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2013年3月14日 (木)

津波被災地、巨大防潮堤の怪

  東日本大震災での津波の被害の大きさと深刻さは、津波が街や田畑を襲う映像、残された夥しい量の瓦礫、瓦礫が撤去された後の荒野・・・、私は現地に赴くことはできないでいるが、至らないながら想像はできた。どの地も復旧も再建も進まない現状。 大震災より2年を経たいま、いくつかの報道の中で、気になる一つ。
 スーパー防潮堤の話は、今回の津波には役に立たなかったではないかという大震災直後から聞いていたような気がしていた。復興予算の中での公共事業予算が増額される中で浮上し、具体化されてきた。政府の考えている「復興」の中身が見えてきた。地元の人たちの話、自治体、国の行政担当者の話を報道で知るだけでも、大きい仕事にもかかわらず、かなり「やっつけ」の、「予算ありき」という、将来に禍根を残す「防災事業」であることが分かった。 

 私が読んだのは、26日『毎日新聞(夕刊)』浦松丈二記者の記事であり、断片的に見た310TBSテレビ「サンデーモーニング」と翌311日テレ朝「報道ステーション」でのレポートだった。

 

毎日新聞では 

上記の毎日の記事には「防潮堤を勉強する会」の気仙沼市民、酒蔵会社社長の菅原氏が登場し、20119月に示された宮城県の復興計画で9.8mの高さが示された時は、当然住民への説明や合意形成の過程があると思っていたところ、かなりのスピードで一方的に進められているという。同じ被災地でも地域によって実情は異なるはず。「工場や産業エリアなら防潮堤が高くてもいいが、海辺の景観で商売をしている所は問題になる。ワカメや昆布などの資源のある地域では生態系への影響が懸念される。でも、防潮堤計画には背後地の利用計画がセットにされていて、復興を進めようとしたら計画をのまざるをえないのです」いわば、「私たち住民は復興の予算とスピードを人質に取られているようなもの」と語る。

 

報道ステーションでは 

 「報道ステーション」では、古館キャスターが夜の大谷(おおや)海岸からの中継とともに、上記、菅原氏の案内で気仙沼市内の取材映像が続く。ここでも「防潮堤がまちづくり計画とセットになっている」不合理を説く。地震による地盤沈下によって遠浅の海岸が消えたので、そのカサ上げにより砂浜を再生したい地元、防潮堤によるワカメ漁への影響が不安な漁業関係者、約一キロにわたり、底辺45mにも及ぶ台形型となるコンクリートの塊が海岸線に建造されることになる。その景観の激変は、想像するだけでも恐怖に近い。それによって守られるものは何なのか、と私は思った。 

こうした計画は、ここ大谷海岸のみならず、岩手県で全長83キロ(2810億)、宮城県211キロ(4257億)、福島県を合わせると、400キロにも及び、総工費8284億ということであった(一部聞き漏らしている)。こうした巨大防潮堤計画の高さの根拠は何かと言えば、201178日付「設計津波の水位の設定方法等について~復興計画策定の基礎となる海岸堤防の高さ決定基準~」という国土交通省・農林水産省の関係4課長名による各都道府県海岸管理担当部長あての通知文書だという。文書はあくまで各自治体への「助言」であって、主体は各自治体とする。過去の数十年から百年の単位での津波被害(レベル1、千年に一度と言われる?今回の東日本大震災はレベル2だそうだ)の記録、あるいはシミュレーションによるデータから算出せよ、との「助言」ということになる)。そして窓口一本化と称して、今年度は水産庁防災漁村課だそうで、私もそこに問い合わせ、報道にも登場した文書を入手した。(http://www.mlit.go.jp/report/press/river03_hh_000361.html

 

 自治体は、過去の津波の高さがそのまま堤防の高さを決める基準になるという計算で、とてつもない高さの防潮堤が策定されたということになる。その防潮堤が決まらないと、その後背地のまちづくりが決まらない。その予算は、5年間という期限のある災害復旧財源から出されるという。「報道ステーション」でも、なぜ、防潮堤の建造のみを急ぐのか、と村井宮城県知事に質問していたが、「災害復旧財源はあと34年で使わねばならないし、まちづくりを早く進め、県民の命を守る視点からも防潮堤の建設は急がねばならない」との主旨で語っていたが、まさに「予算ありき」が根底に見えるようだった。なぜ、それぞれの自治体、地域に見合った、弾力性のある防災対策を促進しようとしないのか。地盤のかさ上げ、避難路の整備・確保などの工夫があってもいいのではないかと、番組でも言っていた。要するに、コンクリートの積み上げは、関係業者は潤うし、予算消化は簡単だし、役人はそれで済む。しかし、それが住民の暮らしや気持ちにかなうものなのか、はなはだ疑問だから問題なのである。そして、その耐用年数が40年から60年ということである。

 

サンデーモーニングでは 

 気仙沼市の気仙沼港に車で移動しての中継であった。関口宏キャスターと岸井成格毎日新聞主筆の出演での被災地レポート。地盤沈下が起きたが、水揚げ量は59%に回復しているとのレポートがあった。カキ養殖業の畠山信さんが登場する。気仙沼地域の防潮堤計画案は、高さ5メートルから14.7メートルの高さ・全長約33キロメートルの防潮堤計画である。防潮堤より防潮林の発想が大事ではないか、岸井コメンテイターは語っていた。 

畠山さんについて、詳しい紹介はなかったが、あとで調べてみると、彼の父親の畠山重篤さんは、1980年代から「豊かな海は、豊かな森から生まれる」をモットーに植樹活動を始め、20095月には、NPO法人「森は海の恋人」に発展させている活動家で、信さんは副理事長ということであった。 

 

あらためて 

さらに、あらためて、ネットで検索してみると、つぎのような記事やサイトにも出会う。考える材料を与えてくれるはずである。

 

〇NPO法人森は海の恋人 

http://www.mori-umi.org/base.html

 

〇防潮堤を勉強する会 

http://seawall.info/ 

 <分かった事と参考になる考え方> 

http://seawall.info/pdf/12-121003-sankou.pdf#search='%E5%B7%A8%E5%A4%A7%E9%98%B2%E6%BD%AE%E5%A0%A4%E3%81%AE%E8%80%90%E7%94%A8%E5%B9%B4%E6%95%B0

 

〇防潮堤なくても死者1人 宮古市・鍬ケ崎地区 

(産経ニュース2011414 07:56  

 「岩手県宮古市・鍬ケ崎地区で40世帯、約110人が暮らす角力浜町内会は、基幹産業の漁業への懸念から防潮堤を造らなかった。代わりに実践的な避難訓練を繰り返し、犠牲者を1人にとどめた。」(以下略 ) 

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110414/dst11041407590026-n1.htm

〇一定の効果はあった釜石の湾口防波堤 

(日本経済新聞電子版20113311325 

「釜石湾の湾口防波堤は、1200億円以上の総事業費と約30年の歳月を費やして093月に完成した。全国で初めて耐震設計を採用。最大水深63mはギネス記録に認定された。」 

「釜石沖約20kmでの津波高さは6.6m。湾口防波堤がなかったら、沿岸で約13mの高さの津波が襲来すると推定される。湾口防波堤がある実際は、沿岸の浸水高さは実測で79mだった。つまり、湾口防波堤によって最大6mほど津波の高さを抑えることができたと言える。(資料:港湾空港技術研究所・国土交通省国土技術政策総合研究所) 

浸水高さが13mならば、一般的な2階建ての木造住宅を完全にのみ込む高さにな 

る。7mならば2階の上部までの高さだ。 

湾口防波堤が津波被害の軽減にある程度の効果を発揮したのは間違いなさそうだ。しかし、30年、1200億円もの年月と費用をかけ、ほかの都市よりは津波の浸水を抑えられたとはいえ被害は甚大だ。ハードによる津波対策の限界を示したとみることもできる。」
 http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK3100F_R30C11A3000000/

 

〇宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ 

http://blog.goo.ne.jp/traum2011

  

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