸や研究は、国や権力からの自立が、その根幹と思っている私には、とても重大な発言に思われた。 

最後に、「阿木津さん、文化勲章は、貰わないでください。文化功労者にもならないでください。国家は、権力は、さまざまな甘い誘惑を仕掛けてきます。芸術選奨などという踏み絵もあります。阿木津さんの底力で踏みとどまってください、頑張ってください」とお願いしたというわけである。
 

阿木津さんは大笑いされていたけれど、苦笑される参加者も多かったかもしれない。似つかわしくない発言だったかもしれない。その後の休憩時間に、大先輩や同世代の近代文学の研究者たちからは、「さっきの発言、率直でよかった」「岡井隆の例もありますからね」などと声を掛けられたのだが~。

 

 

 

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2011年12月30日 (金)

佐倉市24年度当初予算案への意見~社会福祉協議会への人件費補助事業について

  1218日(日)午後、今年で3回目になる、来年度当初予算の説明会が開かれた。私は初めての参加だったが、初回から参加した知人によると、第1回がようやく二桁、昨年に至っては一桁だったという。日曜出勤の課長以下職員が数十人控えたというのに。これでは市民に意見を聞いた、ということにはならないだろう。
 
 今年も、この説明会の知らせが公表されたのは121日配布の「こうほう佐倉」だった。それ以降、昨年参加の知人たちが中心で、声を掛け合って、ともかく、各人テーマを持って参加しようということになった。知らない方々も大勢いたが、市議をはじめ、市議候補者らも含めて40人を超えた。

 いざ、参加しようと思うと、お知らせが遅いという広報も含めて、配布資料のお粗末さ、その在り方も大いに問題があったが、別稿としたい。説明会を経て、1226日が意見の締切で、忙しい日程であった。提出原稿の一つ「社会福祉協議会への人件費補助事業について」に資料などを付して、以下のように書き直した。趣旨は全く変わっていない。
 
 近年の社会福祉協議会への人件費補助金の予算額の推移をみていると、平成18年度予算が前年度予算の約1590万減額の9863万となり、これは15年度補助金検討委員会や監査委員の意見を踏まえたものと考えられる。以降、20年度までは、「抑制」の条件を付せられながらも、同額の予算額が続き、21年度には約500万を減額して9300万台を維持し続ける。今年の12月に、補助金検討委員会は、当該人件費の公平性と透明性に欠ける旨の意見書を公表している(1216日)。3年に1度出される意見書ということである。さらに、それに先立ち、監査委員会による「財政援助団体等監査結果」(2010730日)は、多額の人件費補助について、これまでも「再々指摘しているように」と前置きをして「抜本的な法人運営の見直し」と「職員の意識改革」を柱とする体質改善を促している。にもかかわらず、24年度予算として出てきた数字は、「監査委員・検討委員会の意見を踏まえて見直し中だが、前年度と同額を計上する」とコメントし、21年度来の予算9300万を踏襲しているのは理解に苦しむ。上記監査結果には、市長名の「措置結果」に「指導します」の言があるが、たんなる絵空事としか受け取れない。
 
さらに、社協の決算報告によれば、近年の社会福祉事業における決算の収入合計額における人件費補助金額の割合は30%前後を推移しながら、低くはなっている。しかし、福祉基金は、24000万円台を微増し続けている。補助金の交付を受けながら、その2倍以上の基金を留保し、資産として13900万円台の投資有価証券を持っていることは、法人運営の見直しへの自助努力を放棄しているのではないか。正規職員の人件費全面的補助、社協職員が市職員に準ずる待遇を受けるというのであれば、社会福祉事業部門は、まさに市役所自体の事業にほかならず、社協の存在意義を失うだろう。人件費補助に依拠しない一社会福祉法人としての法人運営に移行すべきなのではないか。しかも、他の社会福祉法人と同じ立場で指定管理者制度に参入していることも、公平性の見地から合理性を欠く。その不合理を、まずは人件費補助の大幅な減額で是正すべきではないか、と思う。
 

 
佐倉市社会福祉法人への佐倉市からの人件費補助金の推移(単位万円)http://dmituko.cocolog-nifty.com/sakurasisyakyoujinnkennhi.pdf

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2011年12月27日 (火)

視聴者のみなさまと語る会~NHK経営委員とともに~in千葉

  この12月初旬に、NHK千葉放送局の千葉放送会館が完成したという。そのお披露目のためか、1217日(土)、千葉市役所前の新しい放送会館で「経営委員と語る会」が開催された。事前申込制で、100人ほどの申し込みがあったが、参加者60人弱か。司会進行が末田正男アナ、数年前、東京で開催の時も彼だった。参加者からの質問のさばき加減?が買われているのかな。

 経営委員からは、数土委員長、井原常任委員、大滝委員、作家の幸田真音委員の4人、執行部からは専務理事、理事、千葉放送局長の3人だった。いつも思うのだが、肝心の参加者との実質的な質疑の時間が短く、主催者側の挨拶や説明に時間をかけることだ。資料を見ればわかることは、省いてほしいと思うのだが。意図的とも思われるように、質問は、一人1回とか、短くとか。これが「語る会」なのかな、役所の説明会と一緒じゃないかと思う。たった2時間しかないのに主催者側7人のご挨拶と説明で、最初の40分近くが費やされる。その挨拶が、千葉県に息子家族が住んでいるとか、千葉県に何年住んでいるとか、住んだことがあるとか、千葉県との「ご縁」をリップサービスのごとく話すのには参った。千葉はやはり田舎なのかな?と。 

 質問は、今回も、経営全般と放送関係に大きく分けてという手順だったが、視聴者にしては、一体としてのNHKで、どこまでが「経営」でどこからが「放送」なのか、分からない。経営委員長は、最初の説明で、小森委員長時代に約束した視聴者への10%還元が7%の受信料値下げの形で実現できたと胸を張る。末田アナは、まず受信料関係の質問はと限定するが、案の定、質問は、受信料を少々下げても、番組が劣化するのでは何もならない、これって誰?というような出演者が多い紅白、火曜日のドラマ、芸人がぞろぞろ出てくるケータイ大喜利など具体的な番組名が、複数の質問者から指摘され、若者に媚びるような番組の傾向を指摘する質問者もいた。これに対して、経営委員長は、経営委員は番組批判できないと。幸田委員からは、私は今年還暦となったが、きょうの参加者はさらに年長の方が多い、視聴者の高齢化はますます激化する、将来受信料を払ってくれる若い人たちの接触率や視聴率を上げることは、NHKの経営にとって大事なことなので、若者への傾斜は致し方ないという、少々見当はずれなコメントがなされた。 

 私は、具体的には、震災報道について、報道番組のタレント、有識者、専門家の起用の仕方について、調査報道の重要性などについて、なども質問したかったのだが、まず、視聴者対応について質問した。以下その要旨。

 

 視聴者の意見・要望は、身近には「ふれあいセンター」で受付ける。年間450万件 以上、番組などへの要望・意見は20%なのだが、その内容が番組スタッフに通じているのか否か、ともかく事務的な一方通行なのである。「お客様の声」として、週ごとに、あるいは23か月単位で、年ごとに報告は出るが、「番組への反響」という数で括られ、要望や批判は埋没するような分析なのだ。また、執行部内部の「考査委員会」の報告は、経営委員会、理事会に提出されるが、両者の会議録をみても、議論などなく「製作者の意図」丸写しのような自画自賛のオンパレードを了承するのみである。さらに、視聴者の視点による第三者的機関として「NHK評価委員会」が設置されている。最近の報告によれば、統計的な手法を駆使、グラフや図表は手が込んでいるが、その判断材料は、NHK内部の人間が作成し、あるいは調査は他の調査機関に丸投げで、上がってくるその調査報告の分析からは、経営と放送の信頼性は維持されていると結論付けている。申し訳のように「今後の課題」として、批判的意見を抽象的にかわしているかのようである。 

 

 そこで要望するのは、なかなか通じないふれあいセンターの電話、70%を占める問い合わせの類と番組への意見・要望の受付窓口を分離してください。もう一つ、今日ここにいらっしゃる経営委員や理事の方々は、一度、ふれあいセンターに届くリアルタイムの番組への視聴者の声、生の声に耳を傾けたことがありますか。録音でも結構ですからお聞きになってみてください。

 

 私の質問への答えらしきものは、経営委員長からは「視聴者の声は、会議などでの報告?を聞いているし、個人的にも、いろいろな意見を聞いているし・・・」の程度のものだった。窓口の分離については、理事の一人から「受けた電話を振り分けるのは難しい、境界が難しい・・・」ということだったが、一義的には視聴者の判断に任せてもいいのではないか、と思う。 

 他の参加者の方からの質問では、人件費が世間一般と比べて高すぎる、剰余金が多すぎるのではないか、というものがあり、前者については複数の人から指摘されたが、3年間で280人減の計画を語るのみで具体的な説明はなかった。剰余金については、今でも少ないくらいで、これからも、不測の事態に対応すうるため、あるいは受信料値上げには国会の承認が必要で度々はできないので、応急的な対応のために増額したい!ということであった。視聴者への還元、受信料値下げを得意げに披露していた同じ経営委員長の口から、こんなコメントを聞くとは、少々情けなかった。 

 番組については、震災報道の初動の遅れ、原発に関しての政府発表報道、国会中継の中断、早朝番組の可能性などさまざまであった。私の2回目の質問は、やはり当ててはもらえなかった。経営委員や執行部の「とても有意義だった」みたいな総括は不要で、質疑の時間を確保してほしかった。

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会場内は撮影禁止ということで~

 

 

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2011年12月26日 (月)

「短歌ハーモニー」は、男女共同参画センターまつりに参加しました

 

 

 先にもお知らせしましたように、私たちの「短歌ハーモニー」1210日・11日開催の千葉市 男女共同参画センターまつりに、短歌の書作品展示会と公開歌会をもって参加しました。展示に関しては、各自の作品制作のほか、企画書、チラシづくり、作品展示、展示に添える一輪挿しに至るまで、会員全員の協力で仕上げました。 

 11日(日)午後の歌会には、当日参加の4人が加わり、和やかに進みました。途中、事前にお知らせのあった「地域新聞」の記者さんも参加、いつも通りの歌会を終えました。記者さんの質問に、ふだんあまり直接聞くこともなかった、会員の方の短歌を始めた動機や続けていてよかったことなどが思い思いに語られたりして、私も新鮮な体験をしました。「地域新聞」と言えば、つい先だって、私が参加している地域のミニコミ誌「すてきなあなたへ」の取材を受けたばかりで、122日号に紹介されたことはお知らせのとおりです。あれは「佐倉西版」でしたが、今度は、配布地域が異なり、千葉市内版、1月下旬には出るそうです。 

 今月は、歌会用の2首、展示書作品の2首、それにだいぶ先の掲載予定の『短歌往来』「カルチャーの歌」用2首と作歌や推敲に追われたのではと思います。私も背中を押されつつ・・・。 

今回の展示作品は新作・旧作あり、短冊・色紙あり、にぎやかでした。その中から1首づつ。

 

大潮のみなも霞みて千葉港出船入船ひいふうみの影 ・海保秀子 

季移り色あせ見える風光に燃えるように咲く金蓮花の紅・藤村栄美子 

あたらしき緑のなかに照葉は雨に打たれてあたり明るむ・内野光子 

話したい 言葉を忘れた母がいて返事を待って口もと見つめる

                        ・美多賀鼻千世 

人がいる 富岳三十六景の誰かと目など合わないだろうか・武村裕子 

参加者の少なった古稀祝いみなそれぞれに無事を喜ぶ・加藤海ミヨ子 

ひさびさに日の差す木々に浮き立ちて薄紫の藤の花ゆれ・中川とも子 

武蔵野のハケの小径をたどりきて水琴窟の音色涼しき・大堀静江

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2011年12月22日 (木)

航空機騒音、佐倉市の対応は~11月市議会のあれこれ(2)

  このブログでも、何度も取り上げているが、昨年1021日、羽田空港のハブ化に伴う再拡張により、佐倉市上空を1200m前後の低空で通過する着陸機が激増した。羽田航空事務所から取り寄せたデータによれば、夏の南風悪天候の場合は、朝6時から夜11時までの間、240機近い通過実績があり、1時間あたり14機以上となる。集中する時間帯では1時間に20機を超えることがあったのは、私自身も近くの知人の目視でも確認されている。冬場は北風仕様の2400m上空を通過するので、騒音は夏よりは緩和されている。どうしてこんなことになったのか。 

 すでに、このブログでも触れているが、どうしたらいいのか。夜11時以降のルートにもなっている東京湾海上ルートを増加すること、海上ルートの時間帯を増加すること。しかし、羽田空港の滑走路は井桁型で、その発着陸コースが技術的にもかなり複雑だという。要するに、羽田空港の西方に横須賀、横田基地があるため、その上空が使えないことが、航路の分散化を拒んでいるのだ。この上空はアメリカに制空権があるので、他の航空機が入れないからだ。その根拠は日米安全法条約にまでさかのぼる。このままで、あとできることは、安全を確保しながら技術的に可能な限り高度を上げること、限られたなかでも航路の分散化をはかることだろうか。 

 千葉市内の航空機騒音は、佐倉市よりひどく、住民の抗議は大変なものだったという。市長も夜間、現場視察に出かけたりしていたが、千葉市の申し入れにより、国交省は、11月半ば、航路を若干住宅の少ない地域の上空にずらす改善案を提示したという。根本的な解決にはなっていない。 

 私も、個人的に市議会議員の何人かにも、夏以来、騒音の実情を訴えた。反応といえば、騒音は個人差がある、千葉市に対する改善策で少し航路が変わるのを見極めてから、千葉県選出の国会議員にも相談して・・・などの答えが返ってきていた。 

 ところが、11月市議会の最終日(1219日)の議員発議議案の一つに「羽田空港離着陸機の騒音軽減に関する意見書」があった。国交省に騒音軽減策をとるように意見書を提出しようというもので、全員起立で成立した。こうした意見書にどれほどの効果があるのかは疑問だが、議員自身が「騒音」をいささかでも認識したことは、良しとしなければならないのかもしれない。国交省は、速やかに、遅くも来年の夏までには、何とか軽減の方向を示してほしい。 

 12月の半ば、午後、友人といつものようにウォーキングにでると、西方の上空に、いつにない低空で、轟音とともにヘリコプターではない航空機が現れた。そして数分後も1機、低空といってもどのくらいの高さかといえば、800m見当かしらと友人とも話していた。家に帰って、羽田空港事務所に問い合わせてみると、該当の民間機の飛行記録はない、ということで、習志野駐屯地(陸上自衛隊)か下総航空基地(海上自衛隊)の航空機であろうと連絡先を教えてくれた。下総の広報課で聞いてみると、たしかに、その時間帯には低空飛行の訓練を行っています、との返事だった。年間どのくらいの日数、時間、訓練するのかと問えば、それは、訓練生の数にもよるし、防衛上公開できません、と素っ気ない。訓練の日程はどのくらい前に分かるのかと尋ねると、1週間前には分かるが、予定通り実践する確率は6割程度といい、前日にはほぼ確定した予定がわかるとのことだった。今の訓練は、明日・明後日の3日間は続くとのことだった。その日程は公開できるそうで、近隣の自治体には伝えているという。そういえば、八千代市の広報紙に、習志野空挺団と下総基地の飛行訓練の日程を発表しているのは見たことがある。佐倉市の広報紙には載ってないですが、といえば、佐倉市からは依頼がないとのことだった。ちなみに低空訓練機の高度は、500mだったという。なるほど、大きく、迫ってくるような恐怖感があった。 

20数年前、習志野駐屯地が通勤バスの途中にあって、パラシュートでの落下訓練や迷彩服で街中を駆ける姿を見たことがあった。その頃、落下傘を落とす航空機の高さが340mというのを聞いたことがある。 

500mの高さからたとえば住宅地に航空機の部品が落下したらどうなるのだろう、考えると少し怖くなった。そんな事故が無縁とも言い切れないのが現実なのだ。

 

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佐倉市に副市長二人が必要なのか~11月市議会のあれこれ(1)

 

 

 前にも書いたが、今の鎌田副市長を県庁から迎えたときも大いに疑問であったが、5月の臨時市議会で、その鎌田副市長が賛成多数で再任された。県や国への太いパイプが必要であるというのが、大方の賛成理由である。しかし、今回の311の佐倉市の対応で、副市長の果たした役割というのは、役人根性丸出しの「出過ぎた真似」はするものではない、少しでも先駆けてやり出した他の自治体を「あんな苦労をするものではない」と、職員のやる気を削いだという。311直後の被災者支援、原発事故による放射能対策も然りだった。災害対応の出遅れは、今でも市民に大きな不安を引きずらせている。 

 こともあろうに、この12月議会直前に、「副市長をもう一人、増やす」という「佐倉市副市長定数条例」の市長提案が浮上した。議員の一般質問でも、総務常任委員会の質問でも、市長が答えるのは、佐倉市に企業誘致をすることによって、増税や雇用拡大をはかり、佐倉市の振興を図るためには、国とのパイプが必要なので、国と相談して、副市長をもう一人迎える、というものだった。昨年、「理事」という肩書で、経産省から招んだ役人はもう来年には、古巣に戻るという。それも地域振興の一環だったというが、どんな実績があったのかさっぱり聞こえてこない。佐倉市の事情を一切知らない国の役人が1・2年ほど市政にかかわったところで何ができるのだろう。そんなことは百も承知で、今度は特別職の副市長を、年俸1400万、公用車付きで、34年は「面倒を見る」ことになるのだ。賛成の議員は、一つの企業誘致をすると、免除特権の期間を見込んでも、法人税・固定資産税が億単位で増やせると、まさに「とらぬ狸の皮算用」である。佐倉市から企業の撤退こそあれ、近年、誘致に成功した例はあまりきかない。地元の商店や業者をもっと利用してこそ振興の基礎が築かれるのではないか。市外の業者に持って行かれないよう指定管理者を育てることも、振興の手立ての一つではないか。子の議案の審議の過程で、本会議の一般質問では、「過去、助役二人を国や外部から招いたものの、役立たず」との発言が記録削除になったりとか、総務常任委員会では「今の副市長では用が足りない」からもう一人増やせという発言に、同じ賛成議員から「今の副市長を中傷する発言は許されない」などという発言がとび出る茶番もあった。

 佐倉市も、他の自治体にならって、放射線量測定器を市民に貸し出すというが、10万程度の機器をたったの5台というのだ。他の自治体では、50台、100台の単位での貸出に対応しているというのに、ちょっと呆れてしまったのだが。 

 1215日、市民の有志で、市内鉄道5駅で「佐倉に二人の副市長はいらない!」のチラシをまいた。朝の出勤時は、駅構内近くになると駆け足だし、冷え込みの厳しいこの朝は、ポケットに手を入れている人たちも多い。マイクの声に駆け戻って受け取る人、え?そうなの、要らないよねという人・・・と様々だったが、要は、市民が知らない間に、1219日、市議会最終日で議案は賛成多数で通過してしまったのだ。

 

 

 

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2011年12月 6日 (火)

「ユーカリが丘地域まちづくり協議会」はなぜ不認証になったのか(1)

 「まちづくり協議会」って?
 佐倉市でも2006年「市民協働の推進に関する条例」(929日)が制定され、市内にいくつかの「地域まちづくり協議会」が発足し、市から助成金などを受けるほか、「市民参加型のまちづくり」が進められようとしている。市民の自発的な活動に意欲的な団体やサークルに一定の条件のもとに、市から・財政的・人的支援をすること、それ自体は否定しない。そうしたことは、何も新たな条例を作らずとも、従来から実施してきたし、実績も残している。私自身も、参加している地域ミニコミ誌発行サークルの創成期、市のサポート事業として、助成金を得て、ミニコミ誌発行ばかりでない地域活動を展開することもでき、励まされたこともある。活動したくても資金がない、という市民団体やサークルは多いと思う。
 
 いま、私が疑問に思うのは、この条例第4章に定められた「地域まちづくり協議会」の必要性なのだ。市のホームページでは、その意義を「地域まちづくり協議会は、各小学校区を基準として、区域内で活動する自治会・町内会を基盤に、地域で活動する団体・組織が、それぞれの目的や活動を尊重し合い、緩やかに連携・協力することで、地域が対応できる課題などは、協働して、その解決を図っていただこうとする組織です」と記している。聞こえはいいが、要するに「地域の問題をいろんな団体や組織が個別に行政に上げてくるのではなくて、地域で調整して解決したらいい。その手伝いなら、行政もいたしますよ」と読める。はたしてこれが本当の住民自治なのだろうか。地域の団体や組織を束ねて都合のいいのは行政ではないか、あるいは主導的な役割を果たす組織に利するのではないかと思うのだ。たしかに、市民が一人ではできないことを同じ目的や志を持つものが相寄って活動したり、行政に要望したりすることは大切である。しかし、その基本には、市民が誰でも属することができる自治会や町内会があり、その一つ一つが悪くもよくも自治体と対峙できる存在なのではないか。それを、他の学校PTA、社協、商店会、NPO,地元企業などを同列で束ねることによって、各組織の活動や要望が相対的に薄まってしまうのではないかという不安である。
 
 現に、自治会にかかわっていた頃の私の経験ながら、住民自治会の連合体である自治会協議会において、各自治会の多種多様な問題が提出される中、広域的な共通問題のみが「選択・集中」されていく傾向にあり、大事な地域の問題が常に置いてけぼりにされていく例を目の当たりにした。地域での諸問題については、優先度をつけた、メリハリのある持続的な取り組みが必要な場合もある。ところが十年一日のような要望を市長に要請したりしている。それというのも、地域の諸団体の会長などが固定的に顧問?特別理事?みたいな形で張り付き、リードしているからではないか。

 

「ユーカリが丘地域まちづくり協議会」は設立したけれど 

ところで、市民協働の推進に関する条例制定後、私たちの地域でも、地域まちづくり協議会設立への準備が進められてきたらしい。自治会協議会では、数年間にわたり協議されてきたというが、その広報とて中断し、各自治会では、12行の報告で済まされて来て、その中身が住民にはまったく聞こえてこなかった。ところが、今年に入って、(予定)加盟団体で「ユーカリが丘地域まちづくり協議会」設立についての説明が展開されていたらしい。
 
 ある団体の会議での説明資料を見て驚いたことはすでにこのブログでも書いた。「『ユーカリが丘地域まちづくり協議会』平成23年度事業計画案」の中の「基本的な考え方」に「7.ユーカリが丘を造成してきた山万株式会社の開発理念と住民の期待との整合性を図り、協調したまちづくりを行う」とあった。また、加盟団体(案)として「①自治会協議会」となっていたことだった。加盟団体に地元企業が入ることは予想できるが、特定企業との協調性をうたうというのはどういう神経なのだろうか。また、加盟団体が各自治会ではなくて「自治会協議会」というのは、どういうわけなのだろう。311の直後だったが、327日、設立総会が開催されている。私たち住民には、「ユーカリまちづくり」第1号(526日)の形で、概略が知らされるのだった。
 
 それによれば、加盟団体は「ユーカリが丘地区自治会協議会」(*27自治会、8031世帯)、地区社協、地区商店連合会、3つの小学校PTA・1つの中学校PTA、福祉施設、郵便局ほか合わせて26団体、そのうち山万グループの会社・施設の6団体を含み、役員は28名中自治会協議会7名、山万グループから5名であった。また、「まちづくり協議会とは」の欄には、次のように記されている。 

 「(そのため)地域まちづくり協議会は、(*)地域で活動する各種団体・組織が、(**)それぞれの目的や活動を尊重し合い、緩やかに連携・協力することで、地域が対応できる課題などは、協働して、その解決を図っていこうとする組織です」
 
 冒頭で上げた、市のホームページからの引き写しの定義かと思いきや、*の部分に「各小学校区を基準として、」が抜けており、(**)の部分に「活動する自治会・町内会を基盤に、」が抜けていることがわかる。なるほど、まさにここに問題があったのだ。

 

なぜ、市は認証しなかったのか 

 今年の8月議会における、H議員の質疑により以下のことが分かった。5月に提出された「ユーカリが丘地域まちづくり協議会」の認証申請は、不認証という結果となった。その理由は、明確ではないが、市民部長の答弁によれば、「地域まちづくり協議会」の「地域」は「一つの小学校区」を基準としているので、認証申請の「ユーカリが丘地域まちづくり協議会」は、その対象区域が大きすぎた、ということらしい。担当の自治人権課の防犯・市民活動推進班によれば、不認証になったのは、「対象区域が広すぎた」のが理由といい、「地域まちづくり協議会の意義は、やはり顔の見える範囲での活動がのぞましいから」とも言っていた。付属機関の市民協働推進委員会で認証の有無を協議し、その結果は市長に上げられるが、認証者はあくまでも市長であるとのこと。認証の特典は何かといえば、担当によれば、認証初年度は70万円、次年度以降毎年90万円の助成金の交付が受けられるという。今回の認証については8月末の委員会で協議されたというが、まだ、その議事録が出ていないので、何が論議されたかは不明だ。 

 市議会におけるH議員の質問では、「ユーカリが丘地域まちづくり協議会」はこれまでも区域を同じくする「ユーカリが丘地区自治会協議会」の活動実績と市長懇談会を実施していることを強調し、今後も広域的な「まちづくり協議会」設立についての市の連携・支援を要請していた。 

そもそも、なぜ、広域の自治会協議会ができたのかは、8・9年前にさかのぼる。当時、ユーカリが丘自治会協議会は、ユーカリが丘・宮ノ台の11自治会からなる協議会だった。ところが、来年度から21自治会を包含する広域の自治会協議会にしたいという案件が突如浮上した。あまりにも唐突なので、当時、自治会長だった私は、地元に持ち帰り、じっくり協議したいと異を唱えると、「あんたが出てくるとややこしくなる?!」と、私たちの自治会が協議会から排除されかかった。その広域自治会協議会結成に“貢献した”ある自治会長が地元企業のバックアップも受けて市議に転身した。今回の「ユーカリが丘地域まちづくり協議会」は、大震災直後、4月の市議選直前に設立された。「まちづくり協議会」設立・認証申請もどこかキナ臭さが残るのだ。(続く)

 

 

 

 

 

 

 

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2011年12月 5日 (月)

二つの番組を見て~「坂の上の雲」第3部と「NHKスペシャル・日本人の戦争」と

 

 

「坂の上の雲」第3部が始まったが~忍耐の限度を超えた
だったら見なきゃいいのに、と言われるが、1部・2部を見ていろいろ注文をしてきたこともあって、ともかくチャンネルを合わせた。124日の第3部第10回「旅順総攻撃」だったが、3・11を経た後だけに、あの物々しい、司馬遼太郎とNHKのコラボによる「日本の明治再評価」 にどれほどの意味を見いだせるか、かなりの疑問とむなしさが予想された。「まことに小さな国が開化期を迎えようとしていた」という渡辺謙の声の押しつけがましい演出がやりきれない。今回は戦地前線の場面が多く、参謀会議や作戦会議の場面が多い。最大の難点は、年配の役者のセリフが妙に聞きとりにくかったのだ。軍人たちの押し殺したような声に出身地の方言とされる、ぎごちないイントネーションが加わるので一層その感が強い。さらに、いかにも時代を考証して作りましたみたいなセット、ロケによるお金のかかった大掛かりな戦闘場面にも、ああ、受信料がもったいない、という思いが先に立ってしまう。戦記物が好きだったり、軍事オタクだったりの男性には面白いのだろうか。戦争って作戦の問題ではないだろうと。小さな国ががむしゃらに植民地を拡大していった時代の、国の在り方を全肯定する物語としか受け取れないのだ。とくに、司馬の歴史認識が、経済危機の上に重なった津波・原発事故のもたらした恐怖と不安が渦巻く日本に、どんな形であるにせよ、受け入れられるものなのだろうか。いまさらながら、説得力のない無用の長物のように思えた。

 

NHKスペシャル「証言記録・日本人の戦争 第2回 太平洋 絶望の戦場」
 
124日、「坂の上の雲」第3部の第1回の放送後、9時からの15分間のニュースを挟んで「証言記録・日本人の戦争 第2回 太平洋 絶望の戦場」と題する「NHKスペシャル」が放映された。これは、ニューギニア、ニューブリテン島など過酷な状況から生還した、すでに80代後半から90代になられた元兵士たちの証言の実写と資料映像によって構成された番組だった。証言者の複数の方が証言後、時を経ずに亡くなれているのもショックだった。 
 NHKアーカイブの戦争証言の証言者別の幾本かは断片的に見たこともあった。これらの証言を核に、「兵士たちの戦争」「市民たちの戦争」「日本人の戦争」として、視点を変え、戦地を変え、主題を変えなどして、さまざまな角度から再構成している番組だが、今回の番組に登場する証言は初めて見るものだった。録画での検証はまだだが、次の4点が印象に残った。
  ①証言者の多くが、過酷な状況から自分だけが生き残って帰ったことに、いまだ後ろめたさを感じていること
②複数の証言者が「人肉事件」「共食い」という言葉でなまなましく語られた事実は当時の戦地では決して異常な事件ではなかったこと
③竹永(正治中佐)事件という集団投降の経過と捕虜への評価
④岩手県旧藤根村の小学校教師高橋峯次郎の軍国教育と戦地の教え子たちに送った「真友」と教え子たちからの軍事郵便の果たした役割
 ②③については、放送後、NHKアーカイブで検索、閲覧した「証言記録 兵士たちの戦争 東部ニューギニア 絶望の密林戦~宇都宮歩兵第239連隊」(2009328日)の方がより詳しかったことがわかった。②  については、「週刊新潮」の証言捏造疑惑記事に対するNHKの抗議文が「お知らせ」として掲載されていた。

 

    

  


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