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2012年11月21日 (水)

はじめての花の美術館、野外で歌会

  千葉県に住んでいながら、まだ出かけたことがなかった、稲毛にある「花の美術館」、1995年にオープンしたという。前夜の845のNHKニュースで、花いっぱいのクリスマスの飾り付けが放映されていた。短歌ハーモニーの会員の美多賀鼻さんの盆石教室(細川流)の展示会が開催中ということで、今月の定例歌会をここで開催することになった。
 JR稲毛駅から歩くと30分もかからないらしいが、駅前のバスターミナル②番から乗って10分足らずで到着。エントラス前の庭も広々としているし、1113日から始まったばかりの「フローラルクリスマス」が華やかで、エントランスはなかなかのにぎわいだった。300円のチケットを買ったのは、千葉市外住民の私だけだった。他の方はフリーパス。

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多目的室で開催の「盆石展」は、すでににぎわっていて、会場の中央には、体験コーナーも設えてあった。今回のテーマは「千葉の自然」で、安藤広重が歩いたという房総の各地の浮世絵をモチーフに、お盆の上に砂で絵を描くのだ。講師の美多賀鼻さんは写真のような「房州保田海岸」だった。保田といえば、石原純と原阿佐緒の逃避行先ではなかったか。江戸幕府の軍馬育成の放牧場「下総小金原」(船橋市薬円台)も描かれ、置かれた動物の小物がかわいい。盆石は、展示用には砂に糊を混ぜて固定させるが、通常はまさに「砂の絵」で、拳ほどの石と8種類の粒の大きさの白い砂(備後砂)を篩や匙のような砂とりでお盆に落として、白鳥の羽根を絵筆のように、使いこなして絵として仕上げる。 私も勧められて、傍らの広重の浮世絵集から「印旛沼風景」(佐倉市)を手本に、石を置き、砂を落とし始めたが、沼の水面、手前の田圃、右手近景の松の木の疎林、対岸の風景・・・、結局、美多賀鼻さんに席を替わって仕上げてもらった。 

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房州保田海岸

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下総小金原

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お道具

 その後は、各自持参のお弁当を野外の休憩所わきのテーブルに広げ、一休み。ピクニック気分で、持ち寄りの漬物やおやつがまわされた。私は、サツマイモの茶巾しぼり、最近新しくしたオーブンで焼いてきた。午後からは、まさに小春日和の野っぱらでの歌会というわけだ。吟行会も兼ねたわけだが、即詠ではなく、作品1首は来月歌会の宿題ということで、いつものとおり用意された作品での歌会となった。提出作品から・・・。

亡き友よ雲ノ平の草原よなつかしきものふえて老いの日
青森の父の生まれしあの家を訪ねてみた来ネムの咲く頃

 花の美術館には何度も来ているという会員の方も、楽しく過ごされたようだ。もう少し歩けば、落日の稲毛海岸、残念ながら次回の楽しみとすることにした。周辺に続く美浜区の団地は、すべて埋立地、小学校の遠足で、潮干狩りに来たあたりだろうか。先の東日本大震災では、場所によっては液状化の被害も出たそうだ。花の美術館も、そういえばしばらく休館していたいうニュースを聞いたことがある。。

 

 その晩、美多賀鼻さんから、印旛沼の盆石の絵は、あれからまた手を加え、しばらく展示しました、とのメールが入っていた。

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体験コーナー、私が手本にした上段「印旛沼_」、先生になおしていただいている。 

 

 

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2012年11月20日 (火)

ある研究会から~海軍記念日講話分析/内務省警保局図書課の人々

 大荒れの土曜日だったが、午後から20世紀メデイア研究所の研究会(早稲田大学現代政治経済研究所会議室)に参加した。山本武利、土屋礼子両先生が中心の研究会で、毎月開催され、だれでも参加することができる。毎回魅力的なテーマでの発表が多いのだが、年に12度程度か、今回の発表ははずせないと思った。 

①中嶋晋平(大阪市立大学大学院研究科都市文化研究センター研究員) 

 戦前期における海軍による広報・宣伝活動の萌芽―海軍記念日講話関係資料の分析を中心に

 

②安野一之(国際日本文化研究センター共同研究員 

 検閲官の横顔―内務省警保局図書課の人員について

 

①は、日露戦争後1906年に制定された海軍記念日―日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃滅した1905527日(~28日)にちなんだ―が海軍の宣伝・広報においてどのように機能したかを、記念日の講話関係資料を中心に分析したものだ。期間は1920年までと限られていて、発表者は、その後の昭和期、とくに満州事変後の海軍の宣伝・広報戦略の萌芽として捉えていた。記念日制定後しばらくは、内向きの記念日に過ぎなかったが、1910年から海軍志願兵の減少を機に文部省が海軍省に記念日の講話依頼がなされ、各学校等に記念日講話の実施を通達していた。多いときでも、全国で5060件だったが第1次大戦後はさらに減少したのは、記念日自体、講話内容が形骸化、マンネリ化したことが要因と考えられ、聴き手からの感想などによりその内容が軌道修正されて行ったことを評価している。日本海海戦経過などをメインとする内容から、とくに第1次大戦後は、聴き手の民衆の最新軍事事情や兵器などへの関心が高まりに対応した内容にシフトしていたことを強調していた。 

若い発表者は、わりあい淡白な論調で、「海軍と民衆との相互作用による広報・宣伝システムの構築、軌道修正がワシントン海軍軍縮条約成立後、さらに進められていく」と結ぶ。 

私は、むしろ、この後の満州事変後の1945年敗戦に至るまでの海軍の広報・宣伝戦略について聞きたかったので、変化の実態と今回の発表時期を萌芽と捉えた流れを知りたかった。そんな質問もしてみたが、今後の研究課題だということだった。また、他の参加者からも、聴き手の感想などは、「作文」のことが多く「本心」とは言えないのではないか/鎮守府は地域的に限られているので、その実施実態にも地域性の要素が大きいのではないか/講話対象は学校関係者が主だったが「民衆」と広げてしまっていいのか/講話者の育成がなされていたのか、などの質問が続いた。

 

②は、発表者からは、タイトルとサブタイトルを入れ替えてもいいような内容になるとのことわりがあった。「内務省委託本」とは、内務省が 所蔵していた検閲正本を旧東京市立図書館に委託したもので、戦後は千代田図書館、京橋図書館などの区立図書館に引き継がれている図書群だ。発表者は、千代田区立千代田図書館所蔵の内務省委託本2366冊を調査して、各図書の検閲の痕跡―検察官の押印、コメント、傍線、発行日改編などから「いつ・だれが・どのように」検閲を行ったかを検証した。さらにその結果、とくに検閲印と日付などと内務省職員録や図書課人員(属、嘱託、雇を含め)とを照合することによって、かなりの検閲実態が明らかになるが、それでも、図書課の係員の異動、属・嘱託・雇の異動、地方職員からの派遣・研修などを含めた実際の検閲担当者は、把握しにくいとのことであった。そうした作業から浮上した一人の検閲官の履歴に着目、「内山鋳之吉」(1901~?)特異な、興味深いプロフィルが紹介された。 

内務省警保局図書課の体制と人員のいまだ断片的なデータ、あるいは元職員のOB会名簿などとの照合による調査で、拡充されていく図書検閲の推移が分かる。また、上記、内山の履歴は、なるほど興味をそそるものだった。 

東京出身、五校を経て、東京帝大の英文科在学中はセツルメント活動に参加、1925年卒業後、河原崎長十郎、村山知義らと「心座」を結成、演出などを担当した。翌1926年内務省職員となりと図書課出版物検閲係勤務の傍ら、1930年頃まで演劇活動を続けている。その一方で、『朝日新聞』にたびたび出版法や出版事情についての寄稿を続けていた。1932年は図書課出版検閲係主任となり、19396月には企画院調査官に任ぜられ、内閣情報部情報官となった。その後、企画院の文書課、情報局情報官の勤務を経て、1943年には軍需相軍需官、文書課勤務となる。19447月に退官、その後は、以前からかかわりのあった湘南学園に勤務したという。 

調査中に、こうした人物に出会うと、のめり込んでしまう発表者の気持ちがよくわかった。この人物の独自の評伝がないだけに、かかわりのあった人々の自伝や回顧録、あるいは演劇史など登場してくる断片的な情報を、照合することによって、その全体像が明らかになってゆき、これまでの「検閲官」というイメージとは違ったものが見えてくるのではないか、と結ぶ。 

こうした作業は、特定の検閲官への個人的な関心や興味に留まらず、その群像や組織をさらに明確なものにしていくのではないか、と思った。参加者の一人の内務省の人員体制に詳しい研究者は、出版統制、図書検閲官僚の日本のファシズム史での位置づけの必要性を述べ、また、内務省の検閲官たちと戦後のGHQの検閲官たちとの異動に着目し、その手法の類似性を指摘された研究者もいらした。また、南原繁の内務省勤務時代に留学したことや労働法制にかかわった話は聞いたことがあったが、質問のやり取りの中で、図書課調査係にいたということなど、私ははじめて知った。 

情報局第5部第3課(文芸担当)の課長井上司朗が、歌人としての逗子八郎との両刀使いで、太平洋戦争下の歌壇に「猛威」をふるっていたこと、その逗子が昭和初期には、新短歌運動の旗手、また山岳歌人であったと評されたことなどを思い起こすが、その評価は、著作の内実、戦後の生き方などによっておのずと定まっていくのだろうと思った。

なお、「戦前期の発禁本のゆくえ」と題して、2011年2月「神田雑学大学講座」で大滝則忠 さん(当時東京農業大学教授、現国立国会図書館館長)が講演をされている。

http://www.kanda-zatsugaku.com/110218/0218.html#menu

また、 「戦前期の出版検閲と法制度」と題して、2011年7月、上記講座で浅岡邦雄さん(中京大学准教授)が講演されている。

http://www.kanda-zatsugaku.com/110702/0702.html#menu

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2012年11月13日 (火)

『一樹の声』の書評・紹介一覧

 拙著『一樹の声』の書評や紹介を掲載してくださった短歌雑誌やブログをリストにしてみました。ご執筆の皆さま、ほんとうにありがとうございました。また、沢山のお礼状もいただいております。今はお返事ができないでおりますが、多くの言葉に励まされております。ありがとうございました。当方で気付いてない場合もあるかもしれません。お詫びいたいます。お教えいただけたらうれしいです。(11月13日現在)

随時更新してまいります。

(書評・紹介)

  

声音 言葉〈えすかるご〉   紫あかね   芸術と自由284号(201291日) 

会員著作文庫・歌集一樹の声 山口美代子 国立国会図書館OB 会会報 

 (201291日) 

市民の目         今井恵子 現代短歌新聞     (201295日) 

一樹の声を届ける     阿木津英 短歌往来10月号  (2012915日) 

歌集歌書を読む「一樹の声」真中朋久 短歌10月号     (2012925日) 

私の好きな歌人のうた   吉田恵子 かがりび10月号 (2012101日) 

『一樹の声』を読む   小島三保子 丹青63号    (2012101日) 

歌集評『一樹の声』   内藤ます子 短詩形文学10月号(2012101日) 

歌集より『一樹の声』  野地安伯   白路11月号     (2012111日) 

きっと変わる、何かが動く下村すみよ  うた新聞11月号 (2012年1110日) 

個々の肉声に耳をすます 高木佳子   図書新聞    (20121117日) 

歌集紹介『一樹の声』     那須愛子    歌群 130号     (2013年1月1日)

歌集『一樹の声』    桜井美保子  冬雷2月号    (2013年2月1日)    

http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3086&syosekino=5483)) 

*一樹の声は人間の声、地に根差ざした声  

「それでも大丈夫」http://ameblo.jp/minatokaoru/entry-11305593652.html 

                     (紫あかね 2012718日)

 

 (作品抄出) 

開放区95号(田島邦彦 20121015日) 

鳶が城便り(足立勝歳  201210月)

原型   (2012年12月1日)   

*新風書架http://www.pat.hi-ho.ne.jp/yoshioka-ikuo/syoka.kami/index.htm 

                    (吉岡生夫 2012721日) 

*銀河最終便http://sho.jugem.cc/?eid=4443  (風間 祥 2012107日)

 

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2012年11月 7日 (水)

緑陰の読書とはいかなかったが<番外>『歌と戦争』(櫻本富雄)

 『歌と戦争』(櫻本富雄 アテネ書房 20053月) 

本ブログに、9月から10月にかけて、俳人、詩人、歌人、画家たちの戦時下における活動とその責任について書かれた書物をまとめて読むことになり、その感想を5回にわたって書いた。だいぶ前に『図書新聞』の求めに応じて書いた櫻本富雄著『歌と戦争』の書評(2005611日)もあらためて、ここに張り付けておきたい(本ブログ2006217日掲載)。著者の櫻本さんは、1933年生まれで、1978年『詩人と戦争』を発表以来、とくに太平洋戦争下の文化人たちの表現活動を検証し続けている詩人であり、研究者である。その手法は、自らが徹底的に発掘・収集した文献を中心に、翼賛運動の実態を実証的に明らかにすることに徹している。その著作は、20数冊に及び、その精力的な活動に、私は圧倒され、多くを教示いただいている。私が最初に出遭ったのは『空白と責任』(1983年)だったろうか。『文化人たちの大東亜戦争』(1993年)『日本文学報国会』(1993年)『本が弾丸だったころ』(1996年)などは、いまも身近に置いている重要参考文献である。『歌と戦争』はホームページ「空席通信」に連載していたものである。

 

『図書新聞』の2005611日に掲載された『歌と戦争』の書評は、以下をご覧ください。 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2006/02/post_d772.html

  

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2012年11月 1日 (木)

小学校の「ふれあいコンサート」に招かれて

 ここ4年ほど、地元の小学校の通学路で、交通見守りのボランティアに参加している。そのためか、合唱発表会に招かれた。遠い昔の娘の合唱祭以来である。NHKの合唱コンクールの中継などを聞いても、各地区の代表校だけに、その歌声があまり整い過ぎていたり、過酷な練習風景が紹介されたりすると、興味を失いかけることもある。 
 きょうのコンサートは、ボランティアであいさつを交わすようになった児童やご近所のお子さんの顔が見えるので、親しみやすい。通学路では、いつもおしゃべりに余念のない女の子がきりりと指揮をとっていたり、また、休日は、バットを背に自転車で走り去っていく野球少年が鍵盤ハーモニカに懸命に取り組んでいたりする姿などは、微笑ましく、頼もしい。
 幕開けは、合唱部の「くじら」(谷川俊太郎作詞 松下耕作曲)「学校へ行きたい」(里乃塚玲央作詞 大田桜子作曲)だった。「くじら」はアカペラで苦労の跡が見えた。後者は、昨年のNHK合唱コンクールで歌った曲ということで、「きのうテレビのニュースで どこかの国の難民キャンプを見た 救援物資に並ぶ子供たちが カメラをまっすぐ見つめていた」の歌詞に引き込まれ、確かに力強い。各学年がそれぞれ合唱曲と合奏曲を演ずる。合唱曲の3年生「すてきな友だち」(梶賀千鶴子作詞 鈴木邦彦作曲)、5年生「夢を抱いて」(富岡博志作詞作曲)、4年生「未来へのステップ」(松井孝夫作詞作曲)、6年生「未来への賛歌」(?)は、いずれも私など初めて聴く曲だった。それらの詩を帰宅後検索して、あらためて眺めてみると、どれにも、未来・夢・明日・仲間などの言葉が頻繁に登場し、抽象的で優等生的なのが気になりだした。2年生「黄色いリボン」、5年生「カルメン前奏曲」などの合奏にはなぜかホッとしたのだった。 最後に、全校生徒が歌ったのは「地球星歌」(ミマス作詞作曲)であった。
 私の池袋第五小学校時代、なんのコンクールだったのだろう、豊島区の代表として日比谷公会堂で「花」を歌ったのを思い出す。いまでも口をついて出る「花」はアルトの部分である。指導にあたったO先生、怖い先生だった。お住まいがずーっと私の実家の近くで、義姉によれば、亡くなる直前まで、煙草を買いに来られていたそうだ。それも数年前の話になってしまったが。

 

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