今年の歌会始~「震災詠」が果たす役割
1月12日、ここ数年、見ることもなかった「歌会始」のテレビ中継を見た(10時30分~11時45分?12時近かったかもしれない)。今年のお題は、「岸」。入選作は、年の順で若い人から詠み上げられていた。作品は、独特な節回しで2回詠み上げられ、テレビの画面では、散らし書きの文字でも映し出される。一首づつ、作者の紹介と作品への思いなどがNHKアナによって語られる。召人の堤清二、選者永田和宏の作品が続き、皇族では常陸宮妃、皇太子妃、皇太子、皇后、天皇の順に詠み上げられた。今年の歌壇の特徴ともいえた「震災詠」が歌会始でも多かった。天皇、常陸宮妃の作品はそれとすぐ分かるが、皇后、皇太子妃の作品は、中継時のNHKのコメントや宮内庁の資料による解説がないと分かりにくい。他に、秋篠宮、秋篠宮妃の作品も東日本大震災にかかるものだった。
詠み上げられた作品は、10首の入選作と次の堤清二の以下の作品だった。入選作の中からは、最年少と最年長の入選者の作品と「震災詠」のみを掲げた。(宮内庁の資料では、皇族の作品には数行のコメントが付されている。また選歌入選者の年齢は記されていないが、新聞記事などにより補った。敬称はすべて略した)
岸辺から手を振る君に振りかへすけれど夕日で君がみえない
大阪府 伊藤可奈(17)
巻き戻すことのできない現実がずつしり重き海岸通り
福島県 沢辺裕栄子(39)
相馬市の海岸近くの避難所に吾子ゐるを知り三日眠れず
奈良県 山崎孝次郎(72)
いわきより北へと向かふ日を待ちて常磐線は海岸を行く
茨城県 寺門龍一(81)
****
雲浮ぶ波音高き岸の辺に菫咲くなり春を迎へて
(召人・堤清二)
舫ひ解けて静かに岸を離れゆく舟あり人に恋ひつつあれば
(選者・永田和宏)
被災地の復興ねがひ東北の岸べに花火はじまらむとす
(常陸宮妃)
春あさき林あゆめば仁田沼の岸辺に群れてみづばせう咲く
(皇太子妃)
朝まだき十和田湖岸におりたてばはるかに黒き八甲田見ゆ
(皇太子)
帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を
歳時記に見ず (皇后)
津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く
静まる (天皇)
儀式そのものが、かつてより短く思えたのは、天皇はじめ皇族方の高齢化を配慮してのことだろうか。天皇・皇后には熱心に耳を傾けている表情が伺え、入選者たちの緊張した面持ちは伝わってきた。ただ、大写しされる常陸宮の表情には、正直、少しばかりハラハラさせられた。かなりの負担のようにも思われた。療養中ということで、雅子さんの欠席も続いている。
今年の応募歌数は1万8830首、これは、宮内庁のホームページで「最近のお題と詠進歌数」というサイトを見ると分かるように、平成への代替わりの再開直後、1991年(平成3)、1992年(平成4)は、約1万3900、1万8900首とかなり減少しながら、その後はともかく2万首前後を推移して、2005年(平成17)には2万7000首余に及んだこともあった。今年は、明らかにガクンと減った感じである。
ここにも東日本大震災の影響がみられるのだろう。
今年の歌会始の中継や新聞記事を見て思うのは、その見出しでも明らかのように「被災地思い『岸』を詠む」(『朝日新聞』夕刊1月12日)、「被災地に思い重ね歌会始」(『毎日新聞』朝刊1月13日)「歌会始、お題は『岸』・・・東北多く詠まれる」(YOMIURI ONLINE 1月12日13時33分)という具合で、全体として「大震災の被災地への思い」という強いメッセージが発信されているのがわかる。今年は、歌会始が一体となって、一つのメッセージを発していたので、むしろわかりやすかったのだが、 例年同じようなことが繰り返されていたのではないか。 私はかつて、以下のように指摘したことがある。
「近年の歌会始の天皇・皇后はじめ皇族たちの作品を一覧してみると、年ごとの天皇家の家族異動、皇室行事、国家的・国際的行事、事件・災害などにふれ、理想的な家族像、世界平和、環境保全、福祉増進、文化振興」への期待が語られ、全作品あわせた総体として、さまざまな配慮、バランスをもって構成されていることがわかる。歌会始の皇族たちの作品がこのような傾向を持つことは、敗戦後の(歌会始が再開した)1947年からの大きな流れであった。」(「昭和天皇の短歌は国民に何を伝えたか―象徴天皇制下におけるそのメッセージ性と政治的機能」『象徴天皇の現在』五十嵐暁郎編 世織書房 2008年6月、所収)
とくに、大震災後、天皇・皇后をはじめとする皇族方の発言や被災地訪問、そしていくつかの短歌作品が折に触れて発表されることによって、大震災の被害地対策・被害者対策において、政府や企業、あるいは自治体の後手、後手の情けない対応の足りない部分の補完をしていたのではなかったか。根本的な復旧や復興、問題解決の困難から一時的にでも逃避させる機能を担ってはいなかったか。これは、皇族方個人の善意とは全くかかわらないところでの政治的役割を果たしているにちがいない、とも思う。
また、「歌会始」について、皇室と国民を結ぶ「文化的な架け橋」のような評価をする人たちがいる。しかし、選者の在り様や応募者(入選者)たちを見ていると、短歌の熟達者あるいは素朴な短歌愛好者であり、皇室を敬慕する国民の一人というというイメージとは結びつきにくい。選者や入選者たちについて報道されるエピソードなどを知るにつけ、そのイメージからは遠のくのである。最近はとくに10代の中学生や高校生などが入選者に混じる。その多くは、学校ぐるみで、国語の一環としての作歌された一首を応募させたりしている例が多く、いくつかの「名門校」があるらしい。また、「応募何十回の悲願の入選」というややマニアックなエピソードもある。まるで、クイズのような様相を呈してはいないか。そんなことを考えていると、文芸や文化とはどんどんかけ離れて行ってしまうような気がするのだが。そもそも「遊び」ならばそれらしく、と思う。
平成二十四歌会始御製御歌及び詠進歌
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h24.pdf
最近のお題及び詠進歌数等
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/eishinkasu.html
| 固定リンク
コメント