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2013年3月27日 (水)

横浜で、二つの展示会(2)「再生への道 地元紙が伝える東日本大震災」

 

 ホテルにも近かったので、日本新聞博物館で調べものと思って立ち寄ったところ、「地元紙が伝える東日本大震災」展が開催中であった(201339日~616日)。東北地元4紙、岩手日報、河北新報、福島民報、福島民友新聞の紙面や号外、報道写真などで、地震発生、福島原発事故発生以来の2年間の新聞報道を検証するものであった。

Saisei 

 全般的な印象でいえば、私たち首都圏の住民が接してきた新聞報道とは、雲泥の差がある写真であり、記事内容であった。「温度差」などと言えるものではない、その凄惨さと過酷さが伝わって来る紙面であった。  

311日「岩手日報」が撮影した衝撃的な一枚の写真、防潮堤を乗り越えようとしている津波にトラックや乗用車が乗り上げている一瞬をとらえていた。どんな大きな活字の記事よりもインパクトが大きい。また、原発事故の第一報というより一面扱いでの最も早い記事は「福島民友」だったのだろうか。312日朝刊左下にある「原子力緊急事態宣言」として、政府が311日午後730分に発した旨の記事になっていた。私は、この宣言を、代々木近くで山手線を降ろされ、新宿を経て歩き通し、池袋の実家にたどり着いた直後のテレビで聞いたように思う。また、掲載されたか否かは定かではないが、地震当日の停電の編集局、資料が散乱した中で、ローソクを灯しながらの編集作業を写した一枚も印象的だった。「福島民報」の20117月に始まった、シリーズ「放射線との戦い」と10月に始まった「3.11大震災 福島と原発」の連載には、原発は福島に、そして日本に何をもたらしたかを問い続けている悲痛な叫びがつまっているようであった。 

また、一昨年12月の政府の福島原発事故収束宣言に対する地元4紙の社説や論説は、いずれも、大いなる疑問と不安を残す論調であったのは、当然のことだろう。1年後の311における4紙の社説は、風化への懸念と再生への道を探るものだった。さらに、201210月、たださえ復興が眼に見えない中「復興予算の流用」が明らかになり、被災地の人々の怒りを代弁した。 

地元4紙と全国紙との落差のようなものは十分伝わってくる。今回の展示は、スクラップブックのようなもので、報道の全貌を知ったわけでもない。しかし、この2年間の奮闘ぶりもよく理解できた。しかし、これは全国紙にも言えることだが、原発に関して、福島原発事故までの報道への検証がなされたのか、今回の展示では見えてこないのが、残念だった。

なお、帰宅後、調べたところ、地元4紙の発行部数は次の通りだった。

福島民友(1885年創刊)21万

福島新報(1892年)  25万

河北新報(1897年)  48万

岩手日報(1876年)  22万

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そして、翌日出かけた野毛山動物園 、桜も見ごろ。

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ライオン夫婦はお休み中、この後、

メスのライオンが突然吠え出した。 

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 数日前に、埼玉から横浜まで、数社の乗り入れで直通になったばかりの

中華街は、大変な混みようだった。評判という中華粥専門店には行列が

できていた。

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