短歌総合誌の役割
(以下は『ポトナム』7月号「歌壇時評」です。)
短歌総合誌の購読をいつ辞めようかと迷う。自分が所蔵してなくても、どこかの図書館へコピー依頼ができればよい。が、短歌雑誌関係の記事索引が整備されていないので、総合誌だけでも手元に置きたいという思いに駆られる。夥しい数の結社誌や同人誌はもちろん、何種かあるタブロイドの新聞については尚更で、検索の手段がないということは、掲載の作品・エッセイ・論文や記事は消耗品のようになってしまう。国立国会図書館、日本現代詩歌文学館、国文学研究資料館、日本近代文学館などがデータベース化していても不思議はないのだが、短歌雑誌に関しては、その採録対象がどこも半端なことで終っている。その間隙を補うような形で、年間の記事索引作成のような仕事は、一部、一時期、短歌総合誌が担ってきた。
角川の『短歌年鑑』に、結社誌や同人誌も含めた文献目録が掲載されなくなったのはいつからだったか。私が所蔵している一番古い一九六六年版には「一九六五年度短歌年表」(阿部正路道編)があり、すでにその欄は設けられていた。三一〇頁のうち四六頁を割いている。平成八年度版(一九九五年一二月刊)には、「平成七年度短歌評論年表」(編集部)として続いていたが、その数年前から採録対象は『短歌』『短歌研究』『短歌現代』の三誌に限られていた。平成八年度版、平成九年度版(一九九六年一二月刊)の「編集後記」のいずれも、この「年表欄」の中止に触れることなく、静かに消えてしまっていた。その後、数年間のブランクがあって、現在のように、自誌『短歌』のみの一年分の目次を載せるようになった。短歌研究社の『短歌年鑑』では、二〇〇三年版(二〇〇二年一二月刊)から「全国結社同人誌主要論文一覧〈作家論・古典研究・現代短歌論〉」が登場する。他の「評論展望」「特集展望」欄などと合わせれば、短歌雑誌の年間索引として利用できるし、わずかな点数の抄録もある。が、対象雑誌の網羅性は望めないし、キーワードでの検索ができない。それでも、国立国会図書館「NDL-OPAC」、国文学研究資料館「国文学論文目録データベース」を補完する目録とはなるだろう。こうした地味な仕事は、誌面と人材の関係でなかなか続かないが、少なくとも、今の形でもいいからぜひ継続してほしい。
このように文献探索が容易ではないからと言って、身近なところで〈見つけた〉資料や身辺の文献をことごとしく掲げ、先行研究や文献、出典等の紹介や提示がおろそかな論文やエッセイが横行していいというわけではない。都合の悪い先行研究は無視し、読者が検証できる手がかりを残そうとしない場合もある。『ポトナム』には、小泉苳三の書誌学的な蓄積や伝統もあり、国文学の研究者も多いなか、歌壇に模範を示していくべきだろう。
なお、『短歌研究』は、二〇一三年の場合、三月に「現代代表女性歌人作品集」、五月に「現代の104人」というように、毎年、各々の節句に由来する特集が組まれる。今年の三月には一五一人と付記されていた。五月は、長い間「現代の88人」が定着していたが、近年は、寄稿の歌人の数が少しづつ増えている。男性が「現代の・・」であり、三月だけに「女性」と明記されるのはいかにも不自然ではないか。作品集への女性の寄稿者数が男性より多いものの、「歌壇」の実態や読者の数は、その比ではなく圧倒的に女性が多い。また、「現代代表女性歌人作品集」となったのは二〇一二年からで、それまでは「現代代表女流歌人作品集」だった。「女流」は、「男流」という対語がないことから差別的な意味合いがあるとして、影を潜めたと思っていたのだが、歌壇にはどっこい生きていたことになる。
(『ポトナム』2013年7月号所収)
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