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2013年6月 3日 (月)

ジャーナリストだった歌人たち~石黒清介氏を悼む

(以下は『ポトナム』5月号の「歌壇時評」です)
 
一月二七日、石黒清介氏が亡くなられた。一九一六年、新潟県出身、九六歳。一九五三年に短歌新聞社を興し、『短歌新聞』を創刊、一九七七年には『短歌現代』を創刊し、多くの歌人を見出し、多くの短歌ジャーナリストを育てた。新聞や雑誌には、伝統的短歌と地方歌人への目配りがあって、幅広い読者から信頼されていた。一昨年、自らの手で社を閉じた。戦後の短歌史、戦後歌壇を語る上では欠かすことのできない短歌ジャーナリストであった。短歌の出発は、一九二八年頃、小千谷市出身で教師を長らく勤めた遠山夕雲の手ほどきによるという。こうした略歴は、すでに知られるところだが、一九三四年に『ポトナム』に入会、当初は、石黒桐葉の名で、その後は石黒清作の本名、石黒清介の名で短歌を発表していたことはあまり知られていない。一九四三年に応召、一九四六年に復員している。一九四一年の後半以降、『ポトナム』誌上に石黒氏の短歌は見当たらない。しかし、戦争・戦場体験にもとづく作品は、敗戦直後の『樹根』(新藁短歌会 一九四七年)以降の二十数冊に及ぶ歌集にしばしば登場する。 

・借りて来し蓄音機ならしつつ元日のひるを炬燵にひとりこもり

 新潟・石黒桐葉(『ポトナム』一九三五年二月)

 

 同じ号には、石黒と同年、二十歳の森岡貞香の「吐息白く消えたる先に輝ける北極星のおごそかなれや」のような作品が頴田島一二郎選歌欄に並び、頴田島評には「石黒:よく見るべきところを見てゐて可」とあり、「森岡:吐息白く野心的にて佳」とあって興味深い。

 

・撃てどうてど人は死なざる空砲を汗あへて我等撃ち続けをる 

(栃尾郷青年学校聯合演習)

新潟・石黒桐葉(『ポトナム』一九三五年九月)

 

この頃の頴田島評によれば「父の命により歌作を中絶するといふ悩」みもあったらしい(『ポトナム』一九三五年一一月)。

 

・夕冷ゆる秋山深く木樵われ鳥の巣くふ樹を挽りにつつ

 石黒清作(『ポトナム』一九三六年一月) 

・ここらあたり本屋と思ひてくぐりぬける雪のトンネルひやりと身に沁む

 石黒清作(『ポトナム』一九三六年三月) 

・岩床の起伏を走る寒の水ひびきをあげて平らかならず

 石黒清作(『ポトナム』一九三九年八月) 

・平穏に日々ありたきを曇などあかくもゆるに血を湧かしつつ  

栃尾・石黒清介(『ポトナム』一九四〇年一一月) 

・新刊書の裁断面を美しきものの一つに我はかぞふる

 栃尾・石黒清介(『ポトナム』一九四一年三月)

 

 「木樵」と称しつつ、文学への志が秘められている一連である。『ポトナム』には、当時すでに編集者だった同人、石黒氏のようにのちに出版人となった同人も多い(以下敬称略)。福田栄一、松下英麿(ともに中央公論社)、只野幸雄(短歌公論社)、小峰広恵(小峰書店)らは、『出版人の萬葉集』(エディタースクール出版部 一九九六年)*にも登場するが、他に、小泉苳三(白楊社)を筆頭に、新津亨(時事新報社勤務、パンナム書房)、尾崎孝子(歌壇新報社)、小島清(古書店、初音書房)、不破博(経林書房)、薩摩光三(短歌山脈社、岡谷市民新聞社)、片山貞美(角川書店)らがいる。ユニークな業績を残した出版人であった。石黒には、先のアンソロジー『出版人の萬葉集』に次の一首がある。

 

・不公平の公平をこそ期すべしと編集者の我に教へたまひき

(土岐善麿先生死去) 

           (『ポトナム』20135月号所収)

 

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