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2012年6月10日 (日)

「セザンヌ~パリとプロヴァンス」展にかつての旅を重ねて

  会期の終わり611日が迫ってから見に行くことになった。「セザンヌ・パリとプロヴァンス」展は、数年前パリと南仏を旅した折、エクス・アン・プロヴァンスからのバス旅行「セザンヌ、サント・ヴィクトワールの旅」にぶらりと参加したこともあって、見逃したくはなかった。この時は英語とフランス語に分かれてのガイドで、英語コースに入ったものの多くは聞き取れなかった!?
今回のセザンヌ展は、制作場所のパリとプロヴァンスに着目しているとのことだった。展示の構成は、初期・風景・身体・肖像・静物・晩年の6部構成であった。セザンヌは、生涯パリとプロヴァンスを数十回往復しているらしい。展示の作品には制作場所の別がオレンジと青色の〇記号が付けられている。
私は、さまざまな場所から、季節や朝夕を違えて描き分けられたサント・ヴィクトワールを確かめたかった。それにいつも何となく不機嫌そうな?セザンヌ夫人にも会いたかった。

赤いひじ掛け椅子のセザンヌ夫人、1877年(国立新美術館ホームページより)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/sezannuhujinnzou.pdf

今回は、サント・ヴィクトワール山の絵は4枚ほどで、

初期の部の①「サント・ヴィクトワールと水浴女たち」(1870年)

風景の部の②「サント・ヴィクトワール山」(188687年)

③「トロネの道とサント・ヴィクトワール山」(189697年)、

晩年の部の④「サント・ヴィクトワール山」(1902年頃)だった。

 

①は、いわゆる水浴図の一つである。

②は、エクスの北、アトリエに近い「レ・ローブの丘」からの新緑に映える山の姿が美しい一枚。セザンヌは晩年、この丘からこの山を好んで描き続けたということで、私たちの「セザンヌの旅」でも立ち寄った。アトリエから少し登ると辺りは公園になっていて、見覚えのある絵が、画家が描いただろう、その位置の三脚に飾られているという親切さであった。また、②は、少年時代から友人であったエミール・ゾラの好きな作品だったという。絵の近景として両端に松の木が配されているのは、セザンヌとゾラの友情の証、みたいな解説を聞いたことがあったが(「美の巨人たち」?)、そんな深読みをしなくても、十分魅力的な一枚だと思う。

サント・ヴィクトワール山1886-87年(国立新美術館のホームページより)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/nihonnmatu.pdf

 

③は、サント・ヴィクトワール山のかなり近いふもとの「トロネ」から描いていて、紅葉と緑の木々の向うの白い山の存在感に圧倒される。「セザンヌの旅」では、さらに山に接近した「メゾン・サント・ヴィクトワール」という新しい博物館と休憩所を兼ねたようなところで小休止したことを思い出した。

トロネの道とサント・ヴィクトワール山

http://dmituko.cocolog-nifty.com/toronekaranoyama.pdf

 

④は、その山の姿から、「レ・ローブの丘」での作品で、山の西側がやや陰りを帯び、山まで続く森は秋の気配がただよう一枚である。

 

また、少年時代の遊び場でもあった石切り場があるのは山の西側のビベミュス、今回の絵の中に「ビベミュスの岩と枝」(19001904年)というのがあり、赤い巨岩が重なり合っていて、晩年の作品ながら力強いタッチで、キュービズムの趣向が見えた。

2004年初秋の「セザンヌの旅」のスタートは、エクス・アン・プロヴァンスのド・ゴール広場で、最初に下車したのは、ここでも多くの作品を残している「ジャス・ド・ブッファン(風の館)」で、家族の別荘として利用していた屋敷である。その後人手に渡っているので、中には入れなかったが、庭園といい、館といい、立派なお屋敷だった。父の仕事を継がなかったセザンヌが、この別荘のために装飾画としての「四季」4枚を残していて、今回、初めて見たが、初期とはいえ、作風の違いが印象的だった。次に下車したのがアトリエで、観光客も多く、アトリエが雑然として、埃っぽかったことが印象に残っている。静物画に登場する壺やビンなどが並べてあり、卓上には、リンゴなどのレプリカがころがり、白いテーブルクロスなどがあしらわれていた。その庭園には、イスとテーブルが置かれ、木陰で一休みしていると、もう何匹かの猫がアトリエ出入り自由、テーブルの真中で好き放題の有様・・・。今回の展覧会では、このアトリエを再現したコーナーがあったが、なんか整い過ぎた感じがしないでもない。

 

約半日の「セザンヌの旅」だったが、その日は、アビニヨンのホテルに戻った。翌日は、マチス美術館に行きたくて、ニースまで日帰りという強行軍、あの頃はやはり少しは若かったと、近頃思う

 

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エクス・アン・プロヴァンスの朝市

Gedc2724

「セザンヌの旅」参加者配布パンフレット

Gedc2728sezannnunotabi_pannfu
「セザンヌの旅」地図 参加者配布パンフより

 http://dmituko.cocolog-nifty.com/sezannunotabitidu.pdf

サント・ヴィクトワール山の岩肌迫る(アルバムから)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/yamasemaru.pdf

 

 

 

 

 

 

 

 

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