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2013年2月10日 (日)

ETV特集「吉田隆子を知っていますか―戦争・音楽・女性」(2013年2月2日再放送)

  昨年9月に見損ねていた。わずかながらに知っていた吉田隆子(19101956年)、番組にも登場された小林緑さんの編著書『女性作曲家列伝』(平凡社1999年)であった。その著書を知ったのが2008年で、その中で、取り上げられていた一人、エセル・スマイスついての講演と演奏会に出かけた折の報告は、このブログでも書いた。

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2008/12/post-da49.html 

 また、上記の本には番組にも登場した辻浩美さんが、日本の女性作曲家の一人として、吉田隆子について書いていた。最近、『作曲家吉田隆子・書いて、恋して、闊歩して』(教育史料出版会 2011年)を刊行したが、 まだ見ていない。2010年には、吉田隆子生誕100年記念のコンサートも開催されたというが、行かずじまいであった。今回、ようやく再放送を見ることができた。番組を振返ってみたい。 

 父親が軍人であったが、厳しく育てられ、女性の自立を説き、大正時代の自由な気風を備えた母親の影響で幼児より琴、12歳よりピアノに励んだ。父親の反対で音楽学校にも進学できなかったが、作曲を学び、「シンプルな素材をシンプルに」をモットーに、虐げられた人々に寄り添い、日本プロレタリア音楽同盟(PM)(19281934年)の活動に参加、1932年の発表会での歌曲「鍬」(一田アキ=中野鈴子、中野重治の妹、作詞)の作曲は高く評価された。アテネフランセなどにも学び、多くの芸術家たちに出会っていた。1933年小林多喜二の獄死直後には「小林多喜二追悼の歌」(佐野嶽夫作詞)、8月には拘留される。弾圧によるPM解散後、1935年には楽団「創生」を結成、民衆のための音楽運動をめざし、啄木の短歌に曲を付けたりする。人形劇団プークの舞台や新協劇団の久保栄「火山灰地」など現代劇の舞台に音楽を取り入れるという仕事をする中で久保栄と結婚、二人の住いの自由が丘の家は常に特高警察の監視下に置かれ、隆子もいくたびも拘留されたが、1940年、半年にも及ぶ投獄で病に倒れ、自宅に帰された後は、寝たきりの闘病生活が続く。その生活は悲惨ではあったが、日記だけは書き続けていて、没後そのままになっていた自由が丘の家から最近見つかったという。 

 敗戦後は奇跡的に病も癒えて、音楽活動を再開し、世界に通用する音楽をめざして、作曲、評論などに精力的に立ち向かう。与謝野晶子の「君死にたまうなかれ」をオペラ化した作曲台本を書き、「バイオリンソナタ二調」の初演にも漕ぎつける。しかし、1956年、ガンに冒され、46歳の若さで他界、久保栄も2年後に後を追うように亡くなった。 

 私は、正直、作曲した作品の評価は分からないが、小林緑さんが話すように、音楽界においても女性の役割分担はきつく、女性の作曲家をまともに認めようとしなかった歴史、ついこの間までのこととして、苦労が多かったことは、多分野と同様であったと理解ができた。今回の番組で、一番印象的だったのは、自由が丘の旧居が、二人の住人が世を去って、半世紀以上も経っているのに、当時のままの佇まいが残っていたことだ。311の大震災で、本棚が傾き、書籍が散乱したままになっている光景もうなづけた。遺品や資料管理をしていた久保栄の助手も亡くなったそうだ。そこから発見された日記は、特高に押収されて他の人に迷惑を掛けてはと、人名などの固有名詞が消されていた。 

 いま手元にある、先の辻さんの隆子の記述や『日本流行歌史』(社会思想社1970年)、『近代日本女性人名事典』(ドメス出版 2001年)などをひっぱり出してきて、参考にしながら、若干補ったところもある。辻さんの記述によれば、久保栄というパートナーを得るまでには、男女間の波乱もあったらしいことが書かれている。隆子は、親の決めた結婚を拒み、恋愛を貫いて結婚したものの病気と貧困等から破局していたという経緯もあり、画家三岸好太郎との関係も妻の三岸節子を悩ませたこともあったらしい。2005年には、北海道立三岸好太郎美術館で吉田隆子をテーマにコンサートが開かれて、つぎのように紹介されていた。

 

   〔〈オーケストラ〉のひと-吉田隆子の曲〕吉田隆子は、北海道出身の画家・三岸好太郎に大きな影響を与えた女性作曲家です。三岸は、〈黄服少女〉〈少女の首〉などで吉田隆子をモデルにするとともに、さまざまな音楽的知見を彼女から得て、後年の、音楽と美術を結びつけた独特の画論を形成する契機とします。また、同時に、彼女と一緒に聴きに行った新交響楽団コンサートから、傑作〈オーケストラ〉の着想を得たとされています。 

*出演者*渡辺ちか(ソプラノ)、則竹正人(バリトン)、浅井智子(ピアノ) 

 *曲 目*吉田隆子「カノーネ」「君死にたもうことなかれ」ほか

 

1934年、31歳で急逝した三岸だが、「オーケストラ」が制作されたのは1932年、ピアノの鍵盤に手を触れて立つ隆子を描いた「黄服少女」が1930年、「少女の首」が1932年の制作だった。 このあたりのことにはまったく触れないのが、NHK的なのかな。 

これまでのいくつかの女性史関係の年表には、まったくと言っていいほど「吉田隆子」は登場していない。上記のドメス「近代日本女性人名事典」にその名を見出し、なぜかほっとしたのだった。久保栄との関係でも「夫婦の絆」「同志の絆」が強調され、反戦、抵抗の作曲家であったことは、たしかであった。が、演劇史研究の井上理恵さんは、ブログ上で、吉田隆子が作曲家として現代劇に音楽を取り入れたことは、演劇史上画期的なことであったが、今回の番組には、そうした視点がなかったことを指摘していた。 

410日には、東京で「吉田隆子の世界」のコンサートが開かれるという。ぜひ出かけてみたいと思っている。

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佐倉市の井野の辻切り、井野本村への8か所の出入り口に、魔よけと豊穣を祈って

掲げられたワラの大蛇、大辻といわれる。毎年1月25日新しいものに替えられる。

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村の各戸の門周辺に掲げるワラの蛇、小辻と呼ばれる

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