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2013年12月28日 (土)

今年のクリスマス・プレゼントは・・・

 娘が家を離れた後も、しばらくは、親子や夫婦でのプレゼントはほそぼそ続いたが、まったくやりとりがなくなって、何年になるだろう。それに、三越からにするか、生活クラブのギフトがいいかなど迷っていたお歳暮も、近年は失礼するようになってしまった。

 そんな折、1225日の朝、宅急便で古書を発送したというメールが届いた。なんと、先日紙芝居のシンポで初めてお目にかかった櫻本富雄さんからだった。「いま、書庫を整理しているから、詩歌関係の古書を送りますよ」とはおっしゃっていたのだが、まさかこんなに早く贈っていただけるなんて・・・。翌日届いた段ボール箱を開けるときのワクワク感はたとえようもなかった。戦時下の著作物を徹底的に収集して、表現者の戦争責任、表現責任を問い続けて来られたコレクションのほんの一部ということになる。とくに太平洋戦争下のアンソロジーは、当時、奥付に発行部数が示され図書も多い。

 支那事変歌集 (斎藤茂吉・佐々木信綱選)読売新聞社編 三省堂 193812

 聖戦歌集 読売新聞社(清水弥太郎)編 194110月(初版193910月)

白衣勇士誠忠歌集・昭和萬葉集 由利貞三編 日本皇道歌会 19423

聖戦短歌選 日本放送協会編刊(ラジオ新書)19429月(4000部)  

大東亜戦争歌集・愛国編 柳田新太郎編 天理時報社 19432月(3000部)

 大東亜戦争傷痍軍人歌集御楯 佐佐木信綱・伊藤嘉夫編 千歳書房 19437月(初版19433 

 月)(3000部)

大東亜戦争歌集 日本文学報国会(代表久米正雄)編 協栄出版社 19439月(5000部)

 軍神頌 村崎凡人編 青磁社 194412(3000) 

これらの一部は、図書館などで閲覧したり、一部コピーをとったりした記憶がある。しかし、手許にある・ないでは大違いである。150頁ほどの新書版の上記『聖戦短歌選』は、初めて見た。全国の傷病将兵、傷痍軍人らから短歌を募集、川田順、松村英一、吉植庄亮、土屋文明の選による短歌の講評が放送され、その採録である。愛国百人一首の評釈書が数冊、下記のような俳句関係書も入っていた。秋櫻子編の俳句集は、『馬酔木』の19422月~19432月から収録していて、宮田重雄の装丁が眼を引く。

聖戦俳句集 水原編秋櫻子 石原求龍堂 19438月(5000部)

俳句年鑑 日本文学報国会編 桃蹊書房 19442月(3000部)

 俳句のすすめ 日本文学報国会編(文庫版) 三省堂19446月(10000部) 

 せっかく譲っていただいた貴重な古書、活かす手立てを考えねばならない。年末年始は、まず、これらを少しでも読み進めてみよう。

 暗いニュースばかり続く年末のすてきなクリスマス・プレゼントに感謝し

つつ、一歩踏み出すことができればと思う。

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冬至は過ぎてしまったけれど~牛込穴八幡宮参拝

 所用があって早稲田まで出かけた。いつもは素通りするのだけれど、穴八幡宮が提灯や法被の人達が出入りして、何となく賑やかそうなので、つられて階段を上った。いつだったかは、たしか古本市が開かれていた。今日は、階段の両側には占いのコーナー、根付やアクセサリー、チョコバナナ・飴・おやき・酒まんじゅう・干し芋・・・などのなつかしい露店がぎっしり。冬至には、大変な人出だったらしい。冬至の「一陽来復」のお札は、「金銀融通(ゆず)」ということで金運が開けるそうだ。私は、ともかく病院通いを減らしたい、健康を願って小さなお守りいただいた。町内で思いがけない事故や事件が続いたので、「厄払い」もと願った。家へ帰って見せると、「ついに神だのみか」と家人に笑われてしまった。

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今日は静かな境内

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札所も並ぶことなく

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意外と若い人達が多いのも大学が近いから

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この柿は甘いよの声に試食も

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ニュー・タウンも老いてゆく~ユーカリが丘の場合

 佐倉市の人口増や街の若返りに寄与していると、胸を張る開発業者の社長はカンブリア宮殿に出演するとか、新春のNHK番組でも「ユーカリが丘」の取材があったとか、事前には各戸にチラシが撒かれる。駅前への大学誘致にも熱心で、3000坪を無償提供するといい、佐倉市にも助成を迫っているのである。都心回帰の傾向が強い大学が多い中、この財政難の佐倉市は引き受けてはならないと思う。駅前に学生がたむろしたからと言って、どれほどのメリットがあるのか。どれほど長続きするのか。消費や雇用を創出?ファストフードやコンビニ様のものが増えて、パート職が少しは増えるかもしれないが、住みやすい街になるのだろうか。この計画には、隣接の地元の自治会が、きちんとした説明がないと市や開発業者に怒りをぶつけている。

 しかし、その一方で、私の住む地区は、同じ開発区域ながら、駅から歩いたら30分近く、新交通システムというモノレールの駅からも5分というところだ。京成線からは「奥まった」いや「はずれ」に位置する。この町内で、11月、12月と痛ましい事故や事件が起きた。

餅つき大会の死亡事故

 一つは、自治会主催の餅つき大会で、班長さんとして参加した男性が、餅をのどに詰まらせ、病院に搬送後亡くなった事故だ。私も自主防災委員として参加していた行事のさなかに発生した。会場が中学校だったので、当直の先生と班長の一人の家族だった非番の消防士の方が駆けつけて、餅の一部が取りのぞかれ、顔色も戻りかけた頃、救急車が到着した。しかし、その1時間後には訃報はもたらされたのである。ここで、明らかになったことは、救急車が出た後も、その男性の身元が分からなかったことだ。まだ、一般会員が集まり出す前の、準備中のことで、つきたてのお餅を味見していた班長さんの一人と思われたが、その身元を確認できる持ち物もなく、他の班長さんも誰かとは確認できなかった。もしかしたら、通りすがりの方かもしれない、などともささやかれた。ようやくの班長さんの出欠確認点呼の途中、一人の班長さんの名前が浮上した。辺りを呼びまわっても名乗り出てくる者がいない。

自治会役員が持っていた班長名簿には番地だけで電話番号が記されていない。そうだ、自治会の会員名簿が廃されて10年になる。私は、自宅に電話をかけて、家人に10年前の名簿を開いてもらって、電話番号を読み上げてもらった。私が復唱する番号に役員は電話を掛ける。「主人は餅つき大会に出ている」との返答にあわてて、着衣などを確かめるがはっきりしない。同時に、班長さんの一人が、自転車でそのお宅まで走り、奥様を連れて来られた。現場に残された眼鏡で、ご主人と確認したときはすでに、救急車は発っていたのである。奥様と役員は、病院へと追いかけた。

 自治会の催事でありながら、しかも毎月班長会を開いているのに、誰一人、名前や顔を知る者がいなかったという事実、主催者が参加者の連絡先を持ち合わせていなかったこと・・・などもさることながら、死に至らしめた事故に、私は住人として衝撃を受けた。「ご近所の絆」「近隣の共助」など、口でいうのは簡単だけれど、自治会がその役を果たし得なかったことである。何が問題であったのか、高齢社会における災害や事故などの危機管理の在り方が問われるのではないか。

 いま、佐倉市や開発業者は、自治会や学校、地区社協などを束ねた「まちづくり協議会」の設立に熱心だが、屋上に屋を重ねるような、助成金というバラマキによって地域の要望や問題の噴出を抑制するような制度は、かえって住民意識を薄弱にするのではないか、という気がしている。

致死事件にいたった老々介護

 朝刊の地方版を読んでいて、「ああっ!」と声を上げた。そういえば、昨日の午前中、パトカーや救急車の音が騒々しいなと思っていたが、この街は通過点だと思っていた。ところが、記事は、隣の班で、道路一本を違えた、5軒ほどさきのお宅、70代の男性が60代の女性に手をかけたという殺人未遂事件を伝えていたのだ。記事によれば、元夫婦の間柄で、奥さんだった人が認知症になったことで、数年前から同居をしていたということだった。そんなことは初めて知った。私は、その両人がいつも二人で散歩しているのに出会っている。こちらが犬を連れていると、必ず声をかけてくれる奥さんをご主人は、いつもニコニコと見守っていた。そんな風に私の眼には映っていたのだが、病気のことも間柄のことも知らなかった。美談にもなりそうな経緯が、一転して事件になった背景に何があったのかは、定かではない。記事には、女性から罵声を浴びせられたり、傷をつけられたりしたので、男性がかっとなって・・・との記述もあった。

 こうなる前に、医療や福祉の場で、何とかできなかったのだろうか。民生委員はどこまで把握し、立ち入れるのか。行政の窓口は開かれているのか。いざ、わが身に降りかかったとき、どうすればいいのか、不安は去らない。 

「福祉の街」というけれど 

 1214日、わが町内に隣接する、旧井野東土地区画整理組合開発事業の第4工区の一画に、当初の計画よりだいぶ縮小された「介護付き有料老人ホーム(サービス付高齢者向け住宅登録予定、7375床、地上4)」が、建設されることになり、オーナーとなる開発業者山万より、住民説明会があった。近くのコミセンのホールに椅子はたくさん並べてあったが、集まる者、10人前後でさびしく、前に並ぶ説明要員の方が多かった。私は、自治会のかつての井野東開発対策協議会のメンバーとして参加した。歴代会長のAさん、Kさんの顔も見え、現自治会役員からも三名の参加、隣接の二つのマンションから顔見知りの方も見えた。

 かつて、私たちの自治会(対策協)と山万とが交わした覚書の範囲内なので、と山万は、盛んに強調していた。たしかに、日照などの問題は、当初の計画階数よりダウンしているので問題はないだろう。しかし、工事開始後の振動、騒音、工事車両などの問題は、隣接住民にとっての不安は大きい。

 また、入居資格についての質問も出ていた。要支援、要介護の認定者に限り、夫婦どちらかが健常者だと二人では入れないと言われて、「話が違う」と席を立つ参加者もあった。一部屋が、基本タイプで20.89平米という。正直言って、居住空間というよりは一人用の病室といったところである。こういうところに入居したいか、入居させたいか、が鍵になるのだろう。基本タイプ、7590歳で、敷金2か月20万、前払い家賃5年分603万、月額使用料20万。家賃月額払いだと使用料と合わせて30万ということだ。

 モノレール駅のこの近辺には、320戸余りのマンションを中心に、すでに、スーパー及びクリニック、保育園とデイケア施設二つがあるので、福祉の街の第2ゾーンと言えるのかもしれない。また、このモノレール駅から10分ほど歩いたところには、特養ホーム、老健施設、学童保育所、障がい者通所・入居施設、ケアガーデンなどが散在している「福祉の街」ゾーンがある。考えてみると、福祉ゾーンに挟まれて、わが住宅街は存在することになった。この住宅街の住人は、3020年前に入居した人たちで、当時の子どもたちは成長して、ほとんどこの街を離れてしまっている。60代から70代の高齢者夫婦世帯か高齢者独居が多く、空き家も多くなった。戸建てはまさに「老人の街」と言ってもいいかもしれない。こんな状況で、この街が、「福祉」を担う街となることの意味を考えてしまう。

福祉施設は、集めるものでもなく、不便なところに設置するものでもない。人々の生活する地の延長線上の利便な地に、散在するのが一番自然なのではないか。東京都の高齢者たちが、縁もゆかりもない遠く離れた県の町や村の、劣悪な福祉施設に暮らさざるを得ない状況を、近年の幾つかの事件や事故で知ることになったからである。

 

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2013年12月17日 (火)

「短歌ハーモニー」は、「千葉市男女共同参画センターまつり」に参加しました

 「短歌ハーモニー」は、今年も師走恒例のセンターまつりに参加しました。会員は、1年間の締めくくりの2首を思い思いの書作品として、121415日に展示しました。15日は、12月の127回歌会を公開歌会として、当日の見学や参加も可としました。こうした歌会に参加、いま会員になっている方々もいます。

 展示作品と歌会提出作品から各一首を選び、次に記します。当日の歌会には2名の見学者もありました。いつも通り和やかなひとときとなりました。(1首目が展示作品から、2首目が当日の歌会からです)

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顔中を花粉まみれに百合の花魅せられるんは虫だけじゃない

秘密保護法国会包囲して反対を上空ヘリよしっかり伝えて(栄美子)

山ふじは大樹にからみむらさきの花ひろがりて茫々と見ゆ

波しずか海光照らし東京湾小さくフェリー止まりいるごと(儔子) 

足もとの霜柱踏む朝の庭ほほ打つ冷気に身も縮みゆく

カラフルなコーンに沿って運転す工事現場も明るく変わる(千世) 

爽やかな風に吹かれる秋桜今日も優しく咲きほこる

青葉城政宗眠る瑞鳳殿石垣の萩一段と麗し(京子) 

旭岳に初冠雪降りし日に里から芋と南瓜とどきぬ

茶の花の丸き蕾はまだ青く霧雨にぬれ咲く日待ちおり(三枝) 

亡き友よ雲の平の草原よなつかしきものふえて年古る

残照をまといて立てる錦木は散る直前に最高に染む(静江) 

コンビニは老若男女の台所二十四時間思いのままに

食事会楽しみ乍ら高齢者後は老後の不安を語る(ミヨ子) 

沢のぼり捜し求めて万葉に抱かれ響くかくれ滝の音

からからと思いの儘に落葉は響きを残してとおり過ぎゆく(美恵) 

しろがねの糸の編み出すクモの巣の造型に息のむ朝もやのなか

デモ隊の列はほどかれ別れ散るところ街路に黄葉降り敷く(光子)

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 一年前から、毎月の歌会の際の合評と作者とのやり取りを踏まえて、私の感想を記録に残し、翌月の歌会で配布しています。私自身も皆さんの作品を読みなおし、皆さんも聞き漏らしたりしているので、続けてほしいとのことです。私も歌会の折には気づかなかった文語の用法や文法を調べ直すチャンスにもなります。

展示の片隅に添えてくださった蕾のサザンカはみごとにひらき、スイセンの花もいきおいを増したようでした。

拙著『天皇の短歌は何を語るのか』出版の折には、昼食を共にしながら率直な感想もいただきました。一年間、お疲れ様でした。時間の関係で途切れがちな近現代歌人の作品鑑賞も続けたいです。

センターまつりのチラシです。

http://www.chp.or.jp/danjo/pdf/25maturi-panhu.pdf

 

 

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2013年12月 9日 (月)

「これでいいのか!?TPP 12.8大行動」に参加しました~寒かった野音、にぎやかな銀座デモ

 128日、青空は広がっていたが、空気は冷たい。日比谷野外音楽堂の集会に出かけた。とき、まさにシンガポールでは、閣僚会議が開かれている。

 TPPに反対する弁護士ネットワーク、TPP参加交渉からの即時撤退を求める大学教員の会、主婦連合会の3団体の呼び掛けにより、156団体の賛同を得、3000人近い大集会となった。佐倉からも、地元9条の会などから4人、会場でお会いした。農業団体、医療団体、生協、民間・公務員労組、さまざまな市民団体が、幟、横断幕、ゼッケン、帽子、プレートなどに思い思いのスローガンを掲げて席に着く。日の丸がはためく一画もあった。山根主婦連会長の開会、共産党紙智子参院議員と生活の党鈴木克昌衆院議員のメッセージはともに力強く、長野県中川村の曽我村長は「TPPは日本中を限界集落にしかねない」、JA全中の馬場参事は「重要5品目は不退転の決意でまもらねばならない」、伊沢弁護士「ISD条項の怖ろしさに」を力説・・・、リレートークは続いた。 マハティール元マレーシア首相からも「TPP不要」のメッセージが届けられた。2時過ぎから、順次隊列を組み、銀座へと向かう。

 「食の安全を壊すTPPは、イラナーイ」「農業をつぶすTPPは、イラナーイ」「医療を壊すTPPは、イラナーイ」「地域を壊すTPPは、イラナーイ」・・・・と、誘導車からの大音量のシュプレヒコールにならって、久しぶりに声を張り上げる。5人で3メートルの横断幕を持つのは結構つらかったが、いつの間にか有楽町ガード、いよいよ銀座である。脚立を持ったカメラマン、隊列の前からの撮影が入ったり、立ち止まる街の通行人たちもなんとなく応援してくれそうな・・・。

 お疲れ様でした。呼びかけ団体から実行委員会に参加していた連れ合いは、先頭で頑張っていたらしい。準備の2か月間、傍らで見ていてもシンドイ仕事だった。ご苦労様でした。街路樹の黄葉が舞い散るなかでの流れ解散。解散地点で、続くデモ隊を迎えていた連れ合いと別れ、会場で待ち合わせ、一緒に動いていた娘とも別れ、私は、老犬の待つ家へと急いだ。

翌日129日は新聞休刊日、以下の新聞のHPの記事が一番詳しかった。

(農業協同組合新聞)

http://www.jacom.or.jp/news/2013/12/news131209-22958.php

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チラシの表、裏には賛同団体が並んだ

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閉会の挨拶

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三々五々解散へ

 

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特定秘密保護法、強行採決~嵐は去ったのか

 126日の深夜、特定秘密保護法は、参院本会議で強行採決され、成立した。その時も、その前後も、私自身、国会周辺で、抗議をしていたわけではないけれど、無力感にさいなまれた。この法案ンお論議が始まったころから大げさでなく「これから、日本はどうなるのだろう」と思った。いま、私は何をすべきなのだろう。ともかく、特定秘密保護法案へのマス・メディアの対応を記録しようと思った。すでに、111日の当ブログでも、レポートしている。

「特定秘密保護法案閣議決定、そのとき、新聞は」

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2013/11/post-6bc1.html

「特定秘密保護法案閣議決定、そのとき、NHKは」

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2013/11/post-9c02.html

 その後も、中間報告するつもりでいたところ、参議院強行採決に至ったのである。やや大部なものになってしまったが、以下のPDFでご覧いただきたい。社説など個別の新聞社のホームページやその他で読めるし、わが家で購読している新聞(全国紙、業界紙合わせて5紙)は、その時目を通しても、たまる一方で、時系列にしても、同日の新聞で、どう報じたか横断的に読むにも難儀した。一層のこと、難儀ながら、比較一覧作成を試みたわけである。今回は、衆議院、参議院強行採決の翌朝の新聞を中心にして、できるかぎり、前後を追った。NHKのニュースは、少なくとも「ニュース7」は努力して視聴しているので、比較一覧に加えた。なお、日本弁護士連合会は、法律の問題なので、専門家集団の動向として、その会長声明も、論点整理のため参考にしたいと思った。また、前回は、地方紙の代表として、『琉球新報』を追跡したが、今回は成らず、省略したのが心残りである。

さらに、いまだ閲覧できない新聞もあり、未調査部分は、今後補足していきたい。

http://dmituko.cocolog-nifty.com/tokuteihimituhogohosyasetuitiran.pdf

こうして見るとはっきりしたことがいくつか浮上するのだが、いまは、3点だけにとどめ、速報としたい。

一つは、特定秘密保護法については、「知る権利」を奪うおそれがあるとして、全国紙、地方紙が、一部の新聞を除いて、明確に廃案、慎重審議のキャンペーンを展開したことだった。社説のみならず、かなりの紙面を割いて、さまざまな視点から、さまざまな連載物を組んで、また、広く市民や識者の意見を紙面に反映した。とくに東京新聞が顕著であった。日常的には、かなり経済界、政府寄りの報道が顕著な「読売」「日経」においても、他紙に比べると社説の回数や紙面の取り方は少ないが、「論議を尽くせ」の姿勢を示した。

一つは、成立直後の127日の紙面はご覧の通りだが、私はさらに128日の紙面に着目した。成立前からの課題を検証し、今後の問題提起をしていることで、その姿勢は、さらに持続する構えを見せていることだった。通常、法律成立後は、さらりと振り返っただけで、一件落着の風がある。たとえば、消費税増税、オリンピック東京開催、TPP交渉参加などの問題点などの検証は鳴りをひそめてしまう。「甘い」と思われるかもしれないが、ともかく、今後のメディア監視を続けたいと思う。

 もう一つは、どう考えても異常だったのが、NHKの報道姿勢だった。ご覧のように、まず、新聞に較べて、取り上げる回数が少ない、報道時間が短い、その報道内容に偏向があることだった。自らも報道機関でありながら、「知る権利」への関心が薄く、避けているかのような姿勢である。内容の偏向というのは、つぎの三点からも明らかである。一つは、中立公正と言いながら、同法案の問題点を、論点を明確に示さず、政府提案の後追い、つまり政府広報に徹していることだった。つぎにその論点についても、国会の質疑、与野党の攻防という限りで言及するにすぎない。国会の質疑に関しても、政府答弁のみを放映するという手法をとり、国会内の政党の動向とか、首相や閣僚、幹事長記者会見に時間を費やしている。成立直前の「ニュース7」のニュース項目を見れば明らかであろう。きちんとした論点整理や解説は、解説委員室やゲストによる「時論公論」や「視点論点」で展開しているとも見えるのだが、その放映の時間帯は、いずれも深夜なのだから、明らかに意図的な編成と言わなければならない。「時論公論」とて、その解説は、解説委員が特定されていて、あまりにも客観的な、他人ごとの解説ぶりで、自らの報道人としての見解はどうなのかが問われるのではないだろうか。この法律の審議過程では、NHKの経営委員人事における、安倍首相の「お友達」選定が露骨に浮上した。

 受信料を徴集されながら、政府広報しか視聴できないという時代に来てしまったのか。日本の近代史の検証番組は盛んに放送するけれど、今はどうするのか、の視点が抜け落ちている。中国・韓国・北朝鮮のマイナス情報は丁寧に時間をかけ、危機感をあおり、 ときには災害・事件・スポーツを妙に詳細に全国に流し、科学・生活・文化の調査ネタ、いわばひまネタをさりげなく「ニュース7」に挿入する手法には、うんざりしているのだ。あとは、民間放送での人気のお笑い芸人の後追いするような番組に、公共放送としての自負はどこに?と思われることもしばしばなのである。

 

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2013年12月 7日 (土)

『天皇の短歌は何を語るのか―現代短歌と天皇制』の批評会の中で・・・

記事は前後するが、1130日、出版元と世話人の方々の企画で、次のような批評会が開催された。御茶の水書房と私の方から案内状を発送させていただいた。とくに出欠の返事をいただくことにはなっていないので、ほんとうに何人の方が参加してくださるか、とても心細かった。例会は、社会科学、歴史、哲学、思想関係の書籍が対象で、20人から30人なのだが、今回は「短歌」という、マイナーなテーマだし・・・、催しや集会が多い季節だし・・・、と不安要素がいっぱいだった。配布資料は、レジメと数枚の年表・表、書評集の、合計A36枚となった。『図書新聞』『読書人』に書評が載ったのは、元図書館員としてはうれしいことだった。それに、金井美恵子さんの新著も持参して、皆さんに回覧していただいた。(11月26日の当ブログ記事参照)

 

5回批評講座■                      

 

『天皇の短歌は何を語るのか―現代短歌と天皇制』

(御茶の水書房2013815日) 

20131130日(土)午後2~5

明治大学研究棟4階第3会議室

 

 司会進行は伊藤述史さん、コメンテイターは三上治さん、歌人からは阿木津英さんにお願いしていた。伊藤さんも三上さんも世話人の中心メンバーでもある。参加者数は、若干出入りがあったが、25部用意していた資料がなくなってしまったということだった。会場の手配や当日のお世話を高橋一行さん、沢村美恵子さん。本の装丁をしてくださった若生のり子さんもいらした。初めてお目にかかる図書新聞の水谷さん、書評の載っている新聞を用意してくださっていた。短歌の実作者は、私を含め6人だったと思う。5時過ぎまで、ほんとうに、ありがたいことだった。

  討論の中身については、機会があったらと思うが、概略を留めておけば、三上さんは、国家の権威は天皇に、政治は議会や官僚にという二重構造のなかで、昭和天皇は戦前を引き継ぎ、現在の天皇は象徴天皇制を基盤とする度合いが強いが、現在もその矛盾は続くとする。阿木津さんは、日本の天皇制が文化としての権威を取り戻したのが、むしろ戦後ではないか。天皇家は「和歌」の世界を継承して今日に至り、現代歌人は「歌会始」を頂点とする大衆的な巨大空間を再編成したとする。

  参加者からは、現在の憲法のなかでの矛盾、名だたる文化人たちの天皇制への傾斜などが指摘された。歌人のTさんからは、大学での師弟関係、結社での師弟関係において微妙な立場にありながらの発言をいただき、印象に残っている。

  JRお茶ノ水駅前の店での2次会、半数ほどの方が参加してくださり、にぎやかなことだった。日本近代文学専攻の渡辺澄子さん、女性運動史専攻の伊藤セツさん、昨年、母川上小夜子の評伝を出された、詩人の古谷鏡子さんらとゆっくりお話しすることができたひと時であった。

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当日にレジュメ圧縮版(第1章と2章に重点を置いた)

1章 天皇の短歌は何を語るのか―その政治的メッセージ性

 1)発表される短歌の社会的・政治的状況への呼応

・短歌を公開するチャンスは、①歌会始の1首 ②元旦に一族の写真と一緒に発表される前年の作品、天皇5首、皇后3首 ③歌集出版

天皇・皇族の短歌の政治的利用の例

①昭和天皇の短歌:太平洋戦争の開戦時と戦争終結時の作。

・峰つづきおほふむら雲ふく風のはやくはらへとただいのるなり(1942年歌会始)

・爆弾にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけりみはいかならむとも

        (『おほうなばら』1990)(『宮中見聞録』1968) 

②小泉首相の200224日の施政演説で昭和天皇の短歌引用

③平成に入って、いまの天皇・皇后の短歌

平和への思い、環境保護への思い、障がい者・災害の被災者など弱者に「寄りそう」思いを発露した作品を読み続け、政策の至らないところを、さまざまなパフォーマンスと相まって、一時的に、情緒的に鎮静・補完するという役割を果す

2)発表メデイア、時期についてなどの情報操作の例

①発表メディアの選択、発表時期・発表の順序、歌集収録の際の取捨選択、編集などによって、短歌の意味内容さえ変えかねない操作の痕跡((「『入江相政日記』」

②敗戦直後の4首「宣伝的にならぬ方法にて世情に漏らすことの許可を得て」という主旨で、1945年末に1946年元旦用の短歌として一部発表(木下道雄侍従次長の日誌)

「海の外に陸に小島にのこる民のうへ安かれとただいのるなり」194611日)

③昭和天皇の短歌を1948年文化の日にちなんで全国紙にいっせいに流したが、その扱いがマチマチで効果が今一つだった。今後は特定の新聞にリークする方法が望ましい。19501月号には、当時の総合誌『改造』に7首を発表(『入江相政日記』)

 

2章 勲章が欲しい歌人たち―歌人にとって「歌会始」とは      

 

1)歌会始選者・御用掛の仕事~何が魅力なのか

・歌会始選者、御用掛の皇族へ短歌指導

・公募短歌の選者:2万前後から入選作10首、佳作20首を選ぶ。

 長期の在任が慣例:木俣修、岡野弘彦、岡井隆など20年以上。病気か死亡で辞めることが多い。

2)歌会始選者は褒章・栄典制度の中でどんな位置を占めているか

芸術院会員歌人23人中12人が選者を経験、内12人、その内、5人が文化功労者、3人が文化勲章を受章              

 

 <ベテランのコース>(選者から文化勲章へ)

歌会始選者 ⇒ (芸術院賞受賞者5人、紫綬褒章受章者4人)⇒ 芸術院会員12

⇒ 文化功労者5人(歌人では、別に近藤芳美が文化功労者)⇒ 文化勲章3人:茂吉・信綱・文明            

<中堅のコース> 日本芸術院会員への道

芸術選奨(新人賞・大臣賞)⇒ 歌会始選者3 ⇒ 紫綬褒章 ⇒ 

3)これらの受賞者や受章者はどのように選ばれるのか

芸術選奨 文化庁管轄で、10部門別の選考審査委員は各7人。短歌(歌人)は毎年入るとは限らず。委員はかなり固定的で、若干入れ替わる。30年近く、岡野弘彦が長く、篠弘、佐佐木幸綱への歌人就任の直後に歌人の受賞が慣例、委員の裁量の要素が高い。不祥事以後、推薦委員を新設

紫綬褒章 選考は、立法・司法・行政の長と各省大臣、宮内庁長官などが内閣府賞勲局と協議の上、推薦、内閣総理大臣が候補者の審査を行い閣議で決定

日本芸術院会員  終身の120人以内という定員制。会員になるには、部会ごとの会員の選挙により「芸術上の功績顕著な芸術家」を選出・推薦し、総会の承認、文科大臣が任命

芸術院賞 選考基準・手順についての法令はなく、部会ごとの会員に対して、会員外から候補者の推薦を求め、「全会員で組織する選考委員会」で絞り、各部会の会員の過半数で内定する

文化功労者 文化審議会の文化功労者選考分科会が選ぶ。委員10人程度、一年任期、美術館館長・博物館館長・大学学長・教授などいわば宛て職と美術評論家・作家・ノーベル賞受賞者など。文化・学術各界の現状を知るわけもなく、候補者選出は、事務方の大臣官房人事課がまとめるが、選考基準や選考過程は非公開、恣意性が高い。

文化勲章: 文化審議会の文化功労者選考分科会が文化功労者の中から選ぶ 

*辞退の例 芸術院会員:大岡昇平、文化功労者:佐藤忠良、文化勲章:河合寛治郎(1955)、熊谷守一(1968)、大江健三郎(1994)、杉村春子((19951974年文化功労者は受けたが)

*叙勲の問題点:官高民低、年功序列、男女差別、価値観の多様化に応えず、負の評価が甘い、報道による拡散・助長・・・

4)国家的栄典・褒章の裾野としての各種短歌賞の受賞、選考委員、短歌大会講師

新聞歌壇の選者、新聞社・大学・デパート・自治体などのカルチャー教室の講師も含む

 

3章 メディア・教科書の中の短歌

メディアや教科書の中で作り上げられる「短歌」について

・太平洋戦争下の短歌の朗読について

・中学校の国語教科書のなかの短歌

栗木京子の次の一首が、5社すべての検定教科書に収録

「観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生」(『水惑星』1984年、初出1975年)

 

4章 『ポトナム』をさかのぼる

『ポトナム』の沿革:ポプラの朝鮮語で、日本語では「白楊」と書く。1922年(大正11年)、当時京城公立高等女学校の教員だった小泉苳三(近代短歌史・書誌研究、立命館大学に白楊荘文庫のコレクションあり。歌人でただ一人の公職追放となる)が、ソウルで創刊。昭和前期のポトナムを知る同人がすでに皆無。阿部静枝、小島清、醍醐志万子の検証を通じ、昭和の短歌史、ポトナム史の一断面を残す

 

 

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2013年12月 6日 (金)

「国策紙芝居」というのがあった!見渡せば「国策メディア」ばかり・・・にならないために

“なつかしい”六角橋商店街

早くより、お知らせいただいていた「戦時下大衆メディアとしての紙芝居―国策紙芝居とはなにか」公開研究会(2013124日、神奈川大学非文字資料センター・図書館共催)で、櫻本富雄さんが話される。会場は、横浜の白楽にある神奈川大学。白楽駅下車13分とあるから、少し早目に着いて歩き出した。“なんとなつかしい”六角橋商店街ではないか。池袋の商店街に育った私には、どこかホッとする空間である。路地に入ると、休憩所やトイレがあって、細い仲見世が続く。その中のひとつに入り込んだら、大学への道がわからなくなって、中華まんじゅう屋さんに尋ねる。角々で人に尋ねながら着いた図書館のホールは満席に近い。後で聞けば、入りきれない方々がいらしたとか。

Syoutengai

デジカメを忘れ、携帯で撮ってみたものの・・・

初めてお目にかかる櫻本富雄さん~そのライフワークへの熱情

開会の直前、ようやく櫻本富雄さんとお目にかかれた。永らくメールのやりとりやご本を頂戴したりしていた櫻本さんとようやくお話しすることができた。ちょっと前に風邪をひかれたと伺っていたが、お元気そうで、何よりだった。先日の拙著の批評会のレジメと書評のコピーを手渡しすることができた。櫻本さんの講演は、冒頭はどんな話の展開になるのかと思ったが、執念のライフワークに至る、壮絶な内容であった。

櫻本さん(1933~)については、このブログの以下の記事をあわせて読んでいただければと思う。

2012117

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2012/11/post-1f5b.html

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ご自身も詩人でありながら、1970年代から詩人たちの戦時下の著作や発言に着目、その戦争責任、表現責任を厳しく追及し始める(『詩人と戦争』、『詩人と責任』1978年)。以降、戦時下の文化人たちの表現責任と戦後、決して責任を取ろうとしなかった彼らを、みずから収集した著作物、資料から綿密な検証をし続けている。紙芝居、ラジオ、映画、さまざまなジャンルの文学作品、漫画、歌謡などに及び、その著作は20数冊を数える(『文化人たちの大東亜戦争』1993年、『日本文学報国会』1995年、『戦争とマンガ』2000年、『歌と戦争』2005年など)。

この日は、その中の紙芝居についての研究会であって、櫻本さんの演題は「国策紙芝居とはなにか」であった。長野県小諸市出身、小学校での担任教師とクラスからの無視や虐めを受けて、その屈辱は優秀な航空兵になって見返してやろうという皇国少年だったという。ところが、櫻本少年が見た戦後の教師たちはじめ、翼賛文化人たちは、みごとに民主主義を唱え、戦時下の著作物や発言を隠蔽して口を拭ったのを目の当たりにする。その悔しさと怒りが、これまでの仕事を支えてきたという。昔、見た紙芝居は、戦後保存されているところがなく、古書店にあることもまれで、むしろ古道具屋さんの片隅に、新聞・雑誌類と一緒に積まれていることが多く、地方にも出かけ、500点くらいは集める。しかし、戦時下のいわゆる「国策紙芝居」の全貌がいまだにつかめていないという。このたび、櫻本さんが集めた紙芝居の一部が、古書店を通じて、神奈川大学非文字資料研究センターに購入され、整理されての、研究会である。収蔵の241点は、神奈川大学図書館OPACでの検索が可能になったが、絵と台本のみのデータで、どのくらいの部数が印刷され、そのテキストがどこで、だれによって、どう読まれたか、どう演じられていたかとなるとほとんど記録に残されていないという。

櫻本さんの話には、資料に裏付けられているという「責任を取らない」「戦前・戦後、あべこべのことをいう」「戦前の本当のことを隠す」文化人の名前がポンポン飛び出す。金子光晴、佐木秋夫、藤田嗣治、古関裕而、本郷新、住井すゑ、吉屋信子、北村西望、加太こうじ・・・。おや?という人物も次から次へと飛び出すではないか。

「国策紙芝居」とは

「国策紙芝居」は、多くは手書きの、いわゆる「街頭紙芝居」に対して、「印刷紙芝居」に属するもの。街頭紙芝居は、1930年頃には貸元制度により浸透・定着、一日の客100万人といわれ、1940年ごろまでは人気を博していた。1938年、警視庁による検閲が始まり、日本教育紙芝居協会が発足、軍事保護院、勧業銀行などのスポンサーつきの紙芝居が作られ始めた「国策紙芝居」、1940年、日本教育紙芝居協会の紙芝居出版部門として朝日新聞が出資、「日本教育画劇」が設立され、常会等での実演が盛んになり、地方へ、そして外地での紙芝居の実演が活発になる。

 神奈川大学が受け入れた紙芝居の目録を見ると、そのほとんどが「日本教育画劇」出版のもので、キーワード別にみると、勤倹貯蓄、皇軍物語、銃後物語、東西偉人伝、戦局ニュースなどのほか、小説、童話、漫画などもある。

 「チョコレートと兵隊」「神兵と母」・・・

櫻本さんの講演の前の第1部では、「紙芝居」4本の実演があったのだ。

①『敵だ!倒すぞ米英を』(大政翼賛会宣伝部作 近藤日出造画 大政翼賛会宣伝部刊 194212月)実演:神奈川大学放送研究会(斎藤さん)

②『チョコレートと兵隊』(国分一太郎脚本 小谷野半二絵画 日本教育画劇刊19417月)

 実演:神奈川大学放送研究会(草刈さん)

③『空の軍神加藤少将』(鈴木景山脚本 小谷野半二絵画 日本教育紙芝居協会制作 194311月)   

実演:なつかし亭 岸本茂樹さん

④『神兵と母』(宮下正美原作 馬々川鷹四脚色 山川惣治画 大日本画劇刊 19449月)

実演:なつかし亭 岸本茂樹さん

①は、「戦局ニュース」に分類される作品で、時局解説風で、台本にはつぎのような場面がある。

「ドーン!日本はサツと起ち上がった。起ち上がりざまにABCDを殴りつけた。真珠湾に、マレー沖に。シンガポールやビルマに、ヒリツピンやジャワに、ソロモン海戦に、つづけざまにドーン!ドーン!と米英共を殴つてやつた。大東亜民族の擁護のために、皇国日本を守るために。連勝、連勝」

最後は「敵だ!倒すぞ米英を。一億の手で、団結で」で終る12枚の作品。絵を描いた近藤は、戦後、似顔絵による政治風刺漫画はマス・メディアで人気だったことを覚えている人も多いであろう。

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②は、すでに映画(193811月、佐藤武監督、鈴木紀子脚本、藤原鎌足、沢村貞子、小高まさる、高峰秀子出演)にもなっていた実話に基づく作で、日本教育紙芝居協会刊行の1939年版もあり、ラストが国分の台本とは異なるものが、九段の昭和館に所蔵されているそうだ。ストーリーは、明治製菓が売り出した、包装紙の点数を集めるとチョコレートがもらえるという懸賞で始まる。戦場の父親が、慰問袋に見つけたそのチョコレートの包装紙を必死に集めて、家の妻子に送ってくる。幼い兄妹が製菓会社に手紙を出して、待ちに待ったそのチョコレートが届いた日に、父親の戦死の公報が届いたという悲話である。国分一太郎(19111985)は、綴り方教育で著名な理論家でもあり、実践家でもあった。

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③は、加藤建夫隼戦闘隊長(19031942)について、私の世代は、名前程度しか知らないのではないか。部下思いで、操縦技術に長け、家族思いだった加藤の活躍は「空の軍神」として、西条八十、勝承夫、田中林平の作詞で歌謡になり、藤山一郎、藤原義江、灰田勝彦によって歌われたという。1944年には陸軍省の全面的な協力を得て、山本嘉次郎監督、藤田進主演の映画にもなり、大ヒットした。紙芝居は22枚による長編、演者の岸本さんは、横浜を中心に紙芝居の継承に務めている人で、台本にもない、すべて声による擬音の挿入などは見事なものだった。

④の挿絵は、なんと山川惣治。「少年ケニヤ」の作者で、晩年を佐倉市で過ごし、私も小さな展覧会で姿を見かけたことがある。近年、佐倉市立美術館で大掛かりな展覧会も開催された。この紙芝居は、手の障害を母と共に克服した少年が、あこがれの落下傘部隊で活躍、「天皇陛下万歳」「お母さん」と叫んで戦死する話で、「おお、讃へよ母の手、皇国の手―その勲功は皇国と共に不滅である」のセリフで結ばれる16枚の作品。出版元の「大日本画劇」は、1937年、街頭紙芝居の制作会社16社が統合し発足している。

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これもぼやけていて。左から安田、櫻本、富沢、中島さんです。

公開座談会「戦意高揚紙芝居コレクションの位置づけを巡って」
 
櫻本さんの講演のあとは、神奈川大学の中島三千男教授の進行、安田常雄教授、富沢達三講師の3人が加わっての座談会になった。安田教授は、広義の紙芝居の特徴は、演者・観客の直接性―手渡し文化であること、作者の内的必然性―作家性、まだ解明できていない演じられた場所などの実態に着目したいとした。富沢講師は、1967年生まれ、家族らの戦争体験や自らの反戦メディア体験から話し始める。「戦争紙芝居」の特徴として、大量生産による観客の多様性、絵物語風のデッサンがしっかりしたもの、20枚前後で完結するストーリーの密度とメッセージ性、露骨な戦意高揚よりも銃後における家族愛・同僚愛とくに母親を描いた作品の訴求力に注目したい、との発言だった。

短いながら、会場からはセンターへの期待や今後の課題が投げかけられた。

参考:

神奈川新聞20131130日の関連記事

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1311300001/ 

私にとっての紙芝居

私の小学校時代1950年前後にイモアメをしゃぶりながら見た紙芝居は「街頭紙芝居」に分類される。紙芝居史上、二度目の黄金期でもあったと知る。小学校時代に紙芝居を作ったらしく、薄い画用紙?にクレヨンで描いた、すすけたような「かぐや姫」の何枚かが古い段ボール箱から出てきた。長女が1970年代後半、保育園や図書館で見ていた紙芝居は、印刷紙芝居で教育的な目的をもって作成されていたのだろう。また、長女が名古屋の学童保育所に通っていた頃、畳一枚ほどの「じごくのそうべい」という手作りの大型紙芝居を父母の前で演じた子どもたちの満足げな顔を思い出す。よちよち歩きの子どももスマホを操るような、現代の子どもたちの紙芝居って、どうなんだろう。 

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