『GET Back,SUB!あるリトル・マガジンの魂』を読む
2009年の春、当ブログに4回にわたって、私が参加している「ポトナム短歌会」の昭和初期からの大先達である小島清について書いたことがある。プライベートでもお世話になり、私にとっては大切な歌人のお一人であった。ここでは、ふだん通りに先生と呼ばせていただくが、その拙文を書いているさなか、1970年代、私の職場へカメラマンとして訪ねて来られ、初めてお会いしたことがある先生の長男であるMさんのことが気になっていた。インターネット上で、Mさんについてらしい情報がいくつか散見されたが、不確かなまま打ち過ぎていた。
今年に入って、下記の当ブログへのアクセスが少し増えたかな、と思っていたところ、Mさん(1941~2003)の関係記事に歌人小島清の名が登場していたことが分かった。さらに、サブカルチュア雑誌の編集長だったというMさんの足跡をたどった『GET Back,SUB!あるリトル・マガジンの魂』(北沢夏音著、写真・浅井慎平、跋・草森紳一 本の雑誌社)が昨年10月に出版されていたことを知り、さっそく読んでみた。そこには、これまで、私たちの知らなかったMさんの姿、その全貌と劇的な生涯を知って衝撃を受けるのだった。1970年代から80年代にかけて、神戸や東京で、『ぶっく・れびゅう』『SUB』『季刊ドレッサージ』『季刊ギャロップ』などの編集長として、当時もその後も、伝説的に語られることが多かったという。本を読んでいると、広告の企画者や雑誌の編集者としての才能やジャンルの広さ、交友関係の世代の幅や華やかさに息をのむものがあった。執筆者としてジョン・レノン、小野洋子、瀧口修三、秋山邦晴、寺山修司、谷川俊太郎、三島由紀夫、横尾忠則、植草甚一・・・と続き、諏訪優、富士正晴の連載まである。小森和子や淀川長治、森茉莉、石津謙介、辻まこと・・・。著者は、関係者への取材を丹念に続け、この一冊をなした。今回の本に写真や跋文を寄せている浅井や草森らはじめ、かかわった多くの人々が迷惑をこうむりながらも彼の個性や才能を惜しみつつ、いわば破滅的ともとれる最期やその生き方を受け入れようとしているのがよくわかった。「サブカル」が「サブカル」であることすら難しい、すべてがメジャー化に向かってしまう現在からみると、少しだけ前の話なのに、時代の熱気を思い起こさせる一冊であった。
小島清先生は、1979年に亡くなっているので、Mさんのもっとも充実した仕事を見守っていたことになるのではないか。
小島清(1905~1979)~戦中戦後「節をまげざる」歌人(1)~(4)
(2009年3月15日、16日、4月8日、22日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/03/19051979-d9df.html
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/03/19051979-d76e.html
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/04/19051979-b513.html
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/04/1-1f4a.html
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