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2013年7月13日 (土)

自衛隊機の夜間演習飛行、日没から夜8時までの2時間!

 ほそぼそとしたウォーキングながら、この猛暑で、昼から夜に切り替えた。これまでも夕食後、一休みした8時ごろから歩いていたことはあったのだが、その時は気づかなかったことがある。佐倉市上空の航空機騒音について、このブログでも何本かレポートしている(その主な記事は、末尾参照)。羽田着陸便、成田離陸便の件数・高度・航路、海上自衛隊の下総航空基地(柏市・鎌ヶ谷市)から発着するP-3Cの飛行演習の実態などについてはある程度調べていた。
 
詳しくは、下記のブログ記事を見て頂くとして、概況として、繰り返しになるが、羽田着陸の民間機、春から秋にかけての南風仕様時の高度は1200m、北から南へと向かう。多いときで3分に1機、少なくとも56分に1機は通過する。かつては夜11時からの発着はなかったが、LCCサイドからの要請で以降も可能になった。夜、窓を開けて寝る季節には、びっくりするような騒音になる。高度は比較的高く、東から西へと飛ぶ成田離陸便は、180機以上は通過すると、空港の担当者から聞いた。

一方、自衛隊機は、朝の9時台に下総基地を発ち、館山沖で訓練し、午後3時前後に、佐倉市上空を通過する。天候にもよるが、土日を除く週5日、23機が飛んでいる。高度は、500800mと聞いた。機体も大きく見えるし、家の真上を通過すると、やはり怖い。東京スカイツリーより低いこともあるのだ。 

そして今回、早めの夕食を済ませ、7時半前後にウォーキングに出ると、頭上を、前方への照明が2本の牙のように、航空機が高度を下げて来るではないか。しばらく大通りを歩き、中学校のグランドを突っ切ってくると、なんとさっきの飛行機が低空で何回も旋回しているのがわかった。これは民間機の航路ではない。そういえば、昨晩も、遠周りに旋回している風の機体を見かけ、ヘリコプターかしらと思っていたが、どうもおかしい。帰宅後、下総基地に電話するも、当直らしく要領を得ない。翌日電話をすると、連絡先を聞かれ、すぐに回答があった。下総基地のP-3C(哨戒機)の夜間の発着訓練飛行は、23年度・24年度の実績でいうと、年間150200日、日没前後から夜8時までの約2時間、週に34日、23機が飛行しているという。高度は、800m位ですかと聞くと、どういうわけか760mという数字が出てきて、高くても1200m位との話であった。今週は、月・火・水と3日続いたという。もう、何十年も続けているが事故はない、と確信に満ちた声だった。「佐倉市役所の総務課には、毎週1週間前には事前通告していますよ」とのこと。アー、知らなかった。のん気といえばのん気だったのだが、夜、民間機の騒音に紛れて、自衛隊機が飛んでいたのだった。 

そして、そもそも「下総航空基地」って、どんな?とあらためてネットで調べてみると、そのホームページには、ゆるキャラの着ぐるみ隊員が登場、720日の「サマーフェスタ in 下総/ オープン・スクール」のお知らせである。施設見学やスポーツ大会、各種体験コーナーや模擬店が開催されるらしい。基地での盆踊り、花火大会、航空ショーなどはよく聞くところであるが、近年の自衛隊のPR活動はすさまじい。子どもたちに小銃や機関銃の操作体験までさせて物議をかもし、市民団体が防衛相・自衛隊幹部らを銃刀法違反で刑事告発して、「銃は展示」だけにとどまらせたというニュースも思い出す。町おこしのイベントに自衛隊に戦車の出動を要請した大洗町のことも報道されていた(「NHKニュース」712日)。 

下総航空基地は、海上自衛隊に属し、教育航空集団司令部が置かれ、いくつかの部隊が在籍しているが、その中心が、第203教育航空隊で、 P-3C機のパイロット養成が目的である。そして、この基地自体の沿革を初めて知って驚くのだった。

・海上自衛隊・下総航空基地<沿革> 

http://www.mod.go.jp/msdf/simohusa/base_shimofusa/base_shimofusa.html#enkaku

 

  ・千葉の戦争遺跡 <鎌ヶ谷市の戦争遺跡2(藤ヶ谷陸軍飛行場関連)> 

http://blog.goo.ne.jp/mercury_mori/e/72877b6c11e107b3364fa82fe1f61a99

 

下総航空基地の前身の藤ヶ谷陸軍飛行場は、「1932年(昭和7年)、東洋一の規模を誇り、広大な敷地をもつ<藤ヶ谷ゴルフ場>(武蔵野カントリークラブ・藤ヶ谷コース)として開発された土地を、1944年(昭和19年)には、陸軍が首都圏防衛を目的として接収、同年秋頃から鎌ヶ谷と風早村(現:柏市)にまたがって飛行場の建設が開始された。工事には、大相撲の力士や付近の住民、中学、女学校などの生徒、約1200人の朝鮮人労務者が動員された。中学生たちは、学徒動員で1ヶ月泊り込みで飛行場建設に奉仕した」と、上記「千葉の戦争遺跡」には、記されていた。さらに、19454月に完成した藤ヶ谷陸軍飛行場は、敗戦直後には米軍に接収され、15年間以上も、米軍基地となっていて、全面返還されたのが19606月であった、と上記、基地のホームページの「沿革」には記されている。 

このブログ記事を書いているさなか、新聞の参院選情報の一つ「憲法の現場から」で9条を扱っている記事が目に留まった(『朝日新聞』2013712日、千葉版)。「?」その記事の写真に、なんと「下総基地の米軍機使用絶対反対」という背の高い看板が写っていたのだ。「米軍機」って、なんだろう。記事によれば、下総基地が、1980年代に米軍艦載機の夜間発着訓練の移転候補地に浮上し、周辺8自治体の移転反対の要望書を出したり、議決をしたりした。そこで、当時、鎌ヶ谷市役所の一画に建てられたのが、写真の看板だったのである。現在も、国は移転検討を止めてはいない。反対運動を支え、平和の大切さを訴えることができるのは憲法9条があったからと、鎌ヶ谷基地連絡協議会のひとりが語っていた、と記事は結ばれていた。 

成田や羽田の離着陸のコースが、千葉県に集中するのは、東京湾の西側の上空に民間機が飛べず、分散できないというのも、横田基地があるからというのは、周知の事実である。日本の空であって、日本の航空機が飛べない。たかが航空機騒音では済まされない、自衛隊の基地、米軍の基地の問題が、これほど身近に迫っているということを感じさせる一件であった。 

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<当ブログの主な関連記事> 

◇『すてきなあなたへ』66号「志津地区上空の航空機騒音、ようやく調査へ」(2012919日)http://dmituko.cocolog-nifty.com/sutekinaanatahe66.pdf

 

◇ 8月市議会傍聴、航空機騒音について(201296日) 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2012/09/8-75e2.html

 

◇佐倉市の航空機騒音、その後(2012819日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2012/08/post-bd02-1.html 

◇副市長辞任と航空機騒音2012615日) 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2012/06/6-bcdd.html

 

◇自衛隊機、500mの低空飛行~50年も続いている(2012411 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2012/04/50050-5a56.html

 

◇『すてきなあなたへ』64 号「この夏の航空機騒音、佐倉市の空はどうなる」20111121日) 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/sutekinaanatahe64.pdf

 

◇佐倉市上空、飛行の可能性のすべて~やはり実態調査が必要なのでは

2011118日) 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2011/11/post-3f30.html

 

◇羽田空港の国際化から1年、佐倉上空の騒音は(20111114日) 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2011/11/1-9441.html 

◇中秋の名月を仰ぎ、機影を数える~航空機騒音の、その後

2011918日) 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2011/09/post-0479.html

 

◇この夏、航空機騒音、気になりませんか~佐倉市上空は、5分に1機の低空着陸 飛行!2011727日) 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2011/07/51-563f.html

 

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