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2012年3月27日 (火)

佐倉市立美術館「荒谷直之介展」に出かける

  はっきりしない天気が続いたあとだけに、春の日差しがまぶしい。ウォーキングコースの一つでもある、井野本村のウメが一気にほぼ満開となった。サクラの蕾はまだ固い。天気の続くうちにと、佐倉市立美術館に出かけた。お目当ては、佐倉ゆかりの画家「荒谷直之介と水彩画」である。
 荒谷直之介(19021994)は、富山県高岡市に生まれ、画家を志して上京、1918年からは水彩画家、赤城泰舒に師事、黒田清輝の洋画研究所にも入門、1920年、日本水彩画会展に「夜の自画像」で初入選、以降、同会展、一水会展を中心に作品を発表。1940年には、春日部たすく、小堀進らと水彩連盟を結成、日本の近代美術史で、軽視されがちだった水彩画の位置を高めたという。荒谷は、人物画を得意とし、1968年に佐倉市志津に転居、この地で他界した。
 存命中の1989年に「水彩画に生きる荒谷直之介展」が臼井公民館で開催されており、2000年には、<佐倉・房総ゆかりの作家たち>のシリーズで「小堀進・荒谷直之介・柴田祐作の水彩画」(佐倉市立美術館)の展示もあったというが、私には今回の展覧会が初めてである。今回の展示では、荒谷作品は9点ほどなのだが、絵画ジャンル「水彩画」の役割に焦点をあてた展示にもなっている。洋画習得の過程としての水彩画、彩色技法としての水彩、絵画ジャンル水彩画の確立、と沿革をたどり、「会場芸術としての水彩画」として荒谷の作品が並ぶ。また「仲間たち」として小堀進、春日部たすく、柴田祐作の作品が2点ずつ展示されていた。「佐倉ゆかりの」と言えば、浅井忠が有名で、市立美術館の横にも、スケッチブックと絵筆を持って立つ銅像がある。
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美術館横の浅井忠像


 私が荒谷の名を知ったのは、昨年、『ポトナム』という古い短歌雑誌を見ていたら、
1941年の表紙絵を描いていたのだ。編集後記には「昭和奨励賞」受賞の新進の画家として紹介されていた。シンプルな女性像ながら、新鮮さがあったから、なんとなく記憶にとどめていたのである。1989年の展覧会カタログの年譜によれば、1940年、「版画家K氏の像」(1939年)が「昭和洋画奨励賞」を受けていた。そして、その「版画家K氏」とは、なんと、先月、千葉市立美術館での寄贈コレクションとして、田中一村と同時に公開されていた「昭和大東京百図絵」の小泉癸巳男だったのである(蓑輪正信「荒谷直之介の水彩画」1989年カタログ、本ブログ217日記事参照)。また、1939年には、目黒から池袋モンパルナスに居を移し、そこにはすでに、水彩連盟をともに結成した春日部たすくも住んでいたのではなかったか。私の生家のある池袋ゆかりの画家でもあったのだ。春日部の名は、子供心に、池袋在住の画家として、その名を聞いていた記憶がある。今回の展示には、上記版画家K氏を描いた絵は見られなかったが、1989年のカタログには、掲載されていた。仕事部屋の雑然とした背景と和服姿で座布団に座る像は、丸いメガネの奥の視線と結んだ口元が一徹さを表しているかのようだ。1939年の第3回一水会展に初出品して初入選した「少女立像」は、今回の展覧会のチラシのメインとして掲載されているので見かけた人も多いかもしれない。縦じまのグレーのチャイナ服を着た少女の眼差しが気になる横顔である。

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「小堀進・荒谷直之介・柴田祐作の水彩画」展(2000年)カタログより

 また、荒谷と同行の小堀進(19041975)は、潮来出身、旧制佐原中学校卒業で、日本水彩画会展、白日会展で活躍、1974年、水彩画家として初めて「芸術院会員」になったとのこと。今回出品の「カンヌ」(1964)と「晨」(1974)、前者は、ブロバンスの海岸に迫って立つホテルかマンションのピンクの壁が印象的であり、後者は、山なみの奥から白い噴煙をなびかせている構図で、近くの山、遠い山の単純化や大胆でシンプルな色調が心地よく思えた。また彼に師事して白日会の重鎮でもある柴田祐作(1925~)は佐原出身で、好んで水郷風景を描いている。今回出品の1点「川岸風景」(1955)は小野川沿いの古い町並みだった。おそらく311の大震災で、大きな打撃を受けて、損壊した辺りではなかったか。
 池袋生まれ、佐原への疎開、いま住まう佐倉という私との縁を勝手に思い描きつつ、ゆかりの画家たちの水彩画を堪能した時間だった。
それにもう一つ、「短歌ハーモニー歌会」のお世話役であるMさんは、志津にお住いの荒谷ご夫妻をご存じだったという。ご主人のお母様が荒谷夫人と親友だったらしいことがわかったという。来月の歌会の後は、荒谷さんの話で盛り上がるかもしれない。

 帰り道は、お囃子館、佐倉市立図書館を経て、京成佐倉に向かう。ここも、やはりシャッター通りに近い状態だった。

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