ニュー・タウンも老いてゆく~ユーカリが丘の場合
佐倉市の人口増や街の若返りに寄与していると、胸を張る開発業者の社長はカンブリア宮殿に出演するとか、新春のNHK番組でも「ユーカリが丘」の取材があったとか、事前には各戸にチラシが撒かれる。駅前への大学誘致にも熱心で、3000坪を無償提供するといい、佐倉市にも助成を迫っているのである。都心回帰の傾向が強い大学が多い中、この財政難の佐倉市は引き受けてはならないと思う。駅前に学生がたむろしたからと言って、どれほどのメリットがあるのか。どれほど長続きするのか。消費や雇用を創出?ファストフードやコンビニ様のものが増えて、パート職が少しは増えるかもしれないが、住みやすい街になるのだろうか。この計画には、隣接の地元の自治会が、きちんとした説明がないと市や開発業者に怒りをぶつけている。
しかし、その一方で、私の住む地区は、同じ開発区域ながら、駅から歩いたら30分近く、新交通システムというモノレールの駅からも5分というところだ。京成線からは「奥まった」いや「はずれ」に位置する。この町内で、11月、12月と痛ましい事故や事件が起きた。
餅つき大会の死亡事故
一つは、自治会主催の餅つき大会で、班長さんとして参加した男性が、餅をのどに詰まらせ、病院に搬送後亡くなった事故だ。私も自主防災委員として参加していた行事のさなかに発生した。会場が中学校だったので、当直の先生と班長の一人の家族だった非番の消防士の方が駆けつけて、餅の一部が取りのぞかれ、顔色も戻りかけた頃、救急車が到着した。しかし、その1時間後には訃報はもたらされたのである。ここで、明らかになったことは、救急車が出た後も、その男性の身元が分からなかったことだ。まだ、一般会員が集まり出す前の、準備中のことで、つきたてのお餅を味見していた班長さんの一人と思われたが、その身元を確認できる持ち物もなく、他の班長さんも誰かとは確認できなかった。もしかしたら、通りすがりの方かもしれない、などともささやかれた。ようやくの班長さんの出欠確認点呼の途中、一人の班長さんの名前が浮上した。辺りを呼びまわっても名乗り出てくる者がいない。
自治会役員が持っていた班長名簿には番地だけで電話番号が記されていない。そうだ、自治会の会員名簿が廃されて10年になる。私は、自宅に電話をかけて、家人に10年前の名簿を開いてもらって、電話番号を読み上げてもらった。私が復唱する番号に役員は電話を掛ける。「主人は餅つき大会に出ている」との返答にあわてて、着衣などを確かめるがはっきりしない。同時に、班長さんの一人が、自転車でそのお宅まで走り、奥様を連れて来られた。現場に残された眼鏡で、ご主人と確認したときはすでに、救急車は発っていたのである。奥様と役員は、病院へと追いかけた。
自治会の催事でありながら、しかも毎月班長会を開いているのに、誰一人、名前や顔を知る者がいなかったという事実、主催者が参加者の連絡先を持ち合わせていなかったこと・・・などもさることながら、死に至らしめた事故に、私は住人として衝撃を受けた。「ご近所の絆」「近隣の共助」など、口でいうのは簡単だけれど、自治会がその役を果たし得なかったことである。何が問題であったのか、高齢社会における災害や事故などの危機管理の在り方が問われるのではないか。
いま、佐倉市や開発業者は、自治会や学校、地区社協などを束ねた「まちづくり協議会」の設立に熱心だが、屋上に屋を重ねるような、助成金というバラマキによって地域の要望や問題の噴出を抑制するような制度は、かえって住民意識を薄弱にするのではないか、という気がしている。
致死事件にいたった老々介護
朝刊の地方版を読んでいて、「ああっ!」と声を上げた。そういえば、昨日の午前中、パトカーや救急車の音が騒々しいなと思っていたが、この街は通過点だと思っていた。ところが、記事は、隣の班で、道路一本を違えた、5軒ほどさきのお宅、70代の男性が60代の女性に手をかけたという殺人未遂事件を伝えていたのだ。記事によれば、元夫婦の間柄で、奥さんだった人が認知症になったことで、数年前から同居をしていたということだった。そんなことは初めて知った。私は、その両人がいつも二人で散歩しているのに出会っている。こちらが犬を連れていると、必ず声をかけてくれる奥さんをご主人は、いつもニコニコと見守っていた。そんな風に私の眼には映っていたのだが、病気のことも間柄のことも知らなかった。美談にもなりそうな経緯が、一転して事件になった背景に何があったのかは、定かではない。記事には、女性から罵声を浴びせられたり、傷をつけられたりしたので、男性がかっとなって・・・との記述もあった。
こうなる前に、医療や福祉の場で、何とかできなかったのだろうか。民生委員はどこまで把握し、立ち入れるのか。行政の窓口は開かれているのか。いざ、わが身に降りかかったとき、どうすればいいのか、不安は去らない。
「福祉の街」というけれど
12月14日、わが町内に隣接する、旧井野東土地区画整理組合開発事業の第4工区の一画に、当初の計画よりだいぶ縮小された「介護付き有料老人ホーム(サービス付高齢者向け住宅登録予定、73室75床、地上4階)」が、建設されることになり、オーナーとなる開発業者山万より、住民説明会があった。近くのコミセンのホールに椅子はたくさん並べてあったが、集まる者、10人前後でさびしく、前に並ぶ説明要員の方が多かった。私は、自治会のかつての井野東開発対策協議会のメンバーとして参加した。歴代会長のAさん、Kさんの顔も見え、現自治会役員からも三名の参加、隣接の二つのマンションから顔見知りの方も見えた。
かつて、私たちの自治会(対策協)と山万とが交わした覚書の範囲内なので、と山万は、盛んに強調していた。たしかに、日照などの問題は、当初の計画階数よりダウンしているので問題はないだろう。しかし、工事開始後の振動、騒音、工事車両などの問題は、隣接住民にとっての不安は大きい。
また、入居資格についての質問も出ていた。要支援、要介護の認定者に限り、夫婦どちらかが健常者だと二人では入れないと言われて、「話が違う」と席を立つ参加者もあった。一部屋が、基本タイプで20.89平米という。正直言って、居住空間というよりは一人用の病室といったところである。こういうところに入居したいか、入居させたいか、が鍵になるのだろう。基本タイプ、75~90歳で、敷金2か月20万、前払い家賃5年分603万、月額使用料20万。家賃月額払いだと使用料と合わせて30万ということだ。
モノレール駅のこの近辺には、320戸余りのマンションを中心に、すでに、スーパー及びクリニック、保育園とデイケア施設二つがあるので、福祉の街の第2ゾーンと言えるのかもしれない。また、このモノレール駅から10分ほど歩いたところには、特養ホーム、老健施設、学童保育所、障がい者通所・入居施設、ケアガーデンなどが散在している「福祉の街」ゾーンがある。考えてみると、福祉ゾーンに挟まれて、わが住宅街は存在することになった。この住宅街の住人は、30~20年前に入居した人たちで、当時の子どもたちは成長して、ほとんどこの街を離れてしまっている。60代から70代の高齢者夫婦世帯か高齢者独居が多く、空き家も多くなった。戸建てはまさに「老人の街」と言ってもいいかもしれない。こんな状況で、この街が、「福祉」を担う街となることの意味を考えてしまう。
福祉施設は、集めるものでもなく、不便なところに設置するものでもない。人々の生活する地の延長線上の利便な地に、散在するのが一番自然なのではないか。東京都の高齢者たちが、縁もゆかりもない遠く離れた県の町や村の、劣悪な福祉施設に暮らさざるを得ない状況を、近年の幾つかの事件や事故で知ることになったからである。
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