緑陰の読書とはいかなかったが④断想「〈失われた時〉を見出すとき(102)(木下長宏)
④断想「〈失われた時〉を見出すとき(102)(木下長宏 『八雁』5号1912年9月)
短歌同人誌『あまだむ』は『八雁』に引き継がれ、この連載が100回を超えたことに驚いている。大教室で聴く講義のような気楽さもあるのだが、難解なことの方が多いかもしれない。今回は、画家の戦争責任がテーマであり、分かりやすかった。私もこれまでの関心事でもあり、このブログにも、藤田嗣治や花岡萬舟の戦争画、国立近代美術館所蔵の戦争画展示などについて、折に触れて書いてきたので、興味深く読んだ。
http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=55522523&blog_id=190233(2008年12月13日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/07/post-3f6e.html(2009年7月1日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/09/post-5b23.html(2009年9月21日)
葉山の神奈川近代美術館で「生誕100年記念松本竣介展」が開かれていたそうだ(巡回後、11月からは世田谷美術館でも開催される予定)。竣介といえば、数年前、板橋区立美術館の新人画会展で、そのグループの一人として、初めて絵に接した。骨太の「抵抗の夭折画家」としてのイメージが強かったが、今回のエッセイでさらにいろいろなことを知ることになった。竣介は、13歳の時、かかった脳脊髄膜炎により聴覚を失っているが、このエッセイの著者は「彼の絵のなかには〈音〉が充満している」が、「そういう〈沈黙の音〉とでもいうべき音色に耳を傾けることは、戦後の近代化がより合理化されていった教育、社会制度のなかでは蔑ろにされていくしかなかった」という認識を示した。また、竣介が生きた戦後は短かったけれど、「彼が作り上げようとしてきた〈絵〉の世界の可能性」を再評価している。戦時下の『みづゑ』誌上の陸軍省情報部の軍人たち肝いりの座談会「国防国家と美術」(1941年1月)に竣介が反論(同年4月)し、それをもって「抵抗の画家」と称される所以ともなっている。
しかし、著者は、続けて、上記の反論にもまして、敗戦直後の竣介がなした美術界への提言こそきちんと読み直すべきではないかと述べる。一つは、朝日新聞紙上において画家で医師の宮田重雄が、従軍画家として活躍した画家を名指しで、茶坊主画家、娼婦的行動と糾弾したのに対し、鶴田吾郎「戦争画家必ずしも軍国主義者に在らず」「戦争をいかに絵画にするかは画家の任務」、藤田嗣治「国民としての義務を遂行したまで」などと応酬した論争(1945年10月14日、25日)を見ていた竣介は、藤田、鶴田両先生は体験も資料も豊かであろうから、戦争画を描きつづけてくださいという、反論を残している(ボツになったという朝日新聞への投稿)。さらに、美術家団体結成に先だっての1946年1月1日付「全日本美術家に諮る」という私文書での提言である。組合、組合常設画廊の民主的・開放的な運営や公募展の在り方、海外交流、材料研究や共同購入、資料室・研究所の設置などをあげ、最後に戦争責任に触れて「芸術家としての直感でこの戦争の裏面に喰ひ入り、敢然とした態度の取れなかったことは恥じていいことだ。戦争画を描いた描かなかつたといふやうな簡単な問題ではない」と自省する内容となっている。ここに提案されていることのほとんどが、今になっても日本美術界で実現されてないことを指摘する。
私は、最近、戦時下の短歌雑誌や婦人雑誌を読むことがあるが、当時、これらの雑誌においても上記のような軍人が仕切る座談会は競うように掲載されたが、それに異を唱えるようなことをした歌人や評論家は見当たらない。また、歌人の戦争責任についていえば、敗戦直後に『人民短歌』を中心とした原初的な歌人の戦争責任追及はされたが、その後はかなり意識的に、写生論や第二芸術論、結社論にと拡散、戦時下に活躍した大家たちが悲傷や自然回帰の作品へと転じていくことにより、その責任論は後退していった。ただ、その間、例えば斎藤茂吉について、佐藤佐太郎の「戦争中国家に協力して国の要請に順応して戦力に寄与しようとした一面の作歌のあるのはこれも自然で当にさうあるべきはずのものである。そのことと自由人平和愛好者としての性格との矛盾は一見矛盾の如くで実は人間的調和のうちにある両面にすぎない」(「短歌散語」『アララギ』1946年1月)という発言は上記、藤田嗣治・鶴田吾郎の発言と同じ趣旨であることも知った。
画家たちの戦争を語るには、針生一郎ほか編『戦争と美術』(国書刊行会2007年)が必須文献のようで、手元に置くべき本かもしれない。不案内ながら以下の文献を参考にした。
参考文献
・宇佐美承:『池袋モンパルナス~大正デモクラシーの画家たち』集英社1990年
・種倉紀昭:「松本竣介における表現の自由について~絵画鑑賞教育に関連して」(『岩手大学教育学部教育実践研究指導センター紀要』7号 1997年)
・近藤史人『藤田嗣治「異邦人」の生涯』(文庫)講談社 2006年
・神坂次郎ほか編『画家たちの「戦争」』新潮社(とんぼの本) 2010年
2012年9月19日5時過ぎ、二重になった虹
最近のコメント