歌集『一樹の声』と共著のエッセイ集とが刊行されました
先月、私の第三歌集『一樹の声』が刊行されました。一部、発行元より発送させていただきました。いまは、家より少しづつ、知人の方に発送させていただいております。ここに、目次と各章2首づつを掲載いたしました。私の近況報告でもあります。装幀の三宅政吉さん、数枚の地図をお渡した だけでしたのに、ありがとうございました。
なお、添付のような『<3・11フクシマ>以後のフェミニズム』(新フェミニズム批評の会編 お茶の水書房)が刊行されました。私は、本ブログで一部記事といたしましたが、「3・11はニュースを変えたか~NHK総合テレビ「ニュース7」を中心に<2011年2月13日~4月13日>」(約14頁)を寄稿しています。本屋さんの店頭などでご覧いただけたらと思います。
http://dmituko.cocolog-nifty.com/tirasi.pdf
『一樹の声』目次
1.記す 2004年
猛暑
プロバンスの秋
再訪の街
意見広告の冬
・「君が代」をうたわぬ教師を罰しゆく戦後五十九年を猛暑と記す
・ひたすらに闇のプロバンス走り来て深夜の駅の小さき灯り
2.つたえる 2005年
風の道
すすき野
井野長割遺跡
花のヒイラギ
長い一日
夕べの一樹
・真昼間を足を投げ出し眠りいる二匹のはざまを風通り抜ける
・給水塔解体工事の進むを見つつ見舞いに通える日々ありき
3.ひらく 2006年
灯らぬ窓
スリッパを脱ぐ
橋を越える
ブログをひらく
風に抗う
早稲田近辺
不慮の死
墓参
変わる図書館
青葉の森へⅠ
・幾百のパソコン並ぶ図書館を訪ねその都度立ち尽くすなり
・雨来たる敗戦の日にして野に立てば五輪の金も国歌も要らず
4.届ける 2007年
天を突く
転居の朝
短き橋
画面の空白
・亡骸となりて渡れる冬田のまなか天神橋は短き橋よ
・うたた寝の後は画面の空白をさかのぼりゆく間のしどろもどろを
5.刻む 2008年
ことばが軽い
冬のロゼッタ
黄色のケトル
昭和の青春
朱の切り口
方形の闇
電波時計
体調
ベルリン、石の迷路
・ない交ぜの虚実をやさしく交わしたる言葉が軽い歌壇というも
・遺さるる電波時計は狂わずにこの世のときを刻みて明るむ
6.さまよう 2009年
工場の跡
環境にやさしい
打ち直しの綿
夢にさまよう
十薬
紫烟草舎
礫
百日草
窓に拠るひと
フィヨルドへ
・野ざらしのままになだるる造成の地にも冬のロゼッタ朱き
・厩舎よりわれらを目指し歩み来る馬の首に手の届かざる
7.探す 2010年
あたらしき朝
正春寺へ
廃業の美容室
戦跡の旅、中欧へ
一九六〇年のコンメンタール
人間の背中
佐原再訪
・高層のビル迫りたる正春寺一樹のもとに墓を探しぬ
・ビルケナウ強制収容所見学は使用言語の別に分かるる
8.続ける 2011年
3・11東京・千葉
『昭和萬葉集』
螺旋階段
霧
青葉の森へⅡ
何をやっているのか
・駅頭のテレビ画面に列島の津波警報の地図がまばたく
・しろがねの糸の編み出す蜘蛛の巣の造形に息のむ朝もやのなか
あとがき
著者略歴*
ながらみ書房刊(03-3234-3227)
2012年6月15日発行
装幀 三宅政吉
* 著者歌歴
1959年在学の「大学短歌会」に入会、1960年「ポトナム短歌会」入会。1982年「風景短歌会」に参加、1998年「戦後短歌史とジェンダーを研究する会」に参加。歌集に『冬の手紙』(五月書房1971年)『野の記憶』(ながらみ書房 2004年)、合同歌集に『歌集グループ貌五人』(グループ貌編 1966年)『青葉の森へ』Ⅰ・Ⅱ(短歌ハーモニー編 2006年、2011年)などがある。評論集に『短歌と天皇制』(風媒社 1988年)『短歌に出会った女たち』(三一書房 1996年)『現代短歌と天皇制』(風媒社 2001年)、共著に『扉を開く女たち』(砂子屋書房 2001年)、『女たちの戦争責任』(東京堂出版 2004年)『象徴天皇の現在』(世織書房 2008年)などがある。2006年1月、 「内野光子のブログ―地域と短歌の可能性をさぐる」を開設した。
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コメント
内野様
暑い夏がようやっと過ぎようとしています。
お変わりなくご活躍の様子ですね。
著書「一樹の声」京都の本屋では見付からず、まして伏見には本屋さんが大手筋に一軒だけで期待するにも、無理な話です。
今日、出版社ながらみ書房さんへ電話をして、
郵送をお願いしました。こころよく受けてくれ、安心しました。7月に情報を聞いてからもはや10月です。
時間がかかりすぎですね。
本の到着を楽しみにしております。
ではまた。
投稿: 高橋純一 | 2012年10月10日 (水) 15時31分
「一樹の声」を贈っていただいた梅田悦子です。ありがとうございました。お礼が遅くなり申し訳ありません。読ませていただきました。このブログも読ませていただきました。数年前、横浜の社会科教師の会に便乗して見学ツアーに参加しました。その時の見学場所のひとつが正春寺でした。「見学」しただけで、線香の一本も手向けなかったことを悔いています。確かに由緒書きは管野スガに触れていませんでした。この歌から題名は来ているのですね。「社会詠」らしこものを詠おうと日々苦心しています。そういう視点からもこの歌集から大いに学ばせて頂きたいと思っております。
・寺務所には乞いていただく由緒書き「管野スガ」なる文字見当たらず
・高層のビル迫りたる正春寺一樹のもとに墓を探しぬ
投稿: 梅田悦子 | 2012年8月25日 (土) 14時23分
高橋純一さま、いつもご訪問ありがとうございます。歌集入手の件、残念ながら、歌集の大部分は大手の出版社からでないとアマゾンや店頭には出ないと思います。エッセイ集の方は、ただ今準備中で、何とか今年中に・・・などと励んでいるところです。お励ましありがとうございます。
投稿: 内野 | 2012年7月 6日 (金) 10時35分
おはようございます。
京都はようやく、くもり空です、九州各地、四国、南紀と豪雨の被害が拡大しつつあります。この地はさして被害も無く、被害にあわれた方に申し訳なく、思い、うろうろするばかりです。いま居る場所は桃山地区、寺田屋や月桂冠の近くです。家の南の宇治川派流の橋を渡ると、中書島、
もう完全な住宅地でかっての遊興地の面影は全くありません、そういう私もこの地に来て、40数年たちました。
内野さんの新書「一樹の声」をアマゾンで検索しても、ありませんでした、この伏見には雑誌屋さんはあっても、本屋さんがありません、京都へ行けばいいのですが、ついでにと思って散在してしまいます。
でも必ず探しましょう。
つまらないことばかりでごめんなさい。
今後ともよい文をお書きください。特に天皇制についてを
期待します。
投稿: 高橋純一 | 2012年7月 6日 (金) 09時39分