エミール・クラウス展とゲントの思い出(1)
改装された東京駅を通過したことはあっても、じっくりは見ていない。東京ステーションギャラリーで、ベルギーの印象派の展覧会をやっているという記事とやさしい絵柄のポスターに是非にもと思っていた。東京に出たついでながら、寄ってみた。正式には「エミール・クラウスとベルギーの印象派」(2013年6月8日~7月15日)。クラウス(1849-1924)の名は初めて聞く。ゲントの美術アカデミーの校長先生で、日本からでは珍しく、ベルギーに留学した児島虎次郎と太田喜二郎の師でもあったという。その日本人画家の名も聞いたことはあるが、どんな絵を描いたのだろう、という程度のことだった。
ゲントといえば、海外旅行の行き始めの頃、2002年の秋にブリュッセル4泊、パリ3泊というラフな計画で発った旅で、ブリュッセルから日帰りで 出かけたところでもあった。たった1日の滞在でなつかしいもないのだが、好印象の記憶がよみがえる街なのだ。
「ルミニムス」って?
↑①「野の少女たち」((1892頃、ベルギー個人蔵)
↑②「レイエ河畔に座る少女」(1892年頃、ベルギー個人蔵)
↑③「そり遊びをする子どもたち」(1891年、ゲント美術館蔵)
クラウス作品は、ゲント美術館からの出品はあまり多くはなく、下記の第2章にほとんど集められていた。
第1章 エミールクラウスのルミニムス
第2章 ベルギーの印象派:新印象派とルミニムス
第3章フランスの印象派:ベルギーの印象派の起源
第4章ベルギーの印象派、日本の受容
今回の展示での順路は、第2章から始まり、第1章のクラウス作品へと導かれる。クラウスの出品作の大部分は、ベルギーの個人所蔵のものが多いから、これだけまとまって見られるのはまれなのかもしれない。
①は、展覧会のちらしの背景になっていた作品で、枯れ草の野道を靴を脱ぎ、裸足で三々五々、帰ってくる光景だろうか。逆光のなかの少女たちの表情はやや疲れを見せる風でもあり、充実感が感じられる風でもある。
②のレイエ川は、ゲントの街を流れる川で、クラウスの絵にはしばしば登場する。ゲントは、スヘルデ川とレイエ川が合流し、水の豊かな街でもあり、小さな観光船も行き来している。この絵のレイエ川はゲントの郊外、クラウスの住まいのあったラーテム村だろうか、チケットの絵にもなっている。
③は「ルミニムス(光輝主義)」と呼ばれるにふさわしいような作品で、今回の展覧会カタログの表紙を飾っていたが、私は数枚の絵葉書だけ買って、購入はしなかった。そんなわけでやや資料不足ではある。
エミール・クラウス展の会場では、もちろん撮影は禁止。3階から2階に移る時の写真と窓からの写真が撮れた。回廊からの丸の内北口ホールを俯瞰したが、斜めになって失敗。帰りを急ぎ、結局、今回も駅舎見学は見送りとなった。(続く)
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