『出版人の萬葉集』の思い出~「図書館」という場所
先の記事(6月 3日)に登場した『出版人の萬葉集』に、私は「図書館員」ということで声をかけられ参加した。16首ほど収録されているなかで、「図書館」という項目の冒頭に収録されている一首「亡きひとは図書係とて図書室の椅子に背広を掛けたるままに」の思い出である。古書店を営んでいたこともある、評論家の出久根達郎氏が、エッセイ集『粋で野暮天』(オリジン出版 1998年)では、つぎのように紹介してくださっていた。もちろん面識はない。
「歌の方が散文よりも、ある面で多くを語っているということができる。たとえば、つぎの一首。
・亡きひとは図書係とて図書室の椅子に背広を掛けたるままに(内野光子)
私はこの歌から短編小説風の物語を思い浮かべた。背広は霜降りがいい。汚れが目立たないから、と故人が好んでいた柄である。椅子に掛けてあったそれは、新調したばかりのものである。そして、―いや、よそう。」
何となく面映ゆさを感じる鑑賞であった。実は、この図書係の方は、私が当時勤めていた短大図書館の隣にあった姉妹校の女子高の若い先生であった。女子高に就職して2・3年だったのだろうか、精神的な負担が大きく教壇に立てなくなって、図書室専任になったと聞いていた。それから、何か月目だったのだろうか、自殺だったという訃報が届き、用事で出かけた、その図書室の端に置かれていた机と椅子、その椅子に、まだ彼の背広がかかっていたのである。
私が勤めていたころ、一般的に大学や学校の中で、職場でやや問題があると、「図書館に回される」ということがひそかに語られていたのである。なんとその数年後、私たちの職場にも、降りかかってきた。市立図書館を定年前に退職した職員を迎えることになった。この男性を責めるわけにはいかないのだが、どういうわけか、学校法人の幹部は、精神にやや問題のあることを承知の上で、図書館への配属を決めたらしい。1か月もたたないうちに、一緒には仕事ができないことがわかって、事務長や館長、労働組合にも相談するが埒が明かず、解決にはだいぶ時間がかかったのであった。
「図書館」への偏見は、今でもときどき垣間見ることがある。現在にあっては、公共図書館にTUTAYAが参入する時代になったが、安上がりの図書館でありさえすればいいのか、情報社会における図書館の役割を行政や教育現場で、ほんとうに理解しているのだろうか、とときどき疑問に思うことがある。
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