首相が歌人を招かなくとも
(以下は、『ポトナム』6月号の「歌壇時評」です)
三・一一以降、私の中で、何が変わったかといえば、マス・メディアは真実を伝えてこなかった、ということを思い知ったことだ。怪しげな政治家やエコノミストは言うに及ばず、素人でも言えそうなコメントを口にする専門家、テレビでは、報道番組にすらお笑い芸人や女優が起用される世の中である。原発事故報道やTPP報道をみても、公正・中立性を標榜するマス・メディアのはずが、政府広報に甘んじているのはなぜだろう。
全国紙には、必ず「首相の動静」「首相の一日」といった官邸発表の小さな記事がある。前日の首相の朝から帰宅するまでの動静が時間を追って記される。閣僚、官僚、経済人たちと面談し、外国の賓客、ミス○○やアスリートたちの表敬訪問を受けたりする。しかし、その中で、私が不思議に思うのは、歴代の首相もそうであったに違いないのだが、安倍首相は、新聞社やテレビ局の社長や要人を招いて会食をしていることである。今年に入って三か月余の間に、読売・産経・朝日・毎日・日経・共同通信、フジテレビやテレビ朝日の社長たちとの会食を済ませているから、ほぼ一巡したことになる。これはまさに、今のマス・メディアの姿勢を象徴的にあらわしていよう。NHKの会長は、まだ登場してはいないが、予算と経営委員人事は国会の承認がいわば枷になっている。二〇〇一年、当時の自民党官房副長官安倍晋三の言動が、NHK番組編成で政府の介入にあたるか否かが裁判で争われたこともある。
歌人が首相の会食に招かれたとは、近年聞いたことがない。しかし、歌会始の選者や召人・陪聴者としては、必ず毎年招かれている。他にも文化勲章、芸術院賞、芸術選奨、紫綬褒章などが時々歌人にも授与される。もちろん専門家の選考委員や推薦委員を経て決められてゆくのだが、少し調べてゆくと、その委員に起用される歌人たちはごく限られた長老をふくむ特定の歌人たちで、入れ替わり立ち代わりして、その任務に勤しんでいることわかってくる。ときの権力による二・三の一本釣りさえ成功すれば、介入するまでもなく、歌人の出身結社、師弟関係、その情実や互酬関係がおのずから発揮されて、望むところに収まっていくというのが実態ではないか。これら官製の賞に、他の色々な短歌賞や新聞歌壇選者などが絡まって、微妙なバランスがとられているのが「歌壇」の現状かもしれない。
この「歌壇」の圏外にある者が何を言おうと意に介せず、無視すれば安泰なのである。なかに、短歌の実力者や論客がいても、長老へのご挨拶や仁義を切ることを忘れずに、物申す光景はいじましくもある。こんなこともある。去年の本誌五月号の歌壇時評で『朝日歌壇』の小学生短歌の入選について、従来からの新聞歌壇の役割に触れて問題はないのか、と指摘した。その後、私のブログにも掲載したところ、アクセス数がじわじわと増加し、アクセス解析によれば、一年経った今でも、「朝日歌壇」「小学生・短歌」「小学生・朝日歌壇」「松田梨子・わこ」などのキーワード検索によるアクセスがコンスタントに続いている。かなり関心が高いテーマだと思うのだが、選者や歌壇からの反論もない。プロの歌人はそんなことには目もくれないらしい。一方、他ジャンルの著名人から、たとえば、俳人長谷川櫂が先駆けて「震災歌集」を出したからといって、金井美恵子が歌壇批判をしたからといって、大仰に反応するのも歌壇である。外圧に弱いのは今の政府だけではない。(『ポトナム』2013年6月号)
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