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2012年5月 8日 (火)

新松戸、「関さんの森」へ行ってきました

  連休は、何処へも行かずじまいだったが、最後の6日、ミニコミ誌「すてきなあなたへ」65号にも紹介のあった、「関さんの森」へ出かけてみた。ウメやサクラの花の季節にも誘われながら叶わず、はや新緑の季節となっていた。
 武蔵野線、新松戸には、初めての下車。北側に降りて、ガードをくぐると、畑が広がり、高台への坂道や階段を上る。天気がよければ、右手にはスカイツリーも見えるらしい。5分も歩くと、広い道の三叉路に出る。 

関さんの森って 

ここからが今年着工した「関さんの森」を貫通し、国道6号線へ向かう道路になる。梅林をやや迂回しながら通り抜けるようにして、伐採を少しでも減らし、梅林と関家の長屋門や土蔵を残そうという、市民や「関さんの森を育む会」の努力が実ったことになる。それに、道路用地にあった、樹齢200年以上というケンポナシの古木を今年一月、木への負担が少ない「立曳き」という方法で16mほど移植したことは、新聞やテレビでも報道されていた。移植まもない、そのケンポナシを見上げると、あちこち養生されながら、痛々しくも見えたが、若葉が出はじめていた。しかし、ほんとうに根付いたかどうかは3年ほど様子を見ないと分からないという。

「関さんの森」とは、松戸市幸谷に17世紀から続いた名主、関家のお住まいと屋敷林を擁した約6000坪、2ヘクタールに及ぶ里山であった。都市計画道路の土地収用に際して、梅林を横断することから、地権者の関家をはじめ多くの市民たちと松戸市が交渉を続けていたが、上記のような迂回の条件で決着を見た。昨年、緑の保全のために地権者・市民・行政による協議会も発足し、回を重ねている。収容に先立って、道路予定地と関係ない森の大半は、埼玉県の環境保護団体に寄付され、管理されていて、市民も自由に立ち入れる。

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移植間もないケンポナシの若葉

 

関家のお庭 

ボランティアのYさんの案内で、まず、関家のお庭を拝見。立派な通用門前の見学者の受付を経て、木戸をくぐると、右手にはサクラの古木に挟まれた形で、大ぶりなツツジ、キリシマツツジが満開だった。樹齢200年以上という、その根方には、古くから近隣の村人たちの願いごとを聴き続けてきた熊野権現の小さな祠。Yさんは「あ、ジャコウアゲハ」といって重そうなカメラを構える。そろそろ産卵期に入るという。ジャコウアゲハはウマノスズクサという毒(薬効?)のある草を食し、餌として狙う鳥たちから身を守っているという。ジャコウアゲハを食べた鳥たちは、思わず吐き出し、2度とは食べない学習をするというのだ。やや離れたところには立派なカヤの木、しめ縄をまとっていて、権現様の神木ということだった。カヤの枝を引き寄せて、Yさんは雌花と雄花の違いをよく見せてくださる。これからの季節に受粉をするが、カヤの実となるにはふた夏を越さねばならないらしい。一年目のカヤの実というのは、いまの時期、米粒くらい。足元には、小指ほどの、よく見かけるカヤの実がたくさん落ちていた。 

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樹齢200年のキリシマツツジ、手前のサクラは樹齢110年とのこと

 

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カヤの木の木洩れ日と通用門

 

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カヤの木の雄花

 

曲がり家と土蔵と長屋門 

関家の母屋は、昔は厩もあった曲がり家で、関東地方では珍しいらしい。いまも7代目の関さん一家が住んでいる。1986年建て替えられているが、それまでは茅ぶきの屋根だったそうだ。裏には竹林、前庭には、三春の滝桜の苗から育てたというベニシダレザクラ、178年というが、すでにかなりの高さとなり、若葉をそよがせていた。今年はどんな花を咲かせたのだろう。長屋門の左右には二つの土蔵、いずれも江戸時代に建てられたもので、古い方の土蔵の外壁は、上部の白壁と腰の部分のツートンに分かれる。土台に近い方は、土の壁を黒い板で覆っているように見えたが、よく見ると木目ならぬ節が見える。竹をのした「ヒシギ竹」という板が黒くなったものらしい。いまは、痛んだところから木の板に替えているとのことだった。この土蔵のそばでは、河津サクラの愛らしいサクランボを見つけた。これらの土蔵には、生活道具や古文書が保管され、古文書の一部はすでに松戸市に寄贈されているが、残る文書の調査・整理も市民有志によって始められたばかりで、1670年代の「幸谷年貢取帖」や村人全員が記名捺印した決まりごと文書などが見つかっている。 

 

長屋門といえば、私も千葉県佐原の母の実家に在ったのを思い出す。門自体はめったに開けられることはなく、母の里帰りの折の出入りはもっぱら小さなくぐり戸だった。小学校に入る前の、疎開の思い出の点景でもある。 

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ヒシギ竹のフシが見られるだろうか。梅林の枝を伐った後、
放射線量が高いかもしれないと、使えずにここに。

 

広い屋敷林 

母屋の裏の塀の外は、屋敷林の続きで、いまは、環境団体の管理下にある。エノキの巨樹や竹林が、強い風に煽られ大きく揺れていた。いったん関家の門を出て、工事中の道路を進むと左手に森への入り口がある。階段を登り、やや平地になったところにはベンチやアスレチック遊具などある。木の橋を渡ってくだると湧水池があり、隣接の民家や駐車場が見えてくる。池は手入れが行き届かず、やや荒れた感じだったが、起伏のある一帯は、格好の散策路、昨年の原発事故さえなければ、まさに森林浴と深呼吸でもしたいところである。 

 

1回オープンフォレストin 松戸 

受付では、関さんの森を支えるボランテイア団体「関さんの森を育む会」代表の武笠さんと再会することができた。昨年は、佐倉市での放射能測定が進まない中、私の参加する市民グループで武笠さんに測定をお願いしたのだった。まったくのボランテイアで、松戸から猛暑のさなかと1229日の2回も駆けつけてくださったのだ。放射能ホットスポット同士、松戸と佐倉の情報交換となった。松戸市の放射能対策は随分と進んでいるので、佐倉市の情けないような状況をつい愚痴ってしまったのだが。 

その武笠さんから、5月の12日~20日「第1回オープンフォレストin 松戸」のチラシをいただいた。実行委員会と松戸市の共催で、ボランティアが活動する市内の民有樹林や里山14か所を一挙に公開、散策と自然観察などのイベントを実施するとのこと。もちろん、「関さんの森」も参加、里山保全でも松戸市は進んでいるのがうらやましかった。

関家のご当主の関さんにもお目にかかれて、長屋門の前でご一緒のスナップを撮ってもらった。

 帰宅後、テレビを見て、つくばの竜巻被害を知った。関さん森での強風は、ただの風ではなかったのかもしれない。 

 

以下も合わせてご覧ください。

最近の「関さんの森」については、以下の記事もご参照ください。

・『「関さんの森」の奇跡』(関啓子著)を読みました。自粛の折、「関さんの森」今(2020年4月13日)l

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2020/04/post-4f952d.html

 

・関さんの森エコミュージアムのブログ:

http://www.seki-mori.com/

 

・第1回オープンフォレストin 松戸:

http://www1.koalanet.ne.jp/forest-in-matsudo/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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