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2012年4月29日 (日)

「朝日歌壇」、小学生短歌の入選について~『ポトナム』5月号「短歌時評」に書きました

 『ポトナム』で「歌壇時評」の連載が始まりました。4回ほど続きます。5月号では、「朝日歌壇」で今、盛り上がっている小学生短歌について書きました。

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 新聞歌壇のあまり熱心な読者ではないが、近頃、「朝日歌壇」の妙な現象が気にかかっている。四人の選者が競うように、小・中学生の短歌を入選作として選び、お孫さんの成長に目を細めているような光景なのだ。二〇一〇年頃からか、ある小学生姉妹と母親の家族三人がそろって同じ日の「歌壇」に発表されることが多くなり、話題を呼んだ。二〇一一年には、父親も加わって家族四人の歌集まで出版されていた(松田わこ・梨子・徹・由紀子『たんかでさんぽ』角川出版)。これまでも、坂口弘、公田耕一、郷隼人ら、その境遇とあいまって一般読者の話題になったこともあった。 

 昨年の大震災以降、私は他の新聞歌壇とともに少し目を通すようになり、被災者の入選作からは、多くのことを学ばせてもらっている。「朝日歌壇」では、依然として、小・中学生たちの入選が相次ぎ、一過性のことでもないようである。大震災後の四月一〇日、「地震の中で赤ちゃん産んだお母さん温かいシチューとどけてあげたい(富山市・松田わこ、馬場あき子、高野公彦選)」「炊き出しを笑顔で手伝う中学生青いジャージに粉雪が降る(富山市・松田梨子、佐佐木幸綱選)」に加えて、「地震きて水が止まって水くみの手伝いママになった気分(笠間市・篠原空、高野選)」の一首も加わった。 

 以下はいずれも九月二六日の入選作だが、永田の短評には「梨子ちゃんは子どもの歌の域を脱している。早く大人になりたい妹と逡巡する青春と。十首目の結ちゃんは小学一年生」とあり、馬場は「好調の梨子ちゃん。〈さなぎ〉の形容がいい」と記す。 

①今すぐに大人になりたい妹とさなぎのままでいたい私と 

(富山市・松田梨子、永田・馬場選) 

②夏の日に車いすの輪の中で弾くモーツァルトを私は忘れない 

(富山市・松田わこ、永田選) 

③わたしはねきょうはたいへんえにっきでちがうこともしないといけない

  (つくば市・藪崎結・永田選) 

また、今年二月六日には、年齢は不明ながら、次のような幼い作者たちが加わっていた。常連の松田わこ作品も馬場・高野選となり、四〇首の入選作の内、八首が小学生らの作品に思われた。 

④冬休みあやとりのわざできたんだきょうがはじめて四だんばしご

(京都市・室文子、佐佐木選) 

⑤大みそか初めて打った除夜のかね寒さがいっしゅんおどろいてにげた

(笠間市・高野花緒、高野・永田選) 

⑥直己兄ちゃん成人になる赤飯は梅の形に私がぬいた 

(横浜市・高橋理沙子、永田選) 

 歌壇人口の高齢化が進むにしたがって、短歌総合誌の新人賞の受賞者たちの低年齢化が進み、主催者と選考委員、選者たちの一種の焦りのようにも感じられた。だからと言って、たとえば「新聞歌壇」における幼い者たちの片言のような作品を珠玉のように褒めそやすのはいかがなものだろうか。年少者のナイーブな感性を大切にし、育てたい気持ちは分かるが、現代短歌史において新聞歌壇や短歌新人賞の役割~短歌入門者習作・発表の場、新人の発掘、多くの読者の意見表明・感情表白交換の場でもあったことも忘れたくはない。「大人」の切磋琢磨の領分を侵すことにはならないか。歌人団体や新聞社・放送局の短歌大会、有名歌人名を冠した短歌賞などにはジュニア部門が設けられている。「学生百人一首」(東洋大学)、「短歌甲子園」(盛岡市)など対象を限る例も多い。私には「住み分け」が必要と思われるのだが、新聞社や選者たちの意見が聞きたい。

 

                                  (『ポトナム』2012年5月号)

ポトナム短歌会のホームページ<短歌時評/5月>でもご覧になれます。

http://www4.ocn.ne.jp/~potonamu/index.html

阿木津英さんの下記のブログに上記記事を紹介頂きましたが、そちらでの意見交換が盛んなようです。あわせてご覧ください。(2012年11月12日)

http://hanabusamura.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8338359

 

 

 

 

 

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コメント

私もひいきだとつねづね感じていました。ここ何年間新聞に載らない日が数えるほどしかしかありません。そんなことはプロでもあり得ないと思います。同じ作品を私の名前で投稿したら絶対選ばれないと思います。このような優遇は彼女たちを潰す行為であるとも感じます。

投稿: | 2014年12月28日 (日) 21時13分

はじめまして。私は短歌などは作れないただのおばさんですが、内野さん、猫さんのおっしゃることに全く同感です。
今までずっと不思議に思ってきたのです。
子どもたちの感性に感動する方もいるのかもしれませんが、私は松田姉妹など常連の子どもの”つぶやき”には感動したことがありません。短歌甲子園などの高校生の短歌はみずみずしさに感動を覚えますが、子どもの絵日記みたいなものには興味がありません。
子どもの作ったものを批判できない、評価しないと古いという雰囲気になっている気がしますが、そんなに子どもに媚びてどうするのでしょうか。松田姉妹をアイドルとして短歌ブームでも起こすつもりなのかな、なんてうがった考えをもってしまいます。。

投稿: きゅうべえ | 2014年1月20日 (月) 13時37分

はじめまして。

今日朝日歌壇で久しぶりに郷さんの作品を読みましたことから、内野様のブログのこの記事に行きつきました。

私は自分では短歌も詠まず、(心の中だけでその時の感動を『短歌もどき』にする程度)の普通の50代の女です。

松田姉妹や、他の幼い子供、若い世代の人たちの歌の入選について、「なるほど、そのようにお考えになる方もいるのだな。」と改めて気づきました。

短歌を素として生業になさったり、短歌を突き詰めておられたりする方は、新聞社や選者の姿勢に対して、そのような考えを持たれることもあるのでしょう。

しかし、これは短歌の同人誌(というのでしょうか?)ではなく万人が読む新聞での投稿、発表です。こういった若い方の「つたない」ととられがちな作品でも、私のような素人のおばさんの心を強く揺さぶるものもあります。

お怒りや不満の気持ちはあるでしょうが、私など(中学生の国語教育のほんの一端に携わっています)は、こういった若い人の作品がだれの目にも触れて、これまで短歌に興味のなかった人や若い人が短歌を詠んだり、読んだりし、その世界の楽しさに気づくきっかけになることこそが、新聞の歌壇の役割ではないかと思っています。
選者の方の意図はわかりませんが、短歌を詠んでみたい、でもできない、そんな多くの一般の読者の中では、これらの「つたない」歌を目にすることのできる意義は大きいかと思います。

いいなと、思うもの、反対にそれほどでもないな、と思うものは何も若い世代だけの作品に限っていないと思います。


内野様の、「猫」さんからののコメントへの返信にもありますように、きっと私は「残念ながら」の片棒を担ぐ人間なのでしょうね。

投稿: けろちゃん | 2014年1月20日 (月) 09時53分

猫さん、コメントありがとうごさいます。朝日歌壇愛読者、短歌愛好者からでしょうか、アクセスが増えています。残念ながら小学生優遇?の状況はあまり変わりそうにないですね。子役の出番が多いTVドラマやAKB48の登場が多くなったNHKの現象と共通するものがあるのでしょうか。

投稿: 内野 | 2012年6月15日 (金) 17時42分

はじめまして。おっしゃることに全く同感です。朝日歌壇の松田姉妹および子どもの投稿者優遇ぶりは目に余ります。ときにはいいなと思うこともありますが、大抵はそんなに素晴らしい作品とは思えません。松田姉妹が選ばれることでより優れた大人の作品が選に漏れるのはおかしいと思います。

投稿: 猫 | 2012年6月10日 (日) 15時42分

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