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2012年6月17日 (日)

「高橋由一展」に行ってきました

 東京への所用ついでに、東京芸大の美術館で開催中の「高橋由一展」に寄った。動機は、きわめて個人的なものだが、やはり再会したい作品があった。
 
きょうは、日暮里で下車して、紅葉橋をわたり、紅葉坂を進み、ゆっくりお参りしたいお墓もあるのだが、谷中墓地の桜並木の道を通りぬけた。残念ながらカメラを忘れていることに気づき、ケータイしかない。上野桜木町も味わいのある街なので、いずれゆっくり回りたいが、きょうは急ぐことに。
 
東京芸術大学の左右の音楽学部・美術学部の正門には国旗が立っているが。きょうはなんの日? 近辺は、もう「鮭」尽くしのチラシやのぼりや看板で賑わう。展示は、プロローグのほか5つのコーナーで、2会場に分かれている。やはり圧倒的に高齢者が多い。


①油絵以前
②人物画歴史画
③名所風景画
④静物画
⑤東北風景画

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門を入って正面の案内板 

 私たちの小中学校時代の図工の教科書に高橋由一の鮭の絵は載っていたか。まだ、カラーの教科書ではなかったし、記憶が定かではない。手元の私が使った日本史の教科書には、黒田清輝「読書」はあるが、「鮭」はない。今回は、④コーナーで芸大所蔵、重要文化財の「鮭」(1877年頃)のほか2枚が展示され、人垣ができていた。そのリアルな克明さに、当時の人々の間でも評判だったらしい。山形県、現在の村山市の在の「伊勢屋」の「鮭」が出品されている。制作年がはっきりしないが、由一が1887年に伊勢屋に滞在していたことははっきりしているとのことである。東京芸大の新巻き鮭は右向きだが、後者は反対向きにつるされ、同様に片身の頭部寄りが削いであるが、前者の方は皮が銀色、後者は金色のためか、全体が明るく見えた。

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入場券にレイアウトされた、重要文化財、東京芸大所蔵の「鮭」

 きょうの目当ては、山形県令三島通庸が高橋由一に描かせたという栗子隧道開通の絵だ。コーナーの③にあるのか、⑤にあるのか。名所風景画のコーナーには、なじみのある名所が明治時代の実景を彷彿とさせて興味深い。「国府台真景」(1872年)は、1873年のウィーン万国博覧会に出品したというし、江の島や隅田川もそれぞれ複数あって、当時の様子がよくわかる。「愛宕山より品川沖を望む」(1877年)では、かなたに姿は見えない蒸気船の煙だけが細く描かれ、「芝浦夕陽」(1877年)には、帆を畳んだ小舟のシルエットが右手前面に大きく描かれ、沖の夕映えを際立たせていた。埋立ての始まる前の光景である。
 
目当ての作品は「栗子山隧道」と題され、トンネルの中から、そのおおきな開口部の向うに見える山なみと隧道を出て行く人々の後ろ姿をシルエットで描いたものだ。そうだ、これだったのだ。私が若いころ勤めていた国立国会図書館の書庫の壁に無造作に立てかかられたのを見たのだった。1970年代だったか、私が属していた課の「憲政資料室」で整理中だった「三島通庸文書」の中に、この作品も入っていて、図書館としては、その保管に苦慮していたらしい。詳しい経緯は、もう思い出せない。私たちの課の課長と東京国立博物館の担当課長が何度かの話し合いの結果、博物館に引き取られることになった。
 
当時の博物館の担当課長が、「かな」の書、古筆学の研究者でもあった小松茂美氏で、その風貌にも接することができたのだった。いよいよ博物館に引き取られる日が決められたので、私たちの課の職員は、書庫の隅で初めて、この作品に出会い、そして見納めることになった。ただ、この一枚でなく、もう一・二点あったように思うのだが、どんな絵だったかが思い出せない。今回、東京国立博物館から出品されている「最上川舟行」であったような気もするが、これも定かではない。「最上川舟行」は、険しい崖が切りたつ川に一艘の小舟が配される、日本画のような構図である。右側の崖の中腹には、開通した新道が筋となって描かれている。説明を受けないと分からないほどだった。由一がほんとうに描きたかったのは、最上川の小舟の方ではないか、との解説もあった。記録としての絵画の域を超えたメッセージが込められているのも、今回の⑤コーナーに見るような夥しい数の写生や石版画下絵などの営為があったからこそとも思う。
 「栗子山隧道」は、1881年、明治天皇の栗子山隧道開通式への巡幸の際、飾られた絵の一枚で、この年、暗殺された大久保利通の肖像画もあったという。今回、「大久保甲東像」として、②コーナーに展示されていた。
 三島通庸(18351888年)は、栃木、福島、山形の県令を歴任、いまでいう県知事となり、相当強引な「鬼県令」として有名で、警視総監の在職中に亡くなっている。土木工事に力を入れたが、重税・労役で県民の抵抗にも遭う。加波山事件の河野広中を投獄、自由民権運動を弾圧したことでも知られる。
 道路建設は、江戸以来の最上川経由の船運依存から陸路を開き、東京との物流に貢献したが、19世紀末、鉄道の開設により一時衰退した道路も、自動車の普及により、1930年代の昭和の大改修、1960年代の高速道路建設を経て、現在に至っている。

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上野桜木町の和菓子屋さん

 

作品「栗子山隧道」は、次のサイトで見ることができます。

http://correlative.org/exhibition/antinomie/zuidou.html

ANTINOMIE展

http://www.jice.or.jp/jishu/kokudo/200806160/product/012.html

財団法人国土技術研究センター

http://www.pref.yamagata.jp/ou/shokokanko/110001/him/him_13.html
山形県のホームページ

 

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