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2012年5月30日 (水)

佐倉市議会6月定例会始まる、市長は何を考えているのか

 

佐倉市議会2月定例会は、個人的な仕事もあって、傍聴も少し遠ざかっていた。6月の定例会に先立って開かれた、5299時からの会派代表者会議と1030分からの議会運営委員会を傍聴した。不勉強な市民だったが、会派代表者会議を傍聴出来ることは、今回初めて知った。6月定例会での私の関心事は、とりあえず次の2件であるが、この先、何が起こるかわからない。

 

副市長二人制は、どうなるの? 

蕨市長は、24年度から産業振興を図るべく?国交省から人を招いて、副市長二人制を提案して、多数決で成立させたばかりだった。ところが、4月下旬、私たち市民にも、その市長が現在一人の鎌田副市長に辞任を迫っているというニュースが流れてきた。 前市長時代から、11年間務めてきた鎌田副市長は昨年再任されたばかりだったが、邪魔になってきたというのだ。市長は、副市長の言いなりと噂された時代もあった。昨年からの原発事故、佐倉市の放射能ホットスポット対策の遅れは、副市長がネックになっていることも聞いていた。しかし、その評価は別にして、条例まで改正して、二人副市長の役割分担までことごとしく喧伝していた市長は、副市長に辞任を迫ったという。この6月は、副市長ゼロ、その先も天下りの副市長一人になるという事態になることに、どう責任をとるのか。副市長一人分の経費が節約できるのを市民は可としたいところだが、国交省から下ってきて数年で本省に戻るという若手キャリアの副市長に何ができるのか。そもそも当市の事情も分からない、そんな副市長が役に立つのかも疑問だ。企業誘致の暁の皮算用に気を吐いていた市長だが、撤退の自治体が続出する中、佐倉市だけは奇跡が起こるとでも、思っているのだろうか。 

現副市長の「一身上の都合」という理由で辞職願が提出されたというニュースが出たのが、53日の朝日新聞のみ。510日には、辞職願は受理され、5月末日で3年の任期を残して辞めることになった旨、何紙かが報じた。53日の「朝日」で知って驚いたという議員も、多かったようだ。連休中を狙って、市長は、一紙にリークしたとのうわさも飛び交う。 

質問通告によれば、この点を市長に迫る議員もいるようなので、ぜひ傍聴したいものだ。

 

「答弁が長引かないような質問をせよ」とや・・・ 

少数会派や一人会派の何人かの議員から情報が入った。4月下旬の会派代表者会議で、多数会派のさくら会から、一般質問の質疑で「申し合わせの、代表質問120分、個人質問60分の目途を超える議員がいるので、質疑時間をあらためて厳守する申し合わせをしたい」との提案がされ、第2多数会派の公明党が賛成したという。質問には、力を入れ、工夫を凝らしている市民派の少数会派や一人会派への名指しに近い攻撃もあったというのだ。議員たちの質問時間は、3年前、一問一答式の項目別方式が実施され、代表質問60分、個人質問30分以内という申し合わせは、議会事務局のタイムキーパーにより、再質問も含め、きっかりと計られ、守られているはずだ。かつての一括質問方式では、質疑込みの120分、60分で、執行部の答弁の引き延ばし作戦が“功を奏し”、議会質問は形骸化を余儀なくされていた。だから、一問一答式により、市民にもだいぶわかりやすくなったはずである。ともかく、定着しかけた今、なぜ、時間制限をするのだろう。質疑時間が長引くというのであれば、市長はじめ執行部の答弁の繰り返し、重複、要領の悪さが要因ではないか。 

この頃、よく話し合うことの多くなった市民有志が集まって、ともかく議員たち自身が、この多数2派の提案をどう理解しているのかを、各会派に面会を申し入れ、手分けして事情を聴取することになった。私たちも、議会事務局に問い合わせたり、過去の会派代表者会議の議事録などで調べたりした。さくら会の幹事長はじめ、3年前から始まった質問方式の変更、1年前の質問時間の確認、質疑時間の申し合わせなど、正確に理解されていないことが分かった。また、新人議員などは、「申し合わせ」自体を把握しておらず、「先輩の見よう見まね」「慣例」程度の認識しかなく、「引き継ぎ」や「研修」が危ぶまれた。私個人としては、「申し合わせ」によって、議員の活動が制限されること自体、疑問に思われることも多々あるのだが。今回の提案も、答弁の苦手な市長が多数会派に頼み込んだという噂も聞こえてくるのだ。ともかく5つほどの市民グループが連携して、516日、従来の申し合わせ事項を維持しながら一般質問の充実をはかる議会運営をはかること、執行部の答弁をより的確で効率の良いものとするような努力を促すこと、の2点を会派代表者と議員全員に申し入れた。 

私にも、6月定例議会に先立つ議会運営委員会で、多数2派による提案がなされ、多数決で決められてしまうという危機感があって、議会運営委員会の傍聴となったわけである。傍聴は、市民、議員も10人ほどだったろうか。副市長2人制が議題となったかつての常任総務委員会のときの市民の傍聴は、30人近かったことを思うと、やや少ない感じ。 

一般質問の質疑時間の件は最後の議題。まず、さくら会の長老のM議運委員長は、冒頭に、前回の議運に引き続き、きょうはしっかり議論してほしい。議運に先立って、執行部には、答弁の重複や繰り返しのない充実した内容となるよう申し入れてきたという。一議員として、一問一答式は市民にもわかりやすいという評価を受けているが、やはり、質疑時間の長時間化を検証してみるとその要因には、矢継ぎ早の、箇条書き的な質問、重複があり簡潔でない答弁など、質問者・答弁者の双方にある旨の発言があった。 

さくら会代表でもあるN委員が提案理由を何度かにわたって述べた。 質疑の充実を目指すもので時間制限やチェックが趣旨ではなく、昨年の統一地方選挙後の議会で、目に余る質疑時間の超過があるから、質疑を含めて120分、60分を守ってほしいからだ。質問項目の数や再質問の数も答弁を長くしている要因ではないか、と。 

市民ネットワークのI委員は、質疑時間が延びるのは、執行部の答弁の重複や繰り返しが要因で、議員の質問時間は全員守っているのであえて制限する必要はない。市民オンブズマンのW委員も、長時間化は、答弁の重複・反復、的外れが原因、委員長の執行部への申し入れもあったことだし、議員も心がけることで、時間を制限したりする必要はない。ともに、これまで議会と市民で進めてきた議会改革に逆行する提案であるから反対との表明があった。 

みんなの党のI委員は、議員の質問の仕方など能力の向上を図り、その上節度を持つことが重要ではないか。前回、提案に賛成した公明党のO委員、K副委員長は、質問時間・内容とも個人の良識に左右されるものではないか、とのことで、当初は、提案への賛成・反対かの明白な意思表示はなかった。 

提案理由が何度か確かめられる過程で、さくら会のN委員は、質問の仕方に問題があり、議員は執行部とのヒヤリングの中で答弁内容の事前チェックの要にまで及んだり、ともかく提案を「お試し期間」と思って改善がなければ再考すればよいとか、最後にはもう議論は出尽くしたから多数決だと胸をそらしたりで、その内容の薄っぺらさにへきへきとした。案の定、さくら会のM委員は、意見を求められて、新人でよくわからないと頭を抱える場面もあったり、やはり新人のH委員は、事前に答弁書を渡されれば、引き伸ばし部分をチェックできるし・・・みたいなことをいう。 会派の中でも提案理由が浸透していないのだ。理由が明確でないこと、ベテランたちが先行して決めて行ったのだろうことがよくわかった。 

暫時休憩を取ったのが12時過ぎ、いよいよ決を採る段かと思われたが、微妙な態度だった公明党の委員が、執行部への申し入れもしたことだし、6月議会で様子を見たらどうであろうかとの発言があり、委員長の議員・執行部双方の良識ある対応を見守ることでという提案がなされ、採決するに至らなかった。提案が否決されるのを避けたのだろう。この結果自体には、ひとまず安堵はした。私たち市民の全議員への「申し入れ」や提案に反対の議員たちが駅頭でチラシを撒いたことなどが成果として現れたのだろうか。しかし、議会改革の道は険しい。 

 それにしても、傍聴席で黙って聴いているのはつらいなあ。ときどき、やや“大声”でつぶやいたりすると、議会局の職員にキッとにらまれたり、委員に振り返えられたりするが、きょうの限りでは、そのつぶやきを拾っている委員もあった。会派代表者会議では、「多数会派としては、市民に対して・・・」の発言に、思わず発した「選挙で会派を選んでない!」には、「いま傍聴からの声にあったように、会派は、確かに選挙後に組んだものですが・・・」との発言。「ヒヤリングの折に答弁とよくすり合わせて・・・」の発言には、「シナリオがあるんですか?」とつぶやけば、「まるでシナリオじゃないですか、どんな答弁か事前に分かっているのですか、そういうことを普段からなさっているのですか」の反対委員の質問に、提案者はあわてて弁解していた。

 

 

 

 

 

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2012年5月16日 (水)

自治会での募金や寄付に疑問をお持ちの方へ

 これまで、私も何度か、自分の住む町の自治会や自治体での体験を通して、自治会における寄付や募金への疑問とその対応を記事にしてきました。それらの記事へ、多くのコメントをいただいているのですが、このたび、盛田守さんとまっとうさんからいただいたコメントを紹介させていただきます。
 自治会の役員になられて、あらためて疑問を持った方、疑問を呈するものの自治会の旧態を変えることが出来なかった方、あるいは問題解決にどんな方法があるか模索されている方が多いように思いました。お二人はご自分の自治会で奮闘されてきた方です。これらのコメントをヒントになさってはいかがでしょうか。

  すでにご紹介しましたが、navajoさんの4月13日のコメントと自らたちあげられたブログも、合わせてご覧ください。

http://tiikikatudou.blogspot.jp/2012/04/23-400-4-23511-23-20-httpwww.html

 

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2012年5月 9日 (水)

紫木蓮からテッセンへ

 

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今年の紫木蓮の開花は遅く、あっという間に散ってしまった。(4月22日撮影)

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今年の北海道のサクラが開花の同日に満開を迎えたというニュースを聴いていた。我が家のテッセンも蕾の期間が長かった割には、一日で一気に花開いた。(5月9日)

 

 

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2012年5月 8日 (火)

新松戸、「関さんの森」へ行ってきました

  連休は、何処へも行かずじまいだったが、最後の6日、ミニコミ誌「すてきなあなたへ」65号にも紹介のあった、「関さんの森」へ出かけてみた。ウメやサクラの花の季節にも誘われながら叶わず、はや新緑の季節となっていた。
 武蔵野線、新松戸には、初めての下車。北側に降りて、ガードをくぐると、畑が広がり、高台への坂道や階段を上る。天気がよければ、右手にはスカイツリーも見えるらしい。5分も歩くと、広い道の三叉路に出る。 

関さんの森って 

ここからが今年着工した「関さんの森」を貫通し、国道6号線へ向かう道路になる。梅林をやや迂回しながら通り抜けるようにして、伐採を少しでも減らし、梅林と関家の長屋門や土蔵を残そうという、市民や「関さんの森を育む会」の努力が実ったことになる。それに、道路用地にあった、樹齢200年以上というケンポナシの古木を今年一月、木への負担が少ない「立曳き」という方法で16mほど移植したことは、新聞やテレビでも報道されていた。移植まもない、そのケンポナシを見上げると、あちこち養生されながら、痛々しくも見えたが、若葉が出はじめていた。しかし、ほんとうに根付いたかどうかは3年ほど様子を見ないと分からないという。

「関さんの森」とは、松戸市幸谷に17世紀から続いた名主、関家のお住まいと屋敷林を擁した約6000坪、2ヘクタールに及ぶ里山であった。都市計画道路の土地収用に際して、梅林を横断することから、地権者の関家をはじめ多くの市民たちと松戸市が交渉を続けていたが、上記のような迂回の条件で決着を見た。昨年、緑の保全のために地権者・市民・行政による協議会も発足し、回を重ねている。収容に先立って、道路予定地と関係ない森の大半は、埼玉県の環境保護団体に寄付され、管理されていて、市民も自由に立ち入れる。

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移植間もないケンポナシの若葉

 

関家のお庭 

ボランティアのYさんの案内で、まず、関家のお庭を拝見。立派な通用門前の見学者の受付を経て、木戸をくぐると、右手にはサクラの古木に挟まれた形で、大ぶりなツツジ、キリシマツツジが満開だった。樹齢200年以上という、その根方には、古くから近隣の村人たちの願いごとを聴き続けてきた熊野権現の小さな祠。Yさんは「あ、ジャコウアゲハ」といって重そうなカメラを構える。そろそろ産卵期に入るという。ジャコウアゲハはウマノスズクサという毒(薬効?)のある草を食し、餌として狙う鳥たちから身を守っているという。ジャコウアゲハを食べた鳥たちは、思わず吐き出し、2度とは食べない学習をするというのだ。やや離れたところには立派なカヤの木、しめ縄をまとっていて、権現様の神木ということだった。カヤの枝を引き寄せて、Yさんは雌花と雄花の違いをよく見せてくださる。これからの季節に受粉をするが、カヤの実となるにはふた夏を越さねばならないらしい。一年目のカヤの実というのは、いまの時期、米粒くらい。足元には、小指ほどの、よく見かけるカヤの実がたくさん落ちていた。 

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樹齢200年のキリシマツツジ、手前のサクラは樹齢110年とのこと

 

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カヤの木の木洩れ日と通用門

 

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カヤの木の雄花

 

曲がり家と土蔵と長屋門 

関家の母屋は、昔は厩もあった曲がり家で、関東地方では珍しいらしい。いまも7代目の関さん一家が住んでいる。1986年建て替えられているが、それまでは茅ぶきの屋根だったそうだ。裏には竹林、前庭には、三春の滝桜の苗から育てたというベニシダレザクラ、178年というが、すでにかなりの高さとなり、若葉をそよがせていた。今年はどんな花を咲かせたのだろう。長屋門の左右には二つの土蔵、いずれも江戸時代に建てられたもので、古い方の土蔵の外壁は、上部の白壁と腰の部分のツートンに分かれる。土台に近い方は、土の壁を黒い板で覆っているように見えたが、よく見ると木目ならぬ節が見える。竹をのした「ヒシギ竹」という板が黒くなったものらしい。いまは、痛んだところから木の板に替えているとのことだった。この土蔵のそばでは、河津サクラの愛らしいサクランボを見つけた。これらの土蔵には、生活道具や古文書が保管され、古文書の一部はすでに松戸市に寄贈されているが、残る文書の調査・整理も市民有志によって始められたばかりで、1670年代の「幸谷年貢取帖」や村人全員が記名捺印した決まりごと文書などが見つかっている。 

 

長屋門といえば、私も千葉県佐原の母の実家に在ったのを思い出す。門自体はめったに開けられることはなく、母の里帰りの折の出入りはもっぱら小さなくぐり戸だった。小学校に入る前の、疎開の思い出の点景でもある。 

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ヒシギ竹のフシが見られるだろうか。梅林の枝を伐った後、
放射線量が高いかもしれないと、使えずにここに。

 

広い屋敷林 

母屋の裏の塀の外は、屋敷林の続きで、いまは、環境団体の管理下にある。エノキの巨樹や竹林が、強い風に煽られ大きく揺れていた。いったん関家の門を出て、工事中の道路を進むと左手に森への入り口がある。階段を登り、やや平地になったところにはベンチやアスレチック遊具などある。木の橋を渡ってくだると湧水池があり、隣接の民家や駐車場が見えてくる。池は手入れが行き届かず、やや荒れた感じだったが、起伏のある一帯は、格好の散策路、昨年の原発事故さえなければ、まさに森林浴と深呼吸でもしたいところである。 

 

1回オープンフォレストin 松戸 

受付では、関さんの森を支えるボランテイア団体「関さんの森を育む会」代表の武笠さんと再会することができた。昨年は、佐倉市での放射能測定が進まない中、私の参加する市民グループで武笠さんに測定をお願いしたのだった。まったくのボランテイアで、松戸から猛暑のさなかと1229日の2回も駆けつけてくださったのだ。放射能ホットスポット同士、松戸と佐倉の情報交換となった。松戸市の放射能対策は随分と進んでいるので、佐倉市の情けないような状況をつい愚痴ってしまったのだが。 

その武笠さんから、5月の12日~20日「第1回オープンフォレストin 松戸」のチラシをいただいた。実行委員会と松戸市の共催で、ボランティアが活動する市内の民有樹林や里山14か所を一挙に公開、散策と自然観察などのイベントを実施するとのこと。もちろん、「関さんの森」も参加、里山保全でも松戸市は進んでいるのがうらやましかった。

関家のご当主の関さんにもお目にかかれて、長屋門の前でご一緒のスナップを撮ってもらった。

 帰宅後、テレビを見て、つくばの竜巻被害を知った。関さん森での強風は、ただの風ではなかったのかもしれない。 

 

以下も合わせてご覧ください。

最近の「関さんの森」については、以下の記事もご参照ください。

・『「関さんの森」の奇跡』(関啓子著)を読みました。自粛の折、「関さんの森」今(2020年4月13日)l

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2020/04/post-4f952d.html

 

・関さんの森エコミュージアムのブログ:

http://www.seki-mori.com/

 

・第1回オープンフォレストin 松戸:

http://www1.koalanet.ne.jp/forest-in-matsudo/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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