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2012年1月15日 (日)

今年の歌会始、ふたたび~国家と文芸

 

 大げさなサブタイトルなのだが、いま、書き留めておきたい、今年の歌会始の報道を見ての感想である。「召人」として堤清二の短歌作品が「披講」、読み上げられたときの何とも言えない違和感だった。

「召人」という、すでに「死語」とも思えるよう古色蒼然とした言葉が生きていることも驚きなのだが、宮内庁ホームページの「用語集」によれば「召人」とは<天皇から特に召されて短歌を詠む者(その歌を「召歌」(めしうた)という>ということだ。堤清二は、セゾングループを率いた財界人であったし、辻井喬という名を持つ、詩人・小説家でもある。さらに、彼は東大在学中に全学連の活動家でもあったことが、エピソードとして喧伝されている。そして、近年は、20054月に発足した「マスコミ9条」の発起人やまた、世界平和アピール委員会の7人委員の一人として、憲法擁護の活動に熱心になった。宮内庁は、天皇・皇后サイドからの要請もあって、実現したのではないかな、など憶測できる選任に思えた。すでに2000年に小説『風の生涯』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞、2007年には芸術院会員を受けているので、断られる心配もなかったのでは。
 
 一方、堤は、革新政党や組合の機関誌などにも、登場するようになった。いつかネット上でも見たことのある「国家と文芸」との関係についての発言、今回あらためて検索してみると、次のようなくだりがあった。

  「小説、詩集、評論と次々話題作を発表する辻井喬氏。九条の会の講演では安倍政権の改憲路線を厳しく批判しました。新作の『萱刈(かやかり)』(新潮社)はカフカ的世界を通じて近代日本の矛盾にせまった異色作。新作刊行を機に東京・銀座の事務所をたずねました。

 「芸術は体制を批判するから成り立つ。体制べったりの芸術は三流です」 そう言いきる辻井さん。かつてセゾングループ代表として経済同友会の副代表幹事もつとめた人だけに、ドキリとします。」

(月曜インタビュー「作家辻井喬さん・家父長制に抵抗して精神形成 近代化と伝統の矛盾描く新作」 『しんぶん赤旗』200772日)

「芸術は体制を批判するから成り立つ。体制べったりの芸術は三流です」という明確な発言と一連の国家的褒章、栄誉との間に齟齬はなかったのか、というのが私の違和感の要因ではなかったか。国家と文芸をめぐって危うい関係にある文学者を、国は取り込むのに余念がない。一方、「憲法9条を守る一点で」「啄木を評価する一点で」「…する一点で」という共通項で包摂し、広い度量で登場させるルーズな風潮を、いささか苦々しく思うのだ。その人間のトータルな活動や評価に目を覆うことにもなりはしまいか。「宣伝」になればと割り切ってどんなメディアにも登場する芸人やタレントたちに抵抗がないのと同じなのだろうか。それを受け入れ、助長するメデイアや受け手たる国民の認識にも問題があることは確かなのだ。

 

 

 

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