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2012年7月31日 (火)

NHKはオリンピック専門チャンネルか

雨来たる敗戦の日にして野に立てば五輪の金も国歌もいらず 

 この一首は、先月刊行の歌集『一樹の声』の2004年の章の拙作だ。

年表によれば、2004年のアテネオリンピックが813日から始まっている。その数日前、89日、長崎原爆の日に、関西電力美浜原発3号機の配水管の「蒸気漏れ」があって、作業員5名の死亡事故が報じられていた。冷却水が3分の1にまで下がり、一部の専門家は炉心溶融の危険性を指摘していたことを知った。点検・管理業務は、三菱重工と日本アームが実施していた。いまでこそ、その事故の重大性が私たちにも理解できるのだが、国民にはどう受け止められていたのだろう。私自身、死亡事故の記憶はよみがえるものの、詳細については思い出せない。忸怩たる思いがある。 

19999月の東海村JOC 臨界事故は、杜撰な核燃料管理により2名死亡1名重傷(後、死亡)、667名の被爆者がいたことなど、正確なことは昨年の原発事故以後に知ったことだった。地理的に隣接県での事件だったので、当時、危機感はあったものの、核燃料加工施設JOCは、住友金属鉱山の子会社だったことなどもあらためて知ったというありさまである。 

2004年オリンピックの年の前半、4月には、イラクで日本人3人が人質になった事件が起こり、5月には、北朝鮮から拉致家族5人が帰国している。

 

冒頭の一首は、アテネオリンピックで「湧き立つ」メディアや世の中への危機感を訴えたつもりだった。歌集への礼状で、この一首をあげてくださる方が多かったので、臆面もなく、掲げさせていただいた。

 

おかしくないか、オリンピック漬けの日本のメディア

 

729日のNHKテレビ「ニュース7」を見ようと思って、テレビをつけると、オリンピックの中継をやっていて、さっぱりニュースが始まらない。延々と柔道の中継が続く。715分ごろから、ふれあいセンターに電話を入れるが通じない。ようやく730分、画面はスタジオに切り替わり、ニュース仕様になったと思ったら、また、オリンピックのレポート、それが10分近く、いや8分ぐらいだったかもしれない、すぐに、また、柔道の中継に切り替わる。 

おかしくない?あらためて新聞のテレビ番組欄を見ると、朝の7時からと午後430分からが大きなひと枠で、オリンピック種目が羅列されている。その間に、のど自慢、高校野球の地方決勝戦、連続ドラマなどは通常に戻るという編成だった。二つの大きなオリンピック枠の中に、ところどころ、「中断ニュース・天気予報」、「700ニュース」などと記されているが、少なくとも、この日の夜7時台には、オリンピック以外の報道は一切なかった。ふれあいセンターの電話は、何度かけても通じない。 

午後8時からはウオーキングに出て、9時に戻っても総合テレビの画面はオリンピック。ふれあいセンターへの電話再開、通じない状況が10時過ぎまで続き、相変わらず「しばらくたってからおかけ直しください」のテープが流れるのみ。10時までの受付時間を延長したのか? 入浴後、テレビをつけてみると大河ドラマを放映中だった。 

きょうの議事堂前の脱原発の抗議デモはどうなったのかなと思いつつ、いくつかの民放を見てみた。短いながら普通のニュース番組を見てほっとする。

(ちなみに、NHK総合テレビでは、 その夜9時41分から、「平清盛」が始まる10時03分まで、ふつうのニュース報道が挿入されたそうだ)

 

730日のふれあいセンターとのやり取り 

翌朝いちばん、9時過ぎの電話は、数分で通じ、女性のオペレーターが出た。

 

質問:どうしてオリンピック一色の編成になるのか、報道番組、ふだんのニュース番組をこれほどまで軽視するのはどうしたわけか。 

回答:四年に一度のオリンピックを、オリンピック放送を楽しみにしている視 聴者が多いからです。お客様のご意見は担当者に伝えます。

ここまでは定番のやり取りなのだが、さらに「視聴者の趣向の多い少ないだけによって、こうした編成にするのはおかしい。NHKは公共放送、受信料で成り立っている以上、日常的なニュース番組を確保した上で、オリンピックの特別番組なりを編成すれば足りるのではないか。とても少数とは思えないニュース番組視聴者、たとえ視聴率が低くても少数者のためにもニュース番組を排除するのはおかしい。こうした視聴者の意見は、何処に伝えられ、どう処理されるのか」と言えば男性の上司?に代わる。そこで上記オペレーターに述べた件を含めて以下の3点を要請した。

 

①オリンピック偏重の番組編成は異常で、日常的な番組編成の中で、オリンピックの特別番組やスポーツニュースの拡大版で十分ではないか。いま、この国が内外で重大な局面を迎えているなかで、山積みの報道すべきニュースが軽視、無視されるのは、視聴者として、受信料支払者としては、納得できない。オリンピック期間はまだ先がある。8月12日までなので、再考して欲しい。こうした編成を続けるということは、国民の生活に密接な国内外の重要案件がひしめいているこの時期に、政府与党・企業、官僚・メディアが一体となって、必要以上にオリンピックに国民の眼を惹きつけさせ、それら課題から国民の眼をそらさせようとする意図さえ感じさせるほどだ。 

②上記のような意見が、今回複数、多数寄せられていると思うが、その実態と、その意見に、NHKとしてはどう対処したのか、しなかったのか。その理由を明確に、視聴者に分かるように伝えるべきだ。ネット上での「視聴者の声」の報告(週間、月間、年間)見ても、そのまとめ方では、杜撰で実態を反映していない。議事録を見ても、理事会・経営委員会でどのように報告・議論されたのかも不明である。 

③ふれあいセンターの電話がいつもつながりにくい。とくに729日(日)の状況は異常で、視聴者窓口の体をなさない。(「平清盛」の放映時間が800時から1000時に延期されたことへの問い合わせが多かったということだが)  電話回線を増やすなり、朝9時~夜10時までの受付時間を延ばすなりできないのか。 私は、かつてから折あるごとに事務連絡で済む内容の問い合わせと番組編成・内容にわたるものとは、仕分けすべきではないかと提案している。問い合わせは、回答内容が明確で短く、効率的な対応ができるはずだ。後者の意見や要望については数も少なく、別の電話番号にすればよい。待機する視聴者の身になって考えればすぐにも実行できることである。げんに受信料に関する問い合わせは、賢明にも?ふれあいセンターでは受付けず、別の窓口を開設しているではないか。ひとまずは視聴者側から選択、二次的にNHK側で仕分けることもあるかもしれない。

 

これらの質問や要請については、「担当者に伝えます」以上の回答はしない、一方通行の「ふれあい」センターなのだ。

 

 

 

 

 

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2012年7月25日 (水)

新刊『<3・11フクシマ>以後のフェミニズム』(御茶ノ水書房)合評会に参加しました

 一つは・・・
 私も執筆した上記『<311フクシマ>以後のフェミニズム』が刊行されて3週間が経つ。714日(土)には、企画編集の新フェミニズム批評の会による、いわば身内の合評会が開かれた。この会の例会は毎月第2土曜日の午後、午前中には欠かさず地域の会議があるので、なかなか参加できない。日常的に優良な会員ではないのだが、今回の執筆に参加、合評会にも参加した。
 出版元や事務局の方は、いま献本事務に忙しくされているなか、私もしっかり読み込まねばと、全部で25本のエッセイ、レポート、論文を通読した。執筆者たちの原発事故体験、フクシマ体験は、まさに各人各様で、こころの底から、身の奥深くから、絞り出すような言葉、息づかいが感じられた。私にはあまりなじみのなかった文献や小説・映画などが、ポンポン飛び出してくる。複数の執筆者が重ねて触れている小説や論文などもあったので、自分の頭の整理と思って、各執筆者の著作で論じられている小説・映画・論文・文献などの一覧表を作ってみた。参加者にも配布すると、これは便利と喜んでくれる人もいらした。自分が対象にしている文献が漏れているなどの注文もついた。私は「未完ですので」と必死に叫ぶ。高良留美子さん、渡辺みえこさんのように詩を寄せている人もいる。岩井俊二『friends after 311』、タルコフスキー『ストーカー』、鎌仲ひとみ『六か所村ラプソデー』マリアン・デレオ『チェルノイブリ・ハート』などの映画、星新一、津島佑子、林京子、大庭みな子、金原ひとみ、川上弘美、吉村昭などの創作、大江健三郎、石牟礼道子、小出裕章ら多くの人らの発言が紹介・検証されていた。執筆者の半分以上の方々が参加されているので、それは賑やかなことだった。大塚の会場近くの2次会も、結構な盛り上りだった。

もう一つは・・・ 

724日(火)は、出版元の御茶ノ水書房の橋本社長が主催する「わが著書を語る」シリーズの会だった。この本の著者は25人、そのうち、この日参加したのは、総勢8人だった。 自分の執筆分について、約78分で語るのだが、難しい。私は、以下のような構成の一文を執筆している。

 

311は、ニュースを変えたか 

―NHK総合テレビ「ニュース7」を中心に(2011213日~412日)」

はじめに 

一.311までのNHK総合テレビ「ニュース7」 

二.311直後のNHK総合テレビ「ニュース7」の震災報道 

12011313日(日「)ニュース7拡大版」(7時~830分) 

三.当時の放送内容の問題点 

①「計画停電」の発表報道をめぐって 

②福島原発事故取材の限界と姿勢 

③福島原発事故鎮静化の強調と健康被害軽視への加担 

④記録と資料の重要性への警鐘 

⑤明るいトッピクス偏重について 

2:「ニュース7」上位項目と所要時間(201139日~412日) 

四.公共放送NHKニュース番組としての「ニュース7」などの課題 

①経営基盤の受信料依拠の意義 

②調査報道への期待 

③専門家への起用とその選定について 

④「ニュース7」と他の番組との整合性について 

おわりに 

 

内容に触れると、とんでもなく長引いてしまいそうなので、なぜ、このテーマでまとめたか、動機を述べた。私にはマス・メデイアへの関心、期待と裏腹に、不信感があった。とくに公共放送NHKへの不信感が募っていた。 

1.調査の動機 

1)NHKetv特集「国際女性法廷」番組への政治介入裁判における終盤、バウネット支援をし、受信料支払い停止運動などにかかわった。 

2)2008910日「ニュース7」は、1時間に延長して自民党総裁選にかかる報道を45分間放映した。この政治的偏向に対して、視聴者センターに抗議すると「あれは自民党のPR。国民の関心があるからやるんで、そんなこともわからない?あはは」という応対だったので、その晩のうちに、ブログに書いた。直後よりネット上のアクセスは急増し、11万件の日もあったほど。ネット上の盛況を憂慮してか、NHKの視聴者センター担当者が数人で自宅近くまで謝罪にきた。担当者が失礼したのを謝罪し、近く処分の上配置換えをするという成り行きとなった。私としては、NHKに、ニュース編成の偏向や報道番組の在り方を見直してほしかったのだが、思わぬ結着となり、その顛末は新聞報道された。 

3)その後は、番組担当者とのふれあいミーティング、経営委員と語る会などにも参加、意見を述べ続けている。 

4)地域の憲法9条の会で、20112月、近頃のテレビニュース、番組っておかしくないか、大事なことは伝えず、どうでもいい芸能ネタやスポーツネタの比重が大きくない?という素朴な疑問から、会員が手分けしてとりあえず「ニュース7」の記録をとってみることにした。調査を開始して、その途中で、311を迎え、ニュース番組は、否応なしに変わった。どう変わったのか、変わらなかったのかのテーマがのしかかった。 

2.調査・レポートの特色と限界 

311の直後から震災報道・原発事項報道への注目度が増し、類似の調査や検証作業が公表されるようになった。* そうした中で、私の調査・レポートについて、以下の点を述べた。

 

1)調査の期間が偶然にも、311を挟んで2か月間にわたった。調査実数は14日分だが、311以後は、「ニュース7」は時間延長が続いた。 

2)大震災・原発事故関連が報道内容の大方を占めたが、その他のニュース項目についても記録を取り、相対的な分析ができた。 

3)個人の記録作業によったので、量的に限界があった。 

4)「ニュース7」という番組一つに特定して、継続的に作業を進めた。 

5)他局の報道番組、番組全体の中での番組の位置づけなどの比較に欠けた。

 

<注> 

*類似の調査レポートの主なものに以下がある。その他は、本文を参照してください。 

311震災直後・原発爆発直後の10分間、2時間の各局報道(NHK放送文化研究所『放送研究と調査』20115月~6月) 

20114月の各局報道(NHKOBによる放送を語る会、「マスコミ市民」) 

31117日の原発事故報道(早稲田大学の伊藤守:『ドキュメントテレビは原発事故をどう伝えたか』平凡社新書 20123月) 

201235日~15日各局ニュース番組における原発関連報道(「あれから1年 テレビはフクシマをどうつたえたか」放送を語る会発表 20126月) 

⑤「徹底検証テレビは原発事故をどう伝えたか」(白石草ほかour planet tv 201246日放映)

 

 執筆者の8人以外の参加者は、研究者や一般市民の方々だったのだろうか、いろいろな意見や感想が出た。そのなかのお二人は、福島県、宮城県出身の方で、親類縁者の深刻な状況や自身が遠く離れて東京にいることによる、さまざまな軋轢も語られた。南相馬市の方は、核の平和利用という名のもとに原発がたどって来た道をあまりにも知らなかったこと、チェルノブイリという負の歴史に学ばなかったことが語られ、塩釜市の方は、いまはひたすら本当のことを知りたいと思っていること、家族や家族の絆が強調されるけれども、家族を持たない多くの人々はどうするのだろう、全体を把握してからでないと動けないというより自分から発信して、動き出さなければ、という重い発言は、身に沁みた。

 

 会場の近くの「さくら水産」での2次会となった。隣席の御茶の水書房の橋本社長とはなんと同窓、卒業年次もかなり近い?60年安保世代と分かる。また、前の席の渡辺澄子先生は、編集委員でお世話になった。いつもお元気で圧倒される。その隣の漆田和代さんともほとんど同世代、彼女は出版社勤務を経て、道玄坂で居酒屋を開いていたという経歴の持ち主、多くの研究者や文化人のたまり場でもあったらしい。共通の知人の話で盛り上がるが、だいぶ遅くなって、一足先に失礼したのだった。

 

 

 

 

 

 

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2012年7月22日 (日)

いよいよ、おかしくなったNHK日曜討論~意見殺到か、回答を読み上げる視聴者センター

きょうの朝9時からの「日曜討論」が始まって驚いた。「延長国会のゆくえ~民主党・自民党にきく」だったのだ。「え?!」各党の討論会だと思っていたところ、司会者は民主党城島、自民党岸田国会対策委員長に、両党の段取りや駆け引きを引き出すのに懸命なのだ。これっておかしくないか。三党合意に与した自民党が、いま政府与党に言えることは、政策ではなくして、まさに政局における損得でしかありえない。民主党のマニュフェスト違反の暴走は犯罪的だが、それを鋭く衝ける身の自民党ではない。その政党としての機能がまったく果たせていない、政府与党と野党第一党に「ゆくえ」をきいてどうなるのか。

公共放送としてのメデイア、NHKは、常々、国民の生活に関係のない「政局」に傾く政治の行方に警鐘を鳴らしていたのではなかったか。少なくともそんな「ふり」を見せていたが、今日の「日曜討論」は「討論」なき討論番組だった。

そこで、とりあえず、視聴者の意見をつたえるべく「ふれあいセンター」に電話をすると、相変わらずしばらくは通じなかったが、ようやく出た係員に上記の趣旨を伝えると、ホイ来た!とばかりに、この件につき番組担当者からのメッセージがあるから読み上げるといって女性係員は読み上げ始めた。なんの事はない、この延長国会に至って、山ずみの重要法案にどう対処すべきかを与党民主党と最大野党自民党に聴くことがメデイアの任務だ、みたいなことを、るる述べるではないか。

十分聞き取れないままさらに意見を言うわけにはいかないので、私は、その内容をファックスしてください、と言えば、そういうサービスはできない、との繰り返しである。

ふれあいセンターではいつも視聴者の声は録音しますと言っているのに、なぜファックスできないのか、それができないというなら、ホームページ上の番組サイトか視聴者の声の欄でただちに公表されるべきだと伝えた。

もし、録音を起こしている方があればぜひ公表してほしい。

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佐倉市は、道路側溝の除染、いまだ手付かず

1.側溝汚染は放置状態
佐倉市は、昨年311大震災による原発事故後、教育施設・公共施設内外の放射線量の測定を続け、佐倉市のHPや広報誌などで公表を続けている。そして、除染についても現地保管という方針で、線量がある程度低減していることは承知している。20119月には、佐倉市独自の基準として「0.223μ/時間」を公表、それに向けての若干の努力は実っているのかもしれない。
しかし、道路側溝・調整池などの放射線量は、周辺よりかなり高い実態を知りながら、測定が始まったのは昨年10月の半ばであり、以下のように3回に分けて、その測定結果を公表しているものの、汚泥の仮置き場が見つからないからと除染は全くされておらず、放置されているのが現状だ。さらに、市内の自治会が毎年、梅雨時の前に実施する側溝清掃が、今年は中止になったことを41日の「こうほう佐倉」で知った段階で、市役所環境保全課、道路維持課に問い合わせた。その折のやり取りを本ブログ記事にもしているので、参照してほしい。 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2012/04/post-aed5.html

 

2.三回の測定結果は・・・ 

道路側溝・調整池の除染については、この記事以降進展がないまま、測定分公表は以下の通り3回目となった。 

20111018日~1125日測定分(156個所)、第112012319日公表 

http://www.city.sakura.lg.jp/0000004099.html 

2012123日~22日測定分(71個所)、第14201245日公表 

http://www.city.sakura.lg.jp/0000006016.html 

2012521日~65日分(53個所)、第212012621日公表 

http://www.city.sakura.lg.jp/0000006991.html

 

たとえば、この測定結果から、わが家に近い測定地点の3回の測定値を一覧してみよう。 

空間放射線量測定結果一覧~宮ノ台・西ユーカリが丘を中心に(2011.102012.6) 

(内野作成)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/souteikekkaitirann.pdf 

<注> 

・測定は地上5㎝・50cm100㎝の高さで、実施している。ここでは、地上5 の測定値の平均値のみ掲げた。 

・結果の詳細は上記①②③URLに公表されている。3回目の測定値の空欄は、前回測定値が0.2μ㏜/時間に達してないため、測定が実施されていないことを示す。 

・測定値は平均値で、単位はμ㏜/hである。 

・*測定地点の数字は市のホームページの下記のサイトAに示されているが、非常に読み取りにくい。 地図が現況と大きく異なっているので、正確な地点を示していない。井野東土地区画整理地内は西ユーカリが丘1~5丁目と宮ノ台6丁目に変更されていると宮ノ台・志津地区に限れば、20116月に町名変更があり、Bが示されているにもかかわらず、測定場所は新町名「西ユーカリが丘」ほかの町名を使用していない。 新町名は、備考欄に示した。末尾補記参照。

A.空間放射線量測定場所(志津・臼井・千代田地区) 

http://www.city.sakura.lg.jp/0000006845.html 

B.井野東土地区画整理事業に伴う町名変更図 

http://www.city.sakura.lg.jp/cmsfiles/contents/0000005/5112/nisi_yukari_zu.pdf

 一覧を見ると、この宮ノ台・西ユーカリが丘地区は、佐倉市の基準値を超えている個所が多いのがわかるさらに、1回目から数値が下がっている地点もあるが、38宮ノ台1丁目、43井野地先などは、高止まりしている感がある。前回が0.2μ㏜/hに達しなかったからといって、測定を中止するのは、適切ではなく、定点の数値の推移をみることは重要であることがわかる。ちなみに、今年の1月と2月、我が家の直近の側溝の枡2か所の地上5㎝では、0.40.8μ㏜/hを示していた。

 

3.地図表示の不備~現況と大きく異なる古い地図を使っているのはなぜか 

 上記Aの地図は、測定地点を地図に落としたものだが、第1回目の測定は、201110月半ばに始まっているにもかかわらず、201164日変更のBがまったく反映されておらず、現況とは異なっている。現実に測定しているのは、もちろん現況における新しい道路側溝・調整池であるにもかかわらず、その位置が古い地図に落とされているのはどういうわけだろうか。宮ノ台・ユーカリが丘地区は、井野東土地区画整理事業による開発で、1.6キロメートルの都市計画道路3418号線ができたり、いくつかの調整池が新設されたりして、町名と街区は大幅に変更された。井野東土地区画整理地区は若干の出入りがあって、宮ノ台6丁目と西ユーカリ15丁目にとなった。なぜ新しい地図、新しい丁目や街区で示されないのか。 

 放射線量対策の窓口である環境保全課に尋ねれば、道路維持課に回される。以下質疑の要旨。

 

なぜ古い地図を使用したのか: 

市の地図は、5年に1回くらいしか書き換えず、新しい地図はまだできていない。 

測定場所の表示・表現が「井野地先」など同じ表示がいくつも並び、地図を見ても具体的な場所が特定しにくい。なぜ新しい町名と地番の表示ができないのか: 

 表示については今後検討するが、測定地点の番号を知らせてくれれば、その地番は個別に教えますから。 

  都市計画課では、すでに町名変更図Bを作成済みにもかかわらず、それが活用しようとしない道路維持課。市民は、測定結果と古い地図の間を右往左往して、現況での測定場所がわからない仕組みである。行政縦割りの悪弊がここに表れていよう。いや、ここでは、昨年の6月には変更されている、新しい町名の「西ユーカリが丘15丁目」「宮ノ台6丁目」が測定場所として登場してこないのだ。すでに「井野東土地区画整理事業組合」は2012年2月に解散している。幻の古地図に町名変更前の字(アザ)名のみでしか示されない放射線量測定結果。市民にとっては不親切どころか、正確な事実を伝えようとしない。もしかして、一帯の開発業者の意向を忖度?佐倉の志津地区に引っ越してくる人たちは、佐倉のホットスポットを知ることになるのだろうか。

 

  なお、前回の環境保全課とのやり取りで、地図に落とした測定場所の赤・緑・青色の点、色にまったく意味がないのなら、紛らわしいので統一するように申し入れた。3回目からの地図では修正されていて、少しは見やすくなっていたのだが、古い地図を使用していたこと、現在使われてない地名が使用されていることには、今回気がついた。

 

4.なぜ側溝の除染はしないのか 

  森林や田畑を別にして、街区の放射線量を低減するには、道路端や側溝の汚泥除去が有効であることは知られているが、佐倉市は、一度も側溝の除染は実施していない。なぜかと問えば、「収集した汚泥の保管場所が確保されていないから」との回答を一年以上前から聞かされている。昨年7月、市民グループと環境部長との面談、9月の文書回答、その後の電話でのやり取り、今年の4月、今回のやり取りにおいても「保管場所が見つからない」とテープレコーダーのように繰り返す。この1年間、保管場所確保にどのような努力をしたのか、私たち市民には、一切聞こえてこない。1か月に12回開かれる放射線量対策協議会で検討しているというが埒が明かない様相だ。かたや市民は、毎日、放置された側溝からの放射線被曝を受けているというのに・・・。花火大会とか、婚活事業で二組ゴールインしたとか、はしゃいでいる場合かとも思う。 

  仮置き場の候補地として、地元と交渉中である小篠塚(旧焼却施設、1966年開設、1989年解体撤去)、6月の市議会質疑で明らかにされながら、市民にはいっこうに明らかにしようとはしない。地元の不安は、市民全体の不安でもある。市民が放射線から身を守るために、すぐにでもできることは何か。市は、例えば、市有地ないしは国や県の公有地の情報と放射線量汚染の実態を開示して、市民の知恵を求めるべきだろう。これは放射能対策全般にも共通して言えることではないか。 

 大震災で生じた瓦礫の分散化処理が喧伝され、受け入れないのは非国民のような世論形成がなされた理不尽を思う。汚泥の処理についても、私は、次のように考える。国の最終処分場確保までの仮置き場は、直近の公園や市有地ではいけないのか。もちろん安全対策を施してのことだが、施設や公園における除染で生じた除去物の現地埋立て保管の方針と同様に考えたい。いたずらに遠距離移動することのリスクや経費を考えるのは、瓦礫の分散化処理の場合と同様ではないか。

(2012年7月24日補記)

その後、道路維持課とのやり取りで、私が調べた10か所の範囲で、4か所が旧町名のままになっていることがわかった。いずれも井野東土地区画整理事業地内であって、新しい町名、宮ノ台6丁目、西ユーカリが丘1丁目あるいは4丁目となっていることが判明した。全市的に場所表示と地図を見直し、道路側溝・調整池の「空間放射線量測定結果一覧」の測定場所表示と地図自体を新しいものに訂正するよう、申し入れている。

 

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2012年7月 4日 (水)

歌集『一樹の声』と共著のエッセイ集とが刊行されました

 先月、私の第三歌集『一樹の声』が刊行されました。一部、発行元より発送させていただきました。いまは、家より少しづつ、知人の方に発送させていただいております。ここに、目次と各章2首づつを掲載いたしました。私の近況報告でもあります。装幀の三宅政吉さん、数枚の地図をお渡した だけでしたのに、ありがとうございました。

なお、添付のような『<311フクシマ>以後のフェミニズム』(新フェミニズム批評の会編 お茶の水書房)が刊行されました。私は、本ブログで一部記事といたしましたが、「311はニュースを変えたか~NHK総合テレビ「ニュース7」を中心に<2011213日~413日>」(約14頁)を寄稿しています。本屋さんの店頭などでご覧いただけたらと思います。 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/tirasi.pdf

Gedc2787

                   

Photo

『一樹の声』目次 

1.記す 2004 

  猛暑 

  プロバンスの秋 

再訪の街  

意見広告の冬 

・「君が代」をうたわぬ教師を罰しゆく戦後五十九年を猛暑と記す 

・ひたすらに闇のプロバンス走り来て深夜の駅の小さき灯り

 

2.つたえる 2005 

  風の道 

  すすき野 

  井野長割遺跡 

花のヒイラギ 

長い一日 

夕べの一樹 

・真昼間を足を投げ出し眠りいる二匹のはざまを風通り抜ける 

・給水塔解体工事の進むを見つつ見舞いに通える日々ありき

 

3.ひらく 2006 

灯らぬ窓 

スリッパを脱ぐ 

橋を越える 

ブログをひらく 

風に抗う 

早稲田近辺 

不慮の死 

墓参 

変わる図書館 

青葉の森へⅠ

 

・幾百のパソコン並ぶ図書館を訪ねその都度立ち尽くすなり 

・雨来たる敗戦の日にして野に立てば五輪の金も国歌も要らず

 

4.届ける  2007 

天を突く 

転居の朝 

短き橋 

画面の空白

 

・亡骸となりて渡れる冬田のまなか天神橋は短き橋よ 

・うたた寝の後は画面の空白をさかのぼりゆく間のしどろもどろを

 

5.刻む  2008 

  ことばが軽い 

冬のロゼッタ 

黄色のケトル 

  昭和の青春 

朱の切り口 

方形の闇 

電波時計 

体調 

ベルリン、石の迷路

 

・ない交ぜの虚実をやさしく交わしたる言葉が軽い歌壇というも 

・遺さるる電波時計は狂わずにこの世のときを刻みて明るむ

 

6.さまよう  2009 

工場の跡 

環境にやさしい 

打ち直しの綿 

夢にさまよう 

十薬 

紫烟草舎 

 礫 

百日草 

窓に拠るひと 

フィヨルドへ

 

・野ざらしのままになだるる造成の地にも冬のロゼッタ朱き 

・厩舎よりわれらを目指し歩み来る馬の首に手の届かざる

 

7.探す 2010 

あたらしき朝 

正春寺へ 

廃業の美容室 

戦跡の旅、中欧へ 

一九六〇年のコンメンタール 

人間の背中 

佐原再訪

 

・高層のビル迫りたる正春寺一樹のもとに墓を探しぬ 

・ビルケナウ強制収容所見学は使用言語の別に分かるる

 

8.続ける 2011 

311東京・千葉 

『昭和萬葉集』 

螺旋階段 

 霧 

青葉の森へⅡ 

何をやっているのか

 

・駅頭のテレビ画面に列島の津波警報の地図がまばたく 

・しろがねの糸の編み出す蜘蛛の巣の造形に息のむ朝もやのなか

 

あとがき 

著者略歴*


ながらみ書房刊(0332343227 

2012615日発行 

装幀 三宅政吉

* 著者歌歴

1959年在学の「大学短歌会」に入会、1960年「ポトナム短歌会」入会。1982年「風景短歌会」に参加、1998年「戦後短歌史とジェンダーを研究する会」に参加。歌集に『冬の手紙』(五月書房1971年)『野の記憶』(ながらみ書房 2004年)、合同歌集に『歌集グループ貌五人』(グループ貌編 1966年)『青葉の森へ』Ⅰ・Ⅱ(短歌ハーモニー編 2006年、2011年)などがある。評論集に『短歌と天皇制』(風媒社 1988年)『短歌に出会った女たち』(三一書房 1996年)『現代短歌と天皇制』(風媒社 2001年)、共著に『扉を開く女たち』(砂子屋書房 2001年)、『女たちの戦争責任』(東京堂出版 2004年)『象徴天皇の現在』(世織書房 2008年)などがある。20061月、 「内野光子のブログ―地域と短歌の可能性をさぐる」を開設した。

 

 

 

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