新刊『<3・11フクシマ>以後のフェミニズム』(御茶ノ水書房)合評会に参加しました
一つは・・・
私も執筆した上記『<3・11フクシマ>以後のフェミニズム』が刊行されて3週間が経つ。7月14日(土)には、企画編集の新フェミニズム批評の会による、いわば身内の合評会が開かれた。この会の例会は毎月第2土曜日の午後、午前中には欠かさず地域の会議があるので、なかなか参加できない。日常的に優良な会員ではないのだが、今回の執筆に参加、合評会にも参加した。
出版元や事務局の方は、いま献本事務に忙しくされているなか、私もしっかり読み込まねばと、全部で25本のエッセイ、レポート、論文を通読した。執筆者たちの原発事故体験、フクシマ体験は、まさに各人各様で、こころの底から、身の奥深くから、絞り出すような言葉、息づかいが感じられた。私にはあまりなじみのなかった文献や小説・映画などが、ポンポン飛び出してくる。複数の執筆者が重ねて触れている小説や論文などもあったので、自分の頭の整理と思って、各執筆者の著作で論じられている小説・映画・論文・文献などの一覧表を作ってみた。参加者にも配布すると、これは便利と喜んでくれる人もいらした。自分が対象にしている文献が漏れているなどの注文もついた。私は「未完ですので」と必死に叫ぶ。高良留美子さん、渡辺みえこさんのように詩を寄せている人もいる。岩井俊二『friends after 3・11』、タルコフスキー『ストーカー』、鎌仲ひとみ『六か所村ラプソデー』マリアン・デレオ『チェルノイブリ・ハート』などの映画、星新一、津島佑子、林京子、大庭みな子、金原ひとみ、川上弘美、吉村昭などの創作、大江健三郎、石牟礼道子、小出裕章ら多くの人らの発言が紹介・検証されていた。執筆者の半分以上の方々が参加されているので、それは賑やかなことだった。大塚の会場近くの2次会も、結構な盛り上りだった。
もう一つは・・・
7月24日(火)は、出版元の御茶ノ水書房の橋本社長が主催する「わが著書を語る」シリーズの会だった。この本の著者は25人、そのうち、この日参加したのは、総勢8人だった。 自分の執筆分について、約7~8分で語るのだが、難しい。私は、以下のような構成の一文を執筆している。
★
「3・11は、ニュースを変えたか
―NHK総合テレビ「ニュース7」を中心に(2011年2月13日~4月12日)」
はじめに
一.3・11までのNHK総合テレビ「ニュース7」
二.3・11直後のNHK総合テレビ「ニュース7」の震災報道
第1表:2011年3月13日(日「)ニュース7拡大版」(7時~8時30分)
三.当時の放送内容の問題点
①「計画停電」の発表報道をめぐって
②福島原発事故取材の限界と姿勢
③福島原発事故鎮静化の強調と健康被害軽視への加担
④記録と資料の重要性への警鐘
⑤明るいトッピクス偏重について
第2表:「ニュース7」上位項目と所要時間(2011年3月9日~4月12日)
四.公共放送NHKニュース番組としての「ニュース7」などの課題
①経営基盤の受信料依拠の意義
②調査報道への期待
③専門家への起用とその選定について
④「ニュース7」と他の番組との整合性について
おわりに
★
内容に触れると、とんでもなく長引いてしまいそうなので、なぜ、このテーマでまとめたか、動機を述べた。私にはマス・メデイアへの関心、期待と裏腹に、不信感があった。とくに公共放送NHKへの不信感が募っていた。
1.調査の動機
1)NHKetv特集「国際女性法廷」番組への政治介入裁判における終盤、バウネット支援をし、受信料支払い停止運動などにかかわった。
2)2008年9月10日「ニュース7」は、1時間に延長して自民党総裁選にかかる報道を45分間放映した。この政治的偏向に対して、視聴者センターに抗議すると「あれは自民党のPR。国民の関心があるからやるんで、そんなこともわからない?あはは」という応対だったので、その晩のうちに、ブログに書いた。直後よりネット上のアクセスは急増し、1日1万件の日もあったほど。ネット上の盛況を憂慮してか、NHKの視聴者センター担当者が数人で自宅近くまで謝罪にきた。担当者が失礼したのを謝罪し、近く処分の上配置換えをするという成り行きとなった。私としては、NHKに、ニュース編成の偏向や報道番組の在り方を見直してほしかったのだが、思わぬ結着となり、その顛末は新聞報道された。
3)その後は、番組担当者とのふれあいミーティング、経営委員と語る会などにも参加、意見を述べ続けている。
4)地域の憲法9条の会で、2011年2月、近頃のテレビニュース、番組っておかしくないか、大事なことは伝えず、どうでもいい芸能ネタやスポーツネタの比重が大きくない?という素朴な疑問から、会員が手分けしてとりあえず「ニュース7」の記録をとってみることにした。調査を開始して、その途中で、3・11を迎え、ニュース番組は、否応なしに変わった。どう変わったのか、変わらなかったのかのテーマがのしかかった。
2.調査・レポートの特色と限界
3・11の直後から震災報道・原発事項報道への注目度が増し、類似の調査や検証作業が公表されるようになった。* そうした中で、私の調査・レポートについて、以下の点を述べた。
1)調査の期間が偶然にも、3・11を挟んで2か月間にわたった。調査実数は14日分だが、3・11以後は、「ニュース7」は時間延長が続いた。
2)大震災・原発事故関連が報道内容の大方を占めたが、その他のニュース項目についても記録を取り、相対的な分析ができた。
3)個人の記録作業によったので、量的に限界があった。
4)「ニュース7」という番組一つに特定して、継続的に作業を進めた。
5)他局の報道番組、番組全体の中での番組の位置づけなどの比較に欠けた。
<注>
*類似の調査レポートの主なものに以下がある。その他は、本文を参照してください。
①3・11震災直後・原発爆発直後の10分間、2時間の各局報道(NHK放送文化研究所『放送研究と調査』2011年5月~6月)
②2011年4月の各局報道(NHKのOBによる放送を語る会、「マスコミ市民」)
③3・11~17日の原発事故報道(早稲田大学の伊藤守:『ドキュメントテレビは原発事故をどう伝えたか』平凡社新書 2012年3月)
④2012年3月5日~15日各局ニュース番組における原発関連報道(「あれから1年 テレビはフクシマをどうつたえたか」放送を語る会発表 2012年6月)
⑤「徹底検証テレビは原発事故をどう伝えたか」(白石草ほかour planet tv 2012年4月6日放映)
執筆者の8人以外の参加者は、研究者や一般市民の方々だったのだろうか、いろいろな意見や感想が出た。そのなかのお二人は、福島県、宮城県出身の方で、親類縁者の深刻な状況や自身が遠く離れて東京にいることによる、さまざまな軋轢も語られた。南相馬市の方は、核の平和利用という名のもとに原発がたどって来た道をあまりにも知らなかったこと、チェルノブイリという負の歴史に学ばなかったことが語られ、塩釜市の方は、いまはひたすら本当のことを知りたいと思っていること、家族や家族の絆が強調されるけれども、家族を持たない多くの人々はどうするのだろう、全体を把握してからでないと動けないというより自分から発信して、動き出さなければ、という重い発言は、身に沁みた。
会場の近くの「さくら水産」での2次会となった。隣席の御茶の水書房の橋本社長とはなんと同窓、卒業年次もかなり近い?60年安保世代と分かる。また、前の席の渡辺澄子先生は、編集委員でお世話になった。いつもお元気で圧倒される。その隣の漆田和代さんともほとんど同世代、彼女は出版社勤務を経て、道玄坂で居酒屋を開いていたという経歴の持ち主、多くの研究者や文化人のたまり場でもあったらしい。共通の知人の話で盛り上がるが、だいぶ遅くなって、一足先に失礼したのだった。
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