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2013年7月 6日 (土)

「花岡萬舟・戦争画の相貌Ⅱ」展へ

 会期末も近い「花岡萬舟・戦争画の相貌Ⅱ」展(520日~76日、早稲田大学会津八一記念博物館)に出かけた。というのも、私のブログの「戦争画の相貌・花岡萬舟連作展へ」という下記の記事へのアクセスがどういうわけか増えているナ、と思っていたところ、表記の展覧会が開催されていることを知った。

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↓正面奥に大隈重信像が見える
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http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/07/post-3f6e.html

200971日)

↓前回展覧会の案内はがき(「大別山突破」)

Photo

 

南門を入ってすぐの2号館の旧図書館、会津八一記念博物館は、キャンパスの喧騒からは想像もつかない静かな一画である。詳しくは、上記、前回の展覧会の2009年7月の記事に譲るが、寄贈された花岡萬舟の戦争画は、前回の展示には間に合わなかった、傷みの修復が完了して、残りの作品が公開の運びとなり、パートⅡと題された。2回の展覧会の趣旨は、その主催者の「絵画作品が担ったプロパガンダの役割を戦争画の展示空間そのものを通して、如実に伝えていこうとする試みです」「過去にあったコトの隠蔽が歴史考察の土台を形成しうるはずがありません」(「花岡萬舟・戦争画の相貌Ⅱ」カタログ)という言葉に集約されている。これらの言葉は、竹橋の東京国立近代美術館が、アメリカから返還された150点以上の戦争画を、小出しに公開するのみで、言を弄してその全容を公開しようとしないこと(以下のブログ参照)への抗議でもあろうか、私立大学の博物館の自負でもあろうか、この企画に敬意を表したい。 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/09/post-5b23.html

2009921日)

 

萬舟の絵画の芸術的な価値については、専門家ではないので控えるが、なんとなく昔の子どもの絵本や戦記ものの挿絵を見るようで、平板で、タッチは軽いように思われる。萬舟は、前線の兵士たちとどこまで一緒に従軍したのか、資料や写真による制作だったのかは、他の戦争画と同様、ほとんど不明で、萬舟の場合は制作年も明らかではない。ただ、カタログの解説にもあるように、雑誌に発表されたり、展覧会に展示されたりの記録がある作品は、その作品の内容と摺合せ、制作年の見当がつけられるが、今回のカタログのデータには、推定の制作年も記されないままであり、解説で考証されるのみであった。公開作品は33点、前回公開済みの大作も2点が含まれていた。 

展示の中で、最も印象深かったのが「英霊永久ニ眠ル」と題された作品だった。激戦のあとの焼跡の夕ぐれ、建物の残骸が遠・近に配され、辛うじて焼け残った樹木の幹だけが立ち、その間に建ついくつかの白木の墓標、そこだけ夕陽につつまれるように膝まづき祈る人影。その人影に配された小さな日の丸は日本人兵士の犠牲を意味するのだろうが、空しさが際立つ荒涼とした風景である。 

さらに、勇壮な戦闘場面というわけでもない「重慶ノ水汲ミ」は、階段を天秤で水桶を運ぶ人々を描いた作品で立体的な構図が生きていると思った。が、会場の係の人と話す機会があって、この天秤の使い方がおかしい、手の位置がおかしいので多分、写真を見て描いたのだろうと指摘する入場者がいらしたということだった。また、今回の案内絵はがきの背景にもなっている「死のクリークに架る人橋」は、臨場感がある作品と思ったが、これも、『支那事変写真帖』(研文書院 19381月)に「涙せよ!蘇州河に於る工兵隊の活躍」とのキャプションがある似た構図の写真が、カタログに掲載されていた。タネ明かしされたような気分ではあった。数年前、竹橋の国立近代美術館に展示されていた、清水登之「工兵隊架橋作業」(1944年 戦時特別文展陸軍省特別出品) と題する作品を思い出す。人間の橋ではなく、首まで水につかって架橋作業をする兵士たちを描いていた力強い作品だったが、あれにも写真があったのだろうか。

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/09/post-5b23.html

2009921日)

ともかく、ここで大事なのは、少なくとも、多くの戦争画が、多くの画家によって、こうした経過の中でプロパガンダとしての絵が描かれたという事実を直視することではないかと思う。

↓今回の案内絵葉書(「死のクリークに架る人橋」)

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 ↓花岡萬舟「英霊永久ニ眠ル」

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↓清水登之「工兵隊架橋作業」(1944年)

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前回のブログ記事には、いくつかのコメントが寄せられ、リンクをしてくださったブログもあった。返信もしないままではあったが、今回の記事をそれに代えることができればと思いつつ。会場の係の方には、ブログのこともしっかり?!宣伝をして、会場を後にした次第である。

↓展覧会会場を出て振り返れば大隈講堂、2号館前では大掛かりな建設工事が進んでいて、それを蔽うシートには、早稲田キャンパスの新旧の建物のスケッチと解説が書かれていた。

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