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2013年3月31日 (日)

『私の郷土史・日本近現代史拾遺』(有泉貞夫著)を読む

  かつての職場のOB会報に、11年間、同じ課の若輩として在籍いていたご縁と詩歌に関するエッセイも含まれているためか、編集部より上記図書紹介の依頼が舞い込んだ。日本近代史の専攻の適任者がいらっしゃることとて辞退したのだが、我がままな読み方を通した感想になってしまった。 

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本書は、有泉さんが、専門の日本近現代史研究と平成の20年間山梨県史編纂かかわってこられた中での研究余話的な論考を集めたものだ。「私の郷土史」「日本の近現代史」「県立博物館問題など」の3部からなるが、読み手は自分の関心からどこからでも読み始めることができる。 

私が、最初に読んだのが、第1部の「俳人飯田蛇笏龍太と戦争」であった。飯田龍太(19202007年)が、1937年の中学生時代に地元の帝国軍人後援会が募集した在満将兵激励・家族援護の標語として入選した「熱き銃後の真心あれば 満州吹雪もなんのその」「銃後固けりゃお国のために 心置きなく花と散る」にまつわる一篇である。龍太が、この入選の事実を終生触れなかったことを残された文献や言動で丹念に跡付けるものだった。「戦争が廊下の奥に立っていた」で有名な渡辺白泉の全句集に接した折の言動などからも「単純に忘れ去られたのではなく、龍太が自分の文業への影響を考え、隠し通したと推測する」に至った経過を解明する。「強霜の富士や力を裾までも」「大寒の一戸もかくれなき故郷」「かたつむり甲斐も信濃も雨の中」などから、龍太をスケールの大きい在郷の俳人と捉えていた私には、父蛇笏の生き方や作品の対比などとあわせて、興味深いものがあった。 

さらに、着目したのは「青嶋貞賢の時空」の青嶋貞賢(18201896年)で、これまで知ることのなかった幕末から明治にかけての国学者、歌人であった。市川大門、弓削神社神主で、著者の祖父の血縁でもあるという。中央歌壇とつながりを持たず、没後30年にして女弟子小田切浦子(渡辺青洲長女)が編み、その弟によって刊行された『篠乃落葉』(1927年)、曾孫夫妻によって刊行された『雪もヽ歌』(1989年)の2冊の歌集のみが残されている。全国的にも民権運動が行き詰まった明治10年代の半ば、デフレ下の民衆の苦境や徴兵令の免役条項撤廃などを「わら沓も薪もうれぬすへなさを 隣の翁が可たりては泣く」「柱とも杖とも頼むひとり子は 軍(いくさ)の事にめされては行(く)」と歌う。“隠士”の冠称がぴったりの生涯を送ったことがわかる一篇だった。 

2部の「太平洋戦争史観の変遷」は、これまで、断片的にしか読んでいない昭和史だったが、この一篇でかなり頭の整理ができそうに思った。伊藤博文や金丸信にかかる論考では、政治家としての評価や共感については、いまだ違和感が伴うのも事実であるが、一方、第1部、2部を通じて、中沢新一の紹介文、色川大吉への書簡、坂野潤一への書評、江口圭一への追悼文なども収録され、歴史や史実への姿勢が問われてゆく過程にあっても著者の眼差しは厳しくもやさしい。第3部は、君が代問題、A級戦犯分祀問題への発言、図書館・博物館の在り方への発言記録だが、私は、国立国会図書館在職中の「憲政資料室」の有泉さんしか存じ上げないながら、議論好きで、発言する研究者の面目躍如の姿を彷彿とさせるのだった。ますますのご健筆を祈りたい。  

(『国立国会図書館OB会報』5220133月、所収)

 

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*本書は、山梨ふるさと文庫 2012615日 1500円。著者は、1932年、山梨県生。国立国会図書館勤務を経て、1995年まで東京商船大学教授。2008年まで山梨県史編さん委員を務める。著書は『星亨』(朝日新聞社 1983年、第5回サントリー学芸賞受賞)ほか多数に及ぶ。 

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