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2013年1月28日 (月)

「平塚らいてうと市川房枝~女たちは解放をめざす」(NHKETV、1月27日)を見て

  127日夜10時~11時半、「日本人は何を考えてきたのか」シリーズの第12回最終回である。これまで、このシリーズ中の4回分「昭和篇・戦争の時代に生きる」4篇のうち、女性は、第1篇で大本教の「出口なお」と、今回、表題の「らいてう」と「房枝」の二人である。女性の登場にようやくの思いがこみ上げるが、その「戦争責任」がクローズアップされるのだろうか。それも確かに、重要な視点であるが、彼女たちが戦後をどう生きたのか、他の男性たちの場合はどうであったのか、などがどのように語られるのか。 

今回の番組では、その辺を見極めたい。ゲストは、田中優子と上野千鶴子の二氏。田中は、トレードマークの和服姿での案内役であった。かつて、上野が、講演会かシンポジウムに和服で登場、「女は、この着物のオビでガンジガラメにされてきたのだ」というパフォーマンスを見せたのを思い出す。最近では、滋賀県の嘉田知事が仕事始めにやはり和服で謝罪していた。和服は女の勝負服なのかな。それはともかく。

 

大正時代から昭和初期1928年普選法成立で、ともかく男性の参政権が認められ、女性による婦人参政権獲得運動も活発となり、1930年(昭和5年)浜口内閣時代に、「婦人公民権法案」が衆議院で可決を見るも、貴族議院で審議未了となった。が、無産婦人運動を中心にいっそう気運が増した1931年満州事変が起こり、戦争の時代へと入っていくまでの二人の活動ぶりが丹念に描かれていた。二人の活動の軌跡をたどる上で重要な、米田佐代子館長による「らいてうの家」における資料案内、山口みつ子理事による市川房枝記念会女性と政治センター(財)に残された房枝の詳細な資料の説明、房枝の新聞記者時代の執筆記事紹介などは、通常の利用者には体験できないことなので、貴重なものだったと思う。また、房枝の母親には暴君だった父親も教育熱心で、師範学校にも進学できたという甥市川雄一氏 の話、敗戦後公職追放中だった房枝のトランプ占いや若い彫刻家木村五郎との交情などに触れた養女市川ミサオ氏の話など興味深いものだった。

 

ただ、女性史研究者加納実紀代、伊藤康子らのコメントがこま切れで、むしろ平凡なものとなってしまった感がある。こうしたドキュメンタリーにはよくあるパターンであるが、95歳になる武田清子の信念と品格を感じさせる振る舞いには身をただす思いだった。

 

なお、敗戦以降のらいてうと房枝の「非戦」と「非核」との戦いをきちんと継承しなかった末に、311を迎えてしまったという忸怩たる思いを吐露するゲストの二人だったが、さらに気になる発言があった。らいてうと房枝が、戦争に、国策にからめ捕られて行く過程を、いくつかの文献、発言や行動によって実証していくのだが、田中優子氏の「私だって、執筆や発言が制限され、活動の場が奪われたとしたら、どうなるか、とり込まれてしまうかもしれない」という主旨の発言に上野氏も「いつ、からめ捕られるかもしれない」とうなずく場面があったのには、いささか拍子ぬけしたのだった。けっして勇ましい言葉を期待するわけではないが、そんな覚悟なのかなあ。そう、NHKに出演するくらいだから安心、安全な論者になっていたのかもしれない。

 

さらに、番組全体をみていて、ゲストやコメントする研究者たちがほぼ全員女性だったことに気付く。女性で固めて、女性を、女性史を語るというのが、私には、むしろ奇異にも、偏見にも思えたのだ。マス・メデイアの手中の女子会のような様相にも思えた。 らいてうや房枝を語るというならば、研究者だけでなく、政治家だって、市民活動家だっていただろうに。男性の歴史研究者だっているだろう。それに、些細なことながら、らいてうの学生時代における塩原事件を語るのに「妻子ある相手」としか伝えられず、「森田草平」の名は、ついに出なかった。これはどういう配慮からなのだろう・・・。

 

いろいろと考えさせられる番組ではあった。

 

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2013年1月27日 (日)

社協に関心のある方、社協の会費の集め方に疑問のある方ぜひお読みください。

昨日、1月26日に寄せられた盛田様のコメントをぜひお読みください。兵庫県のある自治会において、社会福祉協議会の会費の集め方に疑問をもって以来、数々の働きかけをしてきた方の報告です。ぜひお読みいただきたいと思います。
刑事告発の結果報告ですが、間違ったことでも「みんなで渡れば怖くない」という言を警察みずからが認めたことになるでしょう。
この結果はあきらめることを促すものではなく、おかしいと思った同じ考えを持つ人が、複数相寄って、”しんどい”けれど、発信し続けることの大切さを物語っていると思います。

私の住む自治会では、10年以上前から寄付の自由、金額の自由を維持しながら、班単位での「集金袋回覧方式」が定着しています。これには、集金袋の手渡しという原則が伴いますが、今のところ混乱は聞いていません。ただ、社協、地区社協などから「地域還元金」などを口実に「寄付金」の減少についての圧力があるやに聞いています。この方式とて、私個人の考え方からいえば、大きな不満が残ります。

社会福祉協議会が、「自由意思」を建前としながらも、自治会・町内会の会費徴収を全面的に促進しようとしてしていること、それを行政が黙認ないし奨励していることについては、法令違反さえあると思っています。私自身の考え方やこれまでの働きかけについては、キーワード<寄付・募金>〈社会福祉協議会>で検索していただければ、何件かありますので、そのコメントともにお読みいただければ幸いです。

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2013年1月23日 (水)

魚の群れは領海を知らない~尖閣諸島問題で隠れた沖縄へのオスプレイ配備

  先日、地元の9条の会の友人に誘われ、沖縄選出の赤嶺政賢衆議院議員の講演会に出かけてみた。沖縄について、私自身、知っているようで、あまりにも知らないことに最近気づかされることが多かったからだ。演題は「安保条約と沖縄の今」。国会中継の質問では、地味で、まじめさが印象的な日本共産党の議員である。八重山高校の先生だったそうだ。
 話の中で、もっともだと思ったのは、沖縄の米軍基地普天間へのオスプレイ配備問題が最近、尖閣諸島問題でかき消されようとしているのは政府の策略であり、それに追従しているのが大方のマス・メディアである、という指摘だった。それに今は、アルジェリアの人質問題、さらに、北朝鮮の核実験報道が重なる。
 赤嶺議員によれば、尖閣諸島付近に時々は出漁するという、地元のある漁業組合の組合長はつぎのように話していたという。どの国の漁師も魚の群れを追う、魚は領海などを知るわけもないから、互いに他国の領海内に入ってしまうこともあり得る、そうした事態については互いに了解し合っている部分もあるだろうと。そして、議員は、沖縄県民の多くが尖閣諸島問題を「口実」に、沖縄の米軍や自衛隊の活動の範囲を拡大することに何よりも危機感を抱いていることを訴えていた。マス・メディアが、真実を伝えなくなったことへの不安と情報の選別の重要性をひしひしと感じる昨今だけに、貴重な報告だった。ただ、「赤旗」と志位さんのパンフレット?の自画自賛には少し退いたのだが。

  率直なところ、 日米安保条約及び在日米軍基地が、第三国からの日本への武力攻撃の「抑止力」になっているとする考え方は、私には、むしろ疑問で、「抑止力」とは逆に「挑発」にさえなって、日本の危機を増幅しているように思える。自公政権の暴走を食い止めたい。

 

 

 

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2013年、歌会始、あれから20年、岡井隆は何を変えたのか

  今年も116日、皇居での歌会始が開催され、新聞では、16日の夕刊、17日の朝刊で報じられた。皇族と入選者の作品が公開される。どの新聞も、記事の大半は、宮内庁(ホームページ)発表の皇族方と選者・入選者の短歌作品と天皇夫妻、皇太子夫妻の作品解説を引用し、最年長、最年少の入選者やその作品を紹介する程度である。今年は、史上最年少、12歳の中学生のカエルの歌が注目されているようだったが、ワンパターンと言ってもいい、恒例の記事であった。NHKは、毎年歌会始の中継を放映しているが、今年、私が見たのは、「ニュース7」で放映されたその一部であった。それにしても、映像を見る限り、天皇夫妻を真ん中に、皇族方の男女が分かれて着席していたが、男性は、天皇、皇太子、秋篠宮の3人で、なんとなく寂しげな空間であった。
 
歌は発表されているが、雅子皇太子妃と常陸宮は歌会には欠席。高齢の三笠宮、かねてより静養中の桂宮、信子寬仁妃と若い彬子さん、眞子さんの歌はない。静養中の二人の作品は、近年発表されたことがない。歌会始ですらこんな風だから、毎月という月次歌会は開かれているのだろうか。こうした皇室の「文化的な伝統行事である歌会始」が、国民と皇室の架け橋の役割を果しているという「大義名分」は成り立っているのだろうか。
 
応募者の数も、近年、201023346首、201120802首、201218802首、今年が18398首であり、1989年来、平成に入って、2万首前後を推移、27000首を超えたのが、2004年・2005年の2年のみだった。一方、121日発表のNHK全国短歌大会(平成23年度)には、一般の部23839首、ジュニアの部17222首の応募があり、115日発表の東洋大学現代学生百人一首(第26回)には、54107首の応募があった。

かつて、岡井隆が歌会始の選者入りをした時のインタビューで「民衆の参加する短歌コンクールとしては本邦最大で、知名度も高い。従って国民各層からの応募が期待できます」と応え、昭和生まれの初めての選者だった。また、「体制順応ではなくて、体制内で存分に活躍するという心構えですか」の質問には「相手あってのことですから、どこまでできるか、すべてこれからのことです」と答えていた(『朝日新聞(夕刊 西部版)』199294日)。あれからすでに20年、選者に留まり続け、現代短歌の中堅・若手歌人リーダーたち?とのエール交換に余念がない。ものをいわない中堅・若手の責任も重いが、歌会始は、現代短歌は、何が変わったのか。皇室自体への関心は薄れ、もはや最大でもなく、知名度が高いわけでもなく、応募者の減少、高齢化が顕著な中で、著名歌人の選者たちが、若ければ若いほどいいみたいな歌を選び続ける、その物欲しげな態度だけを持続しているかのように。 

天皇制と現代短歌を云々する前に、皇統の継続、皇室の存続すら危ぶまれる矛盾を抱えている天皇制自体についての論議を避けて通る政治、そこにこそ、ひたすら護持しようとする一部の人々の温床があるような気がする。 

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2013年1月14日 (月)

NHKはオリンピック東京招致委の広報か~年末年始の東京招致報道について

  この年末・年始、事情あって、テレビニュース、新聞など丁寧に見ることはできていない。しかし、そんな中でNHKテレビのニュースに接していたかぎりで、顕著なことがあった。安倍政権の経済対策、尖閣列島近辺の中国の動きについては、必要以上に、大げさに報道するのは、NHKの常ではある。前者では財源に言及することはほとんどなく、公共事業などによる大判ふるまいを強調し、後者では領土侵略の危機を煽るのが定番でもある。何やら会議の再開や立ち上げで景気回復がすぐにでも実現するような政府の広報に徹しているように見える。 多くの情報と多様な意見を提供し、論点整理することによって国民の議論に資するという公共放送の役割、その中立性をすでに投げうってしまったのだろうか。

 こうした傾向の中で、この年始のNHKの東京オリンピック招致報道の過剰さには、いささかうんざりした。 私が、実際に視聴したニュースなどを中心に一覧にしてみた。実際に視聴したニュースは網掛けをし、参考のためにNHKWebニュースから関連記事をピックアップした。その他の記録は、オンデマンドサイトの1週間分のニュース項目から拾った。また、昨年分については、分かる限りオリンピック東京招致関連ニュースを記したが、網羅的ではない。 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/gorinsyoutihoudou.pdf

 ここから見えてくるものは、今年は少なくとも元旦から110日まで、間断なく、東京オリンピック招致関連のニュースを流し続けていることだ。(5日については未確認)ニュースのワイド番組だけでも、ほかに「おはよう日本」、午前零時からウェブ・ニュースあり、一時間ごとに定時のニュースもある。私は、どれほど関連ニュースが流れたかは確認できないが、1日に何度も繰り返し放映されたのではないかと推測できる。 

 私は、6日、表にあるとおり、昼の「NHKニュース」と夕方の610分からの「首都圏ニュース」、7時からの「ニュース7」を見ている。まず昼は、「立候補ファイル」を提出するために出発したという招致委員と澤選手らメダリストの映像とコメント、3人の街の声が流された。いずれも東京オリンピックへの期待と支援の声だった。そして招致委員会会長の猪瀬都知事は「日本人のやる気を起こすためにも・・・」とおよそ内容のない、無責任なコメントだった。夕方の「首都圏ニュース」では、昼の映像を再び繰り返した後さらに、「招致成功の鍵」を力説、ほかの候補2都市に比べて支持率が低いのをいかにアップさせるかを詳しく報道、「ニュース7」では、それに加えて、男女人気メダリストたちが晴れ着で都知事と一緒に神社に祈願したり、絵馬を奉納したりする画面が登場する。神社?どこの神社?知事が公務で神社へ出向いていいのか、と思ったのだが、後でほかの記事などを見て丸の内の商業施設に特設の期間限定の?「東京五輪招致神社」?を設置したとある。その鳥居の前で、都知事と人気メダリストがにっこり笑っている写真におさまる光景が放映されたのである。わけのわからない神社と振袖のメダリスト戦略に見事に乗せられているメディアが情けなく思えた。 

 私は、1月7日、「ニュース7」を視聴した後、NHKふれあいセンターに苦情の電話をした。「その内容もわからない〈立候補ファイル〉を提出するために出発した云々の報道を、しかも招致に疑問を投ずる意見があるにもかかわらず、一方的に招致を前面に打ち出した報道をするのは、公共放送の理念に違反するのではないか。街の声も、なぜ賛成意見だけなのか。なぜ、同じ映像を使って、何度も何度も繰り返し報道するのか。その方針はどこで決まったのか」と質問した。「NHKは、五輪招致支援をどこでも決めたことはない。今日はたまたま〈立候補ファイル〉を提出するために出発したので、それを報じたまでで、現場の判断による。そういう意見があったことは現場に伝える」とのことだった。 

 1月8日は、JOC竹田会長が安倍首相に招致要請、ようやくの「立候補ファイル」公表の報道が続く。Web ニュース夜の757分においては、「5輪招致に賛否、無関心も」の見出しで、五輪招致への疑問の声が伝えられている。これはどこかのニュースで放映したのか不明ながら、「ニュース7」では、「立候補ファイル」の詳細を報じて、東京のメリットを強調していたし、疑問の声の映像やコメントを私は見ていない。ふれあいセンターなどへの苦情は私ひとりではなかったのだろう。ともかく1月8日の夜になってのwebニュース、web特集では記者の署名つきで、ともに、招致への問題点が少し浮き彫りになったことは確かである。テレビでの放映はあったのだろうか。少なくとも、プライムタイムでのニュースでは放映しなかったことである。

 

 この間、新聞は、どう報じたか。ちなみに、社説を一覧しておこう。

 

東京新聞 201319日「東京五輪招致 足もとの支持を広げたい」 

朝日新聞 2013110日「東京五輪招致 成熟都市を誇るなら」 

サンケイ新聞2013111日「オリンピックを東京へ “なぜ招致”大義求め」 

日本経済新聞2013111日「五輪の開催で日本を元気に」 

読売新聞 2013113日 「東京五輪招致 日本の総合力で 実現したい」

 

こうしてみると、マス・メデイアは、すべてが五輪招致の大合唱である。しかし、選択の余地なく受信料で成り立つNHKには、より中立性が求められるのではないか。「サンケイ」の次のクダリが、むしろ、問題点を提供しているよう思った。 

~一昨年3月の東日本大震災を契機に、「復興五輪」を高らかに掲げていたが、ジレンマに陥った。「世界に対して『復興』は説得力に欠ける」という指摘に加え、IOC委員に震災を想起させ、地震や津波、さらには原発事故に伴う放射能漏れの不安をあおることになりかねない-。昨年5月のIOCの評価報告書で「電力不足の懸念」を指摘されたことは東京が誇った「安全神話」に疑問符がつけられたことを物語る。立候補ファイルで「復興」がトーンダウンし、「世界のスポーツ界への貢献」などを打ち出した背景には「残り8カ月は国際的なメッセージの勝負」(招致関係者)という建前以外の事情も大きい。~ 

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晴れ着の成人式、 列島の嵐

 成人の日が近づくとマスメディアは、各地の一風かわった成人式の様子が盛んに報道され始める。そして、振袖に白いファー、派手な髪飾りが定番の成人式にはしゃぐマスメディア。バブルが終わって失われた20年の間に成長した、今年の新成人たちに「送る言葉」だろうか。あの非日常的なイデタチのために大枚をはたいて何になるのだろうか、と思う。それをなぜかワンパターンで報道し続けているのはいかがなものだろう。仕事を失い、住む場所にも苦労する若者たちが多い社会で、新成人もその家族も、そして世間も、何かに踊らされるのではない、自分の暮らしをみつめ、賢くなりたいものだ。 

いまは、ようやく結婚式もお葬式も日常の延長のような、ジミ婚や家族葬が増えてきたのはとてもいいことだと思っている。というより健全な感覚に戻りつつあるのではないか。青山葬儀場や築地本願寺の告別式はタレントや政治家の人気商売のやりたい人だけがやればいい。

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2013年1月 1日 (火)

2013年、きびしい年になりそうです。

 新しい年、お変わりなくお過ごしでしょうか。 

暮の選挙結果を思いますと、ことのほか寒い年越しでした。

いったいどうなってしまうのだろう、右傾化の歯止め、抑止のために、

少しでも踏ん張りたいと思っていますが、健康、体力が問われますね。 

ほそぼそながら、太極拳とウオーキングを続けることができればと思っています。
 

昨年は、第三歌集『一樹の声』を出版、『<311フクシマ>以後のフェミニズム』に参加することができました。今年は短歌に関するエッセイをまとめることができるよう努めるつもりです。
 

また、暮には、選挙で一週間延期となった「佐倉市予算説明会」に参加しました。440億規模の予算ですが、ほんとうに届けるべきところに届いていないというのが、今の地方行政の現状なのでしょうか。気付いたところから声を上げていくしかないと思いました。
 

今年もどうぞよろしくお願いいたします。 

皆様のご健勝を祈ります。

 氏子さんたちの焚火に迎えられ、今年は神主さんのお祓いを受けることが

 できました。資格をお持ちの神社近くのSさんでした。↓

 

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震災で、鳥居の上部が落ちました。修復2年目の八社大神です。↓     

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