久しぶりの新宿で3・11を振り返る、職場のOB会へ
新宿駅で降りるのは久しぶり、というより今日の目的地南口の小田急サザンタワーへの道は、去年の3・11当日、代々木駅方面から逆に歩いてきた道で、それ以来ということになる。あの日は、乗り合わせていた山手線を降ろされ代々木駅まで線路上を歩き、代々木駅からは道路いっぱいに広がった人々の流れのままに運ばれ、ようやく新宿駅南口が見えてきた場所である。線路側の平屋のカフェや雑貨の店の中は、一部ガラスが割れ、棚が傾き、イスや商品が散乱しているところもあった。反対側の高層ビルの直下はどんなだったか記憶にない。南口には、もう人々の塊りで埋め尽くされ、その塊りが留まっているのか、鈍く動いているのか定かでない状態の中を、夫と私はひたすら歩いて、公衆電話を探し、明治通りに出ようとしていたところでもあった。
今日は、8年ぶりという、国立国会図書館時代のある部課のOB有志の会である。前回とは少しメンバーが変わって男女同数の計8人。私が11年間所属していた課だが、在職中指導を仰いだ先輩やその後もご縁のあった方々、私の退職後その課に入った方々と、かかわりはいろいろだが、声を掛けていただき、参加した。皆さんは、定年まで全うした方々ばかりで、一番の長老はもうすぐ86歳になるSさん、一番若いお二人が1944年生まれだという。男性陣は、第二のお勤めの大学も定年で辞められている三人。若い二人の一人、Oさんも退職後は私大で図書館学を教えていたが、この4月に、なんと図書館長として古巣に迎えられたのである。これまで、衆議院・参議院の事務総長の天下りや外部の大学人が就いていた職に、初めて図書館職員はえぬきの館長ということで、新聞でも話題になった。 これまでは図書館職員は副館長までにはなるが、それがトップだった。元職員にとっても画期的な出来事であった。Oさんは、大学の同じ学科のちょうどすれ違いの後輩でもあったので、一度、激励の言葉でも掛けたかったので、今日はよい機会だとも思った。一通りの近況報告では、介護や自らの健康法の話が多かったが、各々の性格も見える暮らしぶりが披露された。
Sさんは、加えて、いい機会なので、現役館長に提案があると、メモを取り出した。私の在籍中には組合の執行委員長をもされた人だ。①近頃の国立国会図書館の新聞記事が、非常に少ない、専任の職員をもって広報に力を入れよ ②図書館退職者の能力を活用せよ、OB会は就職あっせんなどにも積極的に乗り出してほしい、というものであった。なるほどとは思うが、新聞離れも著しい若い人には、ネット上の広報なども重要で、ホームページなどの充実もその一つではないかと思う。②については、退職者全体を束ねているOB会の前会長も現会長も居合わせていて、お二人からは、「OB会の加入率もあまり良くないし、業務の上でOBに介入されたくないという思いが、現役には強い。それに悪しき例が多かったのではないか」との感想も出た。館長からは、退職者の能力を活用できないかの検討は今後も進めていきたいとの言。私は、一利用者として、資料のデジタル化が進んだのはありがたいが、今年1月には検索システムが大きく変わって、戸惑っている。多様な情報の中に書誌的事項が隠れてしまっていることを何度か経験したことをいえば、「利用者には、ともかく慣れていただくことも大切で・・・」との答えに「当局的な答弁にも慣れてきたね」とのヤジも飛びだした。また、いま著作権の問題でとん挫しているという、テレビ番組の網羅的な保存についても要望して置いた。NHKだけに関しても、愛宕の放送博物館、川口のアーカイブでも、網羅的ではない。横浜の放送博物館では民放の番組も閲覧できるが、番組全体からしたらほんのわずかであること。国レベルでの網羅的な収集とアーカイブのシステムの構築に期待したいと。
何の話からか、新聞の品定めに入った。朝日が良心的という「神話」が流布していた時代もあったが、最近の朝日の堕落ぶりはひどい、それでも読売よりは、いや、読売やサンケイだって読めるところはある、毎日の取材が一番良心的だった、日経の文化欄がいいね、近頃東京新聞が頑張っている・・・。
話は尽きないのだが、会食の席は3時までとのこと。店員さんに集合写真を撮ってもらってお開きになった。風邪気味だった私は、乗換の少ないルートで帰路についたのだったが、翌日の夜中に発熱、咳に見舞われ、ただ今、謹慎中である。
↑新宿南口、小田急サザンタワーへ。3・11は写真を撮る余裕がなかった
↑最初の御馳走
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