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2013年9月29日 (日)

下総航空基地へ~佐倉の航空機騒音の原因の一つ

928日(土)は、地元の9条の会の有志で、海上自衛隊の下総航空基地開設54周年記念祭に出かけてみた。新京成の新鎌ヶ谷駅前から、基地行きシャトルバスが出ていて、10分ほどでゲイト通過、しばらく走っての下車。子連れの家族が多いし、若い男性も、年配の男性も多い。かまぼこ型の巨大な格納庫が3つ並んでいる。一つをくぐると航空機やヘリコプターが幾機も並んでいて、もうすぐ「祝賀飛行」が始まるということで、遠い滑走路を前に、何重にも人垣があり、肩車の子どもも何組か見える。

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まず習志野駐屯地の空てい部隊のヘリコプターからの降下のパフォーマンス、赤い発煙筒がたかれた草はらに次々と着地する。P-3C三機による低空での旋回が始まる。青空の銀翼を真下から見上げるのは初めてである。佐倉の自宅の上空で見るP-3C700m前後かそれよりも低いこともあるらしいが、この日見上げたのは、もちろんそれよりも低空である。地上の見物人からは思わず声があがる。第2格納庫前の放送席からは、簡単な説明が流されるが、振り向くとその左右には、制服の幹部たちと背広の来賓たちが並んでいるのに気が付いた。佐倉市長が来賓席に来ているかどうかは、オペラグラスでもないと分からない。「祝賀飛行」が終わると、「午餐会」へどうぞと、そこは空っぽになった。

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私たちも少し早目のお昼をということで、お好みの屋台の店に並んだ。腰を下ろした芝生の辺りには赤とんぼが飛んでいた。再び戻った格納庫では、太鼓の披露のさなかでもあり、隣の格納庫では、装備品の展示場になっていた。大震災時、浦安で活動した給水車や一度に200人分の炊飯ができるという炊飯車なども展示され、大きなお釜の周りには幼い子供たちが乗り降りしていた。落下傘や迷彩服の装着ができるコーナーでは若い男性たちが順番待ちをしていた。東日本大震災の折の救助活動が感謝されたというが、自衛隊の存在・目的を意図的にすりがえてしまっているのではないか。こんな風に、軍事化への道に取り込まれていってしまうのだろう

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祝賀飛行の折は近づけなかった航空機やヘリコプターが接近して見られるようになり、説明の隊員も配置されていた。軍事オタクというか飛行機オタクというのか、望遠レンズ装着のカメラを持った男性たちが右往左往していた。昔、『航空ファン』『航空情報』とかの雑誌があったのを思い出すが、いまどうなのかなあ。ヘリコプターでも、戦闘用と輸送用では、プロペラから姿形などこれほど異なるものかというのも知るのだった。ところで、この基地の滑走路は、帰宅後調べると、長さ2250m、幅30mだったそうだ。

最後に、資料館へということになったが、案内の隊員に尋ねると、休館かもしれないし、歩いたら15分もかかるという奥まったところにあるとのことだった。この基地の沿革など知りたかったのだが、残念ながら、次の機会に譲ることにした。シャトルバスも混まないうちにと、止まっているバスに着席してしばらくすると、なんと見る見るうちに長い行列になっていた。

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基地開設54周年というのが、今日のイベントだったのだが、ホームページをざっと見たところ、19606月に米軍から全面返還されて、自衛隊の基地になったのである。先のブログにも書いたが、もともと、この基地のあった場所は、1932年に藤ヶ谷ゴルフ場として開発されたが、太平洋戦争末期の1944年首都防衛のため陸軍が接収、陸軍飛行場として、朝鮮人の大量動員などによって19455月に完成している。敗戦後は米軍の基地となり、1960年に返還されたというわけである。総面積262ヘクタール、ちょっと見当がつかないが、わが家近接の井野東土地区画整理事業による開発面積が50ヘクタール弱、業者によれば1300戸建設の予定だというから、その何倍?

この基地が、1980年代になって、米軍の艦載機夜間発着訓練用の基地として候補地に挙がり、再び米軍基地となる動きがあったという。近隣8自治会の反対要望書が出されて、沙汰やみになっているが、いつまた、その話が再燃するか、地元住民の不安が募っているというのだ。この頃の自衛隊の広報活動は活発で、この日の基地のイベント開催と大掛かりなものから映画・ドラマのロケ地提供、テレビのドキュメンタリ―への売り込み、学校・自治体・企業からの職場体験や研修の受け入れ、必死の隊員募集などに見ることができる。

 来年度予算で陸上自衛隊のオスプレイ導入のための調査費がつけられるという。関東圏でも横田基地など米軍基地のみならず、自衛隊の習志野駐屯地などからの発着が案外早いのかもしれない不安がある。災害救助や災害支援のための人材養成、装備の拡充は、納得する国民も多いだろう。しかし、近隣の環境被害、汚職・不正経理やいじめなどが絶えない自衛隊、桁違いに財政を圧迫する軍拡はもうごめんだ。「集団的自衛権」などもってのほかである。アメリカにものが言えない、「立ち話」さえままならぬ「外交」の拙劣さ、配慮のない暴言いや本音が許されてしまう首相や政府を変えるためには何ができるか。9条の会の課題は大きい。

 

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コメント

諸外国の動向、憲法の意味、自衛隊の意義と重要性をきちんと勉強して下さい。

投稿: | 2013年10月25日 (金) 10時57分

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