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2013年2月24日 (日)

佐倉市の道路・側溝除染はどうなっているのか

 311から間もなく2年になろうとしている。佐倉市の福島原発事故による放射線量対策はどうなっているのか。学校や施設、公園などの除染では、工事で生じた土砂や草は、その施設内のどこかに仮置きされることになっている。ともかくも、空間放射線量が、何度かの測定では低減し、佐倉市の基準値である0.223μ㏜/h を下回っていることになっている。私などが心配したのは、通学路や施設周辺の道路側溝における放射線量の異常な高さであった。昨年5月の市内一斉の側溝清掃は見送られたままである。220日に5回目の測定結果が発表された(第41報)。
 
当初、市内156定点の地上5㎝、50㎝、100㎝における平均測定値のみ公表されたが、途中21報より、最高値・最定値・平均値が公表されるようになった。また、市内を概ね3区域に分けた地図が添付され、測定場所が点で示され、測定場所の通し番号と連動する。その地図が小さい上に、古い地図で、土地区画整理による開発後の現況を反映していないことや不必要な色分けがなされ、分かりにくかったので、担当課に訂正の申し入れをしていたが、ようやく30
報より訂正された。
 
なお、測定個所が異なるのは、各前回の測定で0.2μ㏜/hの値が出た個所のみを測定したとある。側溝などは時間経過で低減するとは限らないので、少なくとも定点測定は、値に限らず測定を続行してほしいのだが、いわば手抜きではないか。156か所ですら、道路側溝の測定場所としては、線ではなく、点に過ぎないのだから、測定場所を増やしてほしいくらいである。あるいは一斉清掃、一斉除染による解決を図ってほしいのだが、仮置き場が見つかるまでと、いまだに動かない佐倉市である。

 

道路側溝測定の変遷 (最高値単位μ㏜/h)市のホームページから作成  

  (公表日)   (測定日) (測定個所) (備考) 

11報(2012.3.192011.10.2711.25    156  平均値のみ表示 

14報(2012.4.5) 2012.1.232.2      71  平均値のみ表示

21報(2012.6.212012.5.216.5           53 

30報(2012.10.192012.9.189.27    156  地図の一部訂正 

41報(2013.2.202013.1.2123             23 

 地上からもっとも低い5㎝での測定値が通常、放射線量が最も高いと思われるので、その平均値で11報の値と30報の値を比べてみた。 311より7か月後の1011月において、0.2μ㏜を超える場所は、5㎝に限らず71個所だったが、私の調べたところ、5㎝に限ると63個所であり、さらに市の基準の0.233μ㏜/h以上は45個所あった。30報によりあらためて測定した156個所で市の基準を超えるのは、11個所と減り、さらに、今年に入っての測定、41報によれば、市の基準を超えるのは次の6個所であった。

 

  2-西志津3丁目地先(0.292μ㏜/h)  

39-宮ノ台6丁目(宮の杜公園)(0.420μ㏜/h) 

43-井野地先(0.318μ㏜/h) 

85-王子台3丁目地先(0.235μ㏜/h) 

108-臼井地先(0.260μ㏜/h)  

109-臼井地先(臼井第2調整池)(0.240μ㏜/h)

 

すべてが志津・臼井に集中していて、いまだにホットスポットということになるだろう。しかし、これは他の場所の安全材料ではありえない。たった156個所の、しかも前回、0.2μ㏜/hを超えたところ23個所に限ったなかでの6個所なのであるから、それ以外は、基準値未満で安心していいといことにはなり得ない。しかも6個所の中で3個所が前回30報の数値より高くなっているのだから、これから数値が上がっていく可能性もあるわけである。一年前、わが家の横の側溝のグレーチングの上は、0.7μ㏜/hを超えていたし、上記、測定地点39の宮の杜公園内の遊歩道わきは1μ㏜/hを超えていたのである。少なくとも、行政・住民による道路側溝の一斉清掃、一斉除染によって、その除染物を一括管理する方が、分からないまま放置するよりはデメリットは少ない、と思う。中には、なまじっか大掛かりな掃除や除染は放射線を拡散するだけだと主張する人もいるが、どんなものだろう。 

 

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2013年2月23日 (土)

社協会費の集め方、皆さんの自治会では??「自治会の自由」ではなく、「市民の自由」をこそ

佐倉市内で調べてみたら~すでに会員制度は崩れ始めている
 昨年12月、佐倉市が平成25年度予算説明会を開催、社会福祉協議会の問題が噴出したことはすでに述べた。佐倉市社会福祉協議会の正職員の人件費はすべて市からの補助金で賄っている。市の幾つかの施設の指定管理者にもなっているが、正職員が携わっているわけではないという。社会福祉法に定められている組織ということを「錦の御旗」にしているが、一社会福祉法人への人件費補助の根拠にはなり得ない。補助金を受けた上、さらに、会費徴収を当たり前のように自治会や町内会に委託しているのが現状である。上記説明会に参加した市民有志が、社協の在り方は、数年前、会費の自治会費上乗せを違憲とする最高裁の決定も出たことだし、根本から見直さないといけない、まず会費徴収の実態を調べてみようということになった。その上で、社協や市長に申入れをしようということになった。有志自らの自治会や知り合いを頼っての調査となった。つぎのような選択肢で、回答してもらった。市内全域で、240近い自治会・町内会があるそうで、数としては限られてはいるが、括弧内の数字が自治会・町内会数を示したので、佐倉市内での傾向がわかった。違法状態が常態化し、社協や行政が、それを黙認しているという構図がはっきりしてきた。

①一律に500円と書き込んだ領収書をもって自治会の班長が各戸集金に回り、その額を社協に拠出している9
②各戸集金はせず、自治会費に500円分を上乗せして徴収、500円×会員数分を一括、自治会予算から社協に拠出している4
③世帯数にこだわらず、毎年一定額を自治会予算から社協に拠出している(8 )
④その他1

回答①の場合:領収書を出さない自治会、会員にならない世帯もある自治会、集める班長さんが「任意です」と言い添える自治会もある。班長さんには断りにくいから仕方なく会費を払っているという人もいる。

回答②の場合:今回の問い合わせを受けて、初めて実態を知ったという友人もいた。自治会の総会議決や了承を経たという認識もないまま、言われてみれば、予算・決算報告に記載されていたというケースもある。また、社協会費の強制は違法だからという意見を出しても、少数とみなされ、上乗せが続いているケースもある。班長さんの徴収の労を軽減するという理由、あるいは①だと払う人払わない人の不公平が生じるという理由?から②に変更したという報告もあった。なお、あるマンションの友人の話では、管理費の中から自治会費を払い、その中から世帯分の会費を予算化しているとのことである。別のマンションの友人は社協会費として払った記憶がないので、調べてみるとのかいとうもあったので、年度替わりの自治会報告資料での確認をお願いしておいた。

回答③の場合:どういう経緯からかはっきりはしないが、かなり前から、世帯数に関係なく毎年定額が予算化され、拠出しているとの回答が多かった。大方は、世帯数の会費分よりかなり下回るケースが多い(1250世帯で40万円、800世帯で15万円、700世帯で26万円、180世帯で6万円、20世帯で5000円など)。自治会から社協への寄付ということなのだが、毎年自治会総会で、予算承認の形をとるのだろうか。中には、自治会の事情により社協との値下げ交渉で?会費500円ではなく寄付金として値下げ(たとえば250円)を了承し、世帯数分を拠出している回答もあった。こうなると、すでに会員制度は崩れて、下さる寄付なら何でもという感じで、そんな寄付金を集める自治会は集金マシーンでしかない。

回答④の場合:回覧手渡し方式の集金袋に寄付をする方法なので、会員になる・ならないの自由と金額の自由が維持されているという1件のみ。少なくとも、こうした方式を普及したいと思うのだが。

 「福祉」という美名のもとに
 
社協は、市民の理解と協力による会員制度をとり、参加の任意性を建前としながら、上記①②③という、いわば自治会という組織を利用して、強制的に会費、寄付金を徴集していることが分かった。違法性の高いのを承知で、社協に便宜を与え、行政は見て見ぬふりをして黙認する。「委託事業」と称して、本来行政がなすべき福祉事業の種々を丸投げしている実態とも無関係ではない。

 社協会員になるのも、寄付をするのも、自治会や町内会の自由ではなく、市民個人の自由のはずである。自治会や町内会が総会決議であろうと、多数決であろうと、どんな手続きをとったとしても、自治会・町内会単位でそうした行為を行うことは、福祉という美名のもとに、社協も行政も人権侵害をしていることに着目すべきだと思う。

 ちなみに、上記の最高裁の決定と、全国社会福祉協議会の対応策の通知の要点はつぎのようであった。せめて、せめて、佐倉の社協も全社協の「通知」に従ってほしいものだ。

 

最高裁決定(2008年4月3日)  

「各人の属性、社会的・経済的状況等を踏まえた思想、信条に大きく左右されるものであり、仮にこれを受ける団体等が公共的なものであっても、これに応じない会員がいることは当然考えられるから、会員の募金及び寄付金に対する態度、決定は十分尊重されなければならない。 したがって、そのような会員の態度、決定を十分尊重せず、募金及び寄付金の集金にあたり、その支払を事実上強制するような場合には、思想、信条の自由の侵害の問題が生じ得る。もっとも、思想、信条の自由について規定する憲法19は、私人間の問題に当然適用されるものとは解されないが、上記事実上の強制の態様等からして、これが社会的に許容される限度を超えるときには、思想、信条の自由を侵害するものとして、民法90条の公序良俗違反としてその効力を否定される場合がありうる。」

 

社協会費等の納入方法に関する考え方について(2008年4月30日)  

 「自治会費と一括して会費を集める場合、住民に〈自治会に加入していれば社協会費も支払わなければならないという誤解を与える可能性〉も否定できない。このため、社協会費納入が任意であることを明示したり、社協会費用専用の封筒を用意するなどの工夫が必要である。(中略)社協会費等会費・寄付金の納入は、あくまで任意であることを住民に理解していただける方法にするよう、自治会役員等に十分説明していくことが重要である

補記:調査結果の数字は、2月25日、新しい情報をもとに加筆した。

 

 

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2013年2月12日 (火)

すてきなあなたへ67号(2013年2月12日)をマイリストに掲載しました

前号から間があきました。映画評は、早くから原稿を頂いていましたのに、今日に至りました。左側のマイリストの「すてきなあなたへ67号」をクリックしてください。

(目次)

皇帝ダリア~花の思い出 いまむかし
雪のあとは、5月の陽気、井野の辻切りは
佐倉市の来年度予算説明会に参加して~社協への疑問が噴出
菅沼正子の映画招待席 39 「東ベルリンから来た女」~自由とはどういうものなのか

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2013年2月10日 (日)

ETV特集「吉田隆子を知っていますか―戦争・音楽・女性」(2013年2月2日再放送)

  昨年9月に見損ねていた。わずかながらに知っていた吉田隆子(19101956年)、番組にも登場された小林緑さんの編著書『女性作曲家列伝』(平凡社1999年)であった。その著書を知ったのが2008年で、その中で、取り上げられていた一人、エセル・スマイスついての講演と演奏会に出かけた折の報告は、このブログでも書いた。

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2008/12/post-da49.html 

 また、上記の本には番組にも登場した辻浩美さんが、日本の女性作曲家の一人として、吉田隆子について書いていた。最近、『作曲家吉田隆子・書いて、恋して、闊歩して』(教育史料出版会 2011年)を刊行したが、 まだ見ていない。2010年には、吉田隆子生誕100年記念のコンサートも開催されたというが、行かずじまいであった。今回、ようやく再放送を見ることができた。番組を振返ってみたい。 

 父親が軍人であったが、厳しく育てられ、女性の自立を説き、大正時代の自由な気風を備えた母親の影響で幼児より琴、12歳よりピアノに励んだ。父親の反対で音楽学校にも進学できなかったが、作曲を学び、「シンプルな素材をシンプルに」をモットーに、虐げられた人々に寄り添い、日本プロレタリア音楽同盟(PM)(19281934年)の活動に参加、1932年の発表会での歌曲「鍬」(一田アキ=中野鈴子、中野重治の妹、作詞)の作曲は高く評価された。アテネフランセなどにも学び、多くの芸術家たちに出会っていた。1933年小林多喜二の獄死直後には「小林多喜二追悼の歌」(佐野嶽夫作詞)、8月には拘留される。弾圧によるPM解散後、1935年には楽団「創生」を結成、民衆のための音楽運動をめざし、啄木の短歌に曲を付けたりする。人形劇団プークの舞台や新協劇団の久保栄「火山灰地」など現代劇の舞台に音楽を取り入れるという仕事をする中で久保栄と結婚、二人の住いの自由が丘の家は常に特高警察の監視下に置かれ、隆子もいくたびも拘留されたが、1940年、半年にも及ぶ投獄で病に倒れ、自宅に帰された後は、寝たきりの闘病生活が続く。その生活は悲惨ではあったが、日記だけは書き続けていて、没後そのままになっていた自由が丘の家から最近見つかったという。 

 敗戦後は奇跡的に病も癒えて、音楽活動を再開し、世界に通用する音楽をめざして、作曲、評論などに精力的に立ち向かう。与謝野晶子の「君死にたまうなかれ」をオペラ化した作曲台本を書き、「バイオリンソナタ二調」の初演にも漕ぎつける。しかし、1956年、ガンに冒され、46歳の若さで他界、久保栄も2年後に後を追うように亡くなった。 

 私は、正直、作曲した作品の評価は分からないが、小林緑さんが話すように、音楽界においても女性の役割分担はきつく、女性の作曲家をまともに認めようとしなかった歴史、ついこの間までのこととして、苦労が多かったことは、多分野と同様であったと理解ができた。今回の番組で、一番印象的だったのは、自由が丘の旧居が、二人の住人が世を去って、半世紀以上も経っているのに、当時のままの佇まいが残っていたことだ。311の大震災で、本棚が傾き、書籍が散乱したままになっている光景もうなづけた。遺品や資料管理をしていた久保栄の助手も亡くなったそうだ。そこから発見された日記は、特高に押収されて他の人に迷惑を掛けてはと、人名などの固有名詞が消されていた。 

 いま手元にある、先の辻さんの隆子の記述や『日本流行歌史』(社会思想社1970年)、『近代日本女性人名事典』(ドメス出版 2001年)などをひっぱり出してきて、参考にしながら、若干補ったところもある。辻さんの記述によれば、久保栄というパートナーを得るまでには、男女間の波乱もあったらしいことが書かれている。隆子は、親の決めた結婚を拒み、恋愛を貫いて結婚したものの病気と貧困等から破局していたという経緯もあり、画家三岸好太郎との関係も妻の三岸節子を悩ませたこともあったらしい。2005年には、北海道立三岸好太郎美術館で吉田隆子をテーマにコンサートが開かれて、つぎのように紹介されていた。

 

   〔〈オーケストラ〉のひと-吉田隆子の曲〕吉田隆子は、北海道出身の画家・三岸好太郎に大きな影響を与えた女性作曲家です。三岸は、〈黄服少女〉〈少女の首〉などで吉田隆子をモデルにするとともに、さまざまな音楽的知見を彼女から得て、後年の、音楽と美術を結びつけた独特の画論を形成する契機とします。また、同時に、彼女と一緒に聴きに行った新交響楽団コンサートから、傑作〈オーケストラ〉の着想を得たとされています。 

*出演者*渡辺ちか(ソプラノ)、則竹正人(バリトン)、浅井智子(ピアノ) 

 *曲 目*吉田隆子「カノーネ」「君死にたもうことなかれ」ほか

 

1934年、31歳で急逝した三岸だが、「オーケストラ」が制作されたのは1932年、ピアノの鍵盤に手を触れて立つ隆子を描いた「黄服少女」が1930年、「少女の首」が1932年の制作だった。 このあたりのことにはまったく触れないのが、NHK的なのかな。 

これまでのいくつかの女性史関係の年表には、まったくと言っていいほど「吉田隆子」は登場していない。上記のドメス「近代日本女性人名事典」にその名を見出し、なぜかほっとしたのだった。久保栄との関係でも「夫婦の絆」「同志の絆」が強調され、反戦、抵抗の作曲家であったことは、たしかであった。が、演劇史研究の井上理恵さんは、ブログ上で、吉田隆子が作曲家として現代劇に音楽を取り入れたことは、演劇史上画期的なことであったが、今回の番組には、そうした視点がなかったことを指摘していた。 

410日には、東京で「吉田隆子の世界」のコンサートが開かれるという。ぜひ出かけてみたいと思っている。

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佐倉市の井野の辻切り、井野本村への8か所の出入り口に、魔よけと豊穣を祈って

掲げられたワラの大蛇、大辻といわれる。毎年1月25日新しいものに替えられる。

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村の各戸の門周辺に掲げるワラの蛇、小辻と呼ばれる

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