『二十世紀短歌と女の歌』(阿木津英著 学芸書林)の出版を祝う会、竹橋へ
12月25日(木)、竹橋のパレスサイドビルの「アラスカ」で、阿木津さんの新著出版を祝う会があった。会場の9 階からは、国立近代美術館とお濠と、皇居が見下ろせる。ああ、あのお濠端をジョギングしていた頃もありましたっけ。職場の昼休み、高速をくぐって三宅坂のお濠側にわたり、最高裁、国立劇場と続く内堀通りのイギリス大使館前を千鳥ヶ淵公園に入り、土手で早くも一服、ストレッチをする。乾門、北詰橋を右に見て、公文書館、近代美術館、今いるビルに入っている毎日新聞社を左に見て、気象庁、消防庁を正面に右にカーブすればパレスホテル、皇居前広場を経て、桜田門へのコースは、5キロ弱というが、40分はかかったろうか。走った日の昼休みは忙しい。職場に戻って、地下でシャワーを浴び、持参のお弁当にかぶりつく。隣の課の友人と週2回ほど、名古屋に転職するまで数年続いた。それまで悩みの種だった肩の凝りや背中の痛みは消えていた。あの爽快さが、ただ懐かしい。
きょうの会では、何かしゃべるようにと、お世話役の吉川豊子さんから、けさ電話をいただく。批評会でもなく研究会でもない「祝う会」だから、気ままに行けばいいと思っていたが、最初の森山晴美さん、近代文学の長谷川啓さん、評論家の松本健一さん、乾杯の音頭をとった渡辺澄子さん、高良留美子さん、皆さん、しっかりと中身に触れた批評をされた。短歌関係50人、近代文学関係20人が参加とのこと、報告があった。歌人の出版記念会には珍しく、近代文学、フェミニズムの分野からの参加者が多い。さあ、困ったぞ。何を話せばいいのか。 阿木津さんの書いたものは難しいし、私の書評らしきものは『短歌研究』8月号に書き、このブログにも収録しているので、パスすることにした。
阿木津さんとの付き合いは、戦後短歌史をジェンダーの視点から見直そう、という勉強会に誘われてからのことであり、数年後の2001年『扉を開いた女たち』という共著をまとめ、今もこの研究会は続き、次の成果をまとめようとしているところである、といったことを話した後、今後の阿木津さんへの「お願い」?として、次のような話をした。会場には差しさわりのある参加者もいらしたかもしれない。
私は、数年前、友人から次のような話を聞いた。私たちの大先輩である若桑みどりさんが紫綬褒章を受けられた際、一緒に受章したその友人と皇居で拝謁を待つ間だったか、控の間で、ひそひそ話をし、若桑さんは、「勲章はもらいたくもないけれど、分からずやの男性たちには、少しばかり効用があってね、教授会などでも、自分の発言力が少し違ってくる」といった趣旨のことを話されたそうだ。
若桑さんの言葉には、国家と文芸、国家と学問という重い課題が含まれていないか。文芸や研究は、国や権力からの自立が、その根幹と思っている私には、とても重大な発言に思われた。
最後に、「阿木津さん、文化勲章は、貰わないでください。文化功労者にもならないでください。国家は、権力は、さまざまな甘い誘惑を仕掛けてきます。芸術選奨などという踏み絵もあります。阿木津さんの底力で踏みとどまってください、頑張ってください」とお願いしたというわけである。
阿木津さんは大笑いされていたけれど、苦笑される参加者も多かったかもしれない。似つかわしくない発言だったかもしれない。その後の休憩時間に、大先輩や同世代の近代文学の研究者たちからは、「さっきの発言、率直でよかった」「岡井隆の例もありますからね」などと声を掛けられたのだが~。
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