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2014年1月29日 (水)

久し振りに、20世紀メディア研究所研究会(第82回)参加しました(2)占領期からポスト占領期の日本の映画における「女」と「キリスト教」の表象

②占領期からポスト占領期の日本の映画における「女」と「キリスト教」の表象(紙屋報告)

表題は難しそうだが、報告者のレジュメにあるように、その目的は、敗戦直後に流行した「パンパン映画」と敗戦直後から復興期にかけて流行した「母もの映画」に焦点をあてて、その連動性と同時代性を検証しようとするものであった。

これらの映画の時代、私は小学生だったので、自営業の両親は、映画に連れて行ってはくれなかった。ただ七つ上の次兄は、池袋という地の利もあって、一人で映画館へ行くことが多く、のちのち、松竹の助監督試験で最終面接まで残ったというのが自慢?の映画青年となった。父も長兄も映画は決して嫌いではなく、映画の話では、結構、盛り上がってはいたと思う。私はといえば、銭湯の脱衣所の天井近くに所せましと貼られている映画ポスターを見上げては、子どもながらいろいろな情報を仕入れていたのだと思う。

報告では、「パンパン映画」とは広義の「娼婦」が登場する映画と解し、つぎのような作品が紹介された。堕落と解放との合わせ鏡の二面性を持つ娼婦という仕事から抜け出すには「改悛」とリンチという「ムチ打ち」の過程を示唆する場面がしばしば登場するという。「夜の女たち」のラストの数分間を会場で見せてもらった。主人公の田中絹代がみずから娼婦の仕事から足を洗おうとし、妹をも仲間から連れ出そうとすると周りの女たちからリンチを受ける場面が長々続くが、そこがどういうわけか教会の焼け跡の瓦礫のなかで、焼け残った聖母子像のステンドグラスの下だったのである。闇の焼け跡からよろよろと連れ立って去る二人を見送るしかない女の群像だったのである。全編を見ている報告者は、このステンドグラスは、いかにも唐突で、マッカーサーのキリスト教の布教精神が表れているとみる。

「夜の女たち」(松竹 溝口健二監督 田中絹代主演 19485月公開)

「肉体の門」(吉本映画 マキノ雅弘+小崎政房監督 轟由紀子・月丘千秋主演 19488公開)

「白い野獣」(東宝+田中プロ 成瀬巳喜男監督 三浦光子・山村聡主演 19506月公開  

「日本の悲劇」(松竹 木下恵介監督 望月優子主演 19536月公開)

「赤線地帯」(大映 溝口健二監督 三益愛子・若尾文子・京マチ子・ 木暮実千代主演 19569月公開)

*主演者などは筆者が補った

Photo_2

「夜の女たち」のラスト近く,田中絹代(左)

「母もの映画」では、広くは母性愛映画ということだが、報告では、1948年から1950年代に量産された、母親の自己犠牲を描いたつぎのような作品などが紹介された。三益愛子が主演した母ものだけでも30本を超える。「母三人」あたりから「母もの」シリーズが定着し、「山猫令嬢」は母もの第1号と言われ、最初の題は「マダム上海」で、上海から引揚げた母が主人公で、三益・三条が母娘を演じている。大映以外の会社からも「母もの」と銘打って続々と製作されるようになった。母に幻滅する子たちが登場し、その母の脱性化の過程で、母性愛が強調されてゆくパターンが多いという。「母」「母子像」などでは、聖母のイメージと重ね合わせとなり、とくにそのラストは、キリスト信仰が暗示される。

山猫令嬢」(大映 森一生監督 三益愛子・三条美紀・小林桂樹・高田稔主演 1948 3公開)

「母」 (大映 小石栄一監督 三益愛子・三条美紀・若原雅夫主演 19488月公開)

「母三人」(大映 小石栄一監督 水戸光子・入江たか子・三益愛子主演 19494月公開)

「母恋草」(松竹 岩間鶴夫監督 宮城千賀子・井川邦子・岸恵子主演  19516月公開)

「母子像」(東映 佐伯清監督 山田五十鈴主演 19566月公開) 

 報告者は、「パンパン映画」と「母もの映画」と称せられる両者に共通して現れるこれらの傾向を「機械仕掛けの神」と表現していた。

 なんといっても、私は、これらの映画を残念ながら見ていない。そんな仕掛けがあったとは。「ハンカチをご用意ください」とのキャッチコピーや娼婦たちの肌をあらわにした姿態やリンチ場面を強調するのは、あくまでも観客動員のための宣伝くらいに思っていたのだが、占領軍の検閲というより、積極的な介入がここまで及んでいたことを、あらためて知った次第である。そして、製作者サイドには、占領軍の意図を「忖度」をするという自主規制もあったのかもしれない。

  しかし、そうした枠のなかでの表現者の意欲とエネルギーをどう評価すべきかも考えなければならないだろう。

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2014年1月27日 (月)

久し振りに、20世紀メディア研究所研究会(第82回)(1)占領初期GHQの対共産主義対策

場所  早稲田大学 早稲田キャンパス 1号館2階

         現代政治経済研究所会議室

日時 125日(土曜日)午後230分-午後5時

・  発表者:テーマ

①賀茂 道子(名古屋大学環境学研究科社会環境学専攻博士後期課程):

    占領初期GHQ民間情報教育局の対共産主義政策

     ――天皇制に関する事例を中心に

②紙屋 牧子(早稲田大学演劇博物館):

    占領期からポスト占領期の日本映画における「女」と「キリスト教」

       の表象

③笹川 隆太郎(尚美学園大学総合政策学部):

    占領初期の新聞報道をめぐって――小報告二題 

①②のレポートで、5時近くになってしまったので、③は、資料だけ頂戴し、退席しなければならなかったのが残念だった。①②は、とても興味深いテーマであったので、私なりの理解で、記事としておきたい。

①占領初期GHQ民間情報教育局の対共産主義政策―天皇制に関する事例を中心に(賀茂報告)

 私は、「短歌」という窓から、天皇制について考えてきたつもりだが、1945815日以降の占領下で、なぜ天皇制が残り得たのかが、なかなか理解できないでいる。そして、今日にいたるまで、この矛盾に満ちた制度が、さまざまな矛盾を生み出しているようにも思うのだが、この「天皇制」自体が政治の争点になることは、近年めっきり少くなった。自民党が進める憲法改正論の中であらためて提出された論点の一つになっても、護憲政党からは「天皇」の位置づけについての明確な言及が見当たらない。一方、占領期における「天皇制」についての先行研究では、日本の占領政策において、天皇制の温存が、その統治をスムーズにするために利用されたとする見解が定着しているように思う。

 賀茂報告は、憲法上、「象徴天皇制」に至る経緯の中で、占領初期のGHQが「天皇制」めぐって「共産主義者」をどのように利用していたかに、焦点を当てたものであった。

 これまで、加藤哲郎『象徴天皇制の起源』(平凡社2005年)において、CIAの前身OSS(戦略情報局)の文書のなかの陸軍省戦争心理課作成の「日本計画」という194263日付文書に、「天皇は、平和のシンボルとして利用すること」とした記述が見られることは読んだことがあるので、承知していた。すでに太平洋戦争開始直後以来、そうした計画が進められていた大きな流れの中で、占領初期、GHQ主導の天皇制論議において、共産主義者がどのように利用されたか、事例を踏まえての報告であった。

       日本の天皇制をどうするか、については、アメリカ本国でのバーンズ、アチソンと続いた国務長官は、親中国派の強硬路線(天皇制廃止)をとり、GHQは早期に急進的な改革の実現が生じた。GHQの民間情報局CIEのダイク局長、スミス企画課長は、ラジオの効用を評価し、104日「自由制限の撤廃に関する覚書」に従って、天皇制論議においてもラジオを活用した。その代表的な番組は、1121日の「座談会」であったと言う。さらに、出演者として、出獄したばかりの共産主義者、徳田球一を起用した(他に清瀬一郎、牧野良三、司会室伏高信)。また当時の映画館で上映された「日本ニュース」にも、清瀬一郎とともに徳田球一が登場する。さらに、19461月に発足した放送委員会の委員の顔ぶれを調べてみると、次のような人選だったことにも、共通する。座談会における徳田の発言の骨子は、天皇制廃止で、その天皇制というのは、封建的な家族制度と相容れるもので、廃止が必要とするものであった。

荒畑寒村、馬場恒吾、土方与志、浜田成徳、堀経夫、岩波茂雄、加藤静枝、川勝堅一、近藤康男、槇ゆう子、宮本百合子、大村英之助、島上善五郎、滝川幸辰、富永能雄、瓜生忠夫、渡辺寧

なぜ、CIEは、共産主義者を登用したのか。報告者の結論を、筆者が、つぎのようにまとめてみた。

・共産主義に対しての積極的な政策には、方向性を同じくする部分について、新しい時代の幕開けの象徴として利用することに宣伝工作の効果を見込んだ。

・方向性が異なる部分の天皇制に関しては議論の活性化という、「世論の隆起」を期待したと同時に、意向に反する「天皇の戦犯指名」という部分については、隠ぺいするという「検閲」を意図した。徳田に「天皇戦犯」について発言させなかったのも、国民の意思ではなくGHQが決定するという強いメッセージがあった。発言は、事前検閲によりチェックされていたので、シナリオ通りの発言だったという。

・占領改革においては、あくまで民意によってなされたことを望んでいた(アメリカのニューデイラーが多かった)。「世論調査」の先駆けになったのが「天皇制について」であった。

それでは、1946年に入って、共産主義者と決別したのはなぜか。報告者がまとめたものを、さらに筆者が、まとめてみるとつぎのようになるのでは。

 ・共産主義者の労働組合への影響力への懸念

 ・米ソ冷戦の兆しや中国での国共合作の失敗

 ・天皇制の骨格形成、新憲法草案の決定で、初期占領計画の完成

 

これらの理由から、報告者は、つぎのようにいう。「少数派の共産主義者を前面に押し出す必要性がなくなった。またマッカーサーが(天皇の)戦犯指名回避の決定をしているのにもかかわらず共産党は公然と戦犯指名を要求したことも関係しているかもしれない」と。

私は、先の拙著『天皇の短歌は何をかたるのか』で、占領初期の天皇の短歌発表の背景として、日本国憲法の制定過程と天皇制論議、東京裁判の行方をリンクした年表を作成したこともあった(18頁、「天皇退位問題と憲法・極東軍事裁判略年表(19451948)」)。その際、戦後の歴史のなかで、とくに昨今に比べて、あれほど天皇制論議が活発であったのはなぜかを考えていたが、この日の報告で、その一端を教えられたような気がした。(続く)

   
 

1945  

910日:GHQ、「ニュース頒布に関する覚書」政府に通告、編集基準を指令*  

922日:GHQ、19日のプレスコードに続き、ラジオコード指令*  

927日: 天皇とマッカーサーの第1回会見  

102日:フェラーズのマッカーサーあて覚書(天皇を戦犯に指名しない)  

104日:GHQ、政治的・民事的・宗教的自由に対する制限撤廃の覚書(天皇制に関する自由討議を含む)*  

1010日: 政治犯3000人釈放、徳田球一・志賀義雄出獄*  

1020日:「赤旗」復刊第1号、「人民に訴う」(徳田球一)で天皇制打倒を主張  

1022日:NHKラジオ「出獄者にきく」(112日まで6回続く)  

1121日:NHKラジオ「座談会」(第一回)「天皇制について」放送  

          (清瀬一郎、牧野良三、徳田球一、司会室伏高信  

      以降、天皇制について、大学での世論調査や新聞における識者による論議、投稿欄などでの論議が盛んになる。  

1130日:日本映画社「日本ニュース」の「天皇制を論ずる」(2分間)   

     (清瀬一郎・徳田球一)公開  

1211日:GHQ、「日本放送協会の再組織に関する覚書」を逓信院に

     提示*  

1217日:NHKラジオ「戦争裁判報告」開始 

 
 

1946  

11日:天皇「人間宣言」  

14日:GHQ政治顧問アチソンからトルーマンへの手紙(憲法上の天皇制についての足掛かりは固まりつつあり)。  

GHQ、公職追放指令*  

17日:国務・陸軍・海軍三省調整委員会(SWNCC)「日本の統治制度の改革」において「天皇制廃止かより民主的な改革のいずれかを推進すべし」と  

112日:野坂参三帰国、25日、日比谷公園で帰国歓迎会。帰国を「日本ニュース」でも上映  

119日:マッカーサー、極東国際軍事裁判条例承認*  

122日:CIEらの推薦でNHK放送委員会発足  

125日:マッカーサーからアイゼンハワーへの電報(天皇の戦犯回避) 

23日:マッカーサー、日本国憲法の三原則(天皇は国家の首部⇒象徴天皇制)を民政局に指示  

222日:閣議でGHQ憲法草案受け入れを決定*  

226日:日本共産党、天皇の戦犯追及を確認(第5回大会)*  

618日:極東軍事国際裁判首席検事キーナン、天皇を戦犯として裁判しないと言明*  

78日:日本共産党、天皇制廃止の憲法草案を発表*

 

報告者のレジュメと『日本放送史』(日本放送協会編刊 1965)、

武田清子『天皇観の相克』(岩波書店 2001年)などを参考に、作成、整理してみた。*は筆者の補記事項

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2014年1月25日 (土)

テレ朝「そもそも総研」頑張ってください~二つの番組から

おととい木曜日の「そもそも総研(玉川徹)」は、「沖縄」だった

テレ朝の「モーニングバード」の「そもそも総研・たまペディア」は、「そもそも本土と沖縄との意識の差を沖縄はどう受け止めているのだろうか」というものだった。

 最初のコーナーでは、名護市長の稲嶺さん再選が報じられた、120日の沖縄の新聞が「大勝」と見出しをつけていたことと本土の受け止め方の温度差に触れ、稲嶺・末松両氏の得票差4155票について、前泊博盛沖縄国際大学教授(前琉球新報論説委員長)は、「保守・革新の基礎票はほぼ16000票で、これまで前2回は1500票内外の票差で勝敗を決した。今回は、革新、移設反対派が大勝したことに」なり、

さらに4000票以上の差をつけた要因は「保守が変わり始めたから」とコメントしていた。

 そこで玉川リポーターは従来「保守」とされた三氏を訪ねて、話を聞いている。元自民党県連幹事長であった翁長那覇市長は、民主党政権までが沖縄の基地を容認したことをきっかけに、基地の問題を考えるときはイデオロギーではなくてアイデンティティの問題で、沖縄がまとまって動かねばの思いに至ったという。つぎに、元自民党沖縄県議、県議会議長の仲里氏は、沖縄出身の自民党国会議員や自民党県連は、本土の自民党に軸足を置いて、昨年11月には、基地容認派に転じてしまったので、自民党を離党したという。沖縄のホテルチェーン経営者の平良氏は、沖縄の経済は、米軍基地がない方が特段の経済効果が期待できる。現に、那覇市新都市開発や北谷町のショッピングセンターなどで実証され、物流の拠点になることもできる。米軍における沖縄の軍事的役割も後退してきた、とする。

 また、平良氏が「石破さんが、沖縄の国会議員5人を横に控えさせ、辺野古容認させたあの場面こそ平成の<琉球処分>といっていい。絶対に許されることはない。あの写真は100年以上沖縄の人の心に刻まれる」という主旨のことを述べていたのが強烈な印象として残っている。

Kanjityookinawasensyutugiin

                                         2013年11月29日

地元の新聞と全国紙はどう報じたか

 放送後、沖縄地元2紙と手元の全国紙の名護市長選挙翌日の報道・社説を調べてみた。

琉球新報

2014120日一面トップ:「稲嶺氏が大勝 辺野古移設にノー 末松氏に4155票差」

Ryukyusinpokijimidasi

社説:120日 稲嶺氏再選 誇り高い歴史的審判 日米は辺野古を断念せよ 

 121日 市長選 政府反応 民意無視は許されない

 122日 辺野古入札公告 民主国家の自殺行為だ

沖縄タイムス

2014119日電子号外「稲嶺氏再選確実 辺野古移設ノー」

社説:120日 稲嶺氏が再選 敗れたのは国と知事だ

 121日 強硬安倍政権 名護市民 孤立させるな

 123日 名護市長選再論 「まっとうさ」を貫こう

 「沖縄タイムス」の120日の一面トップは未見だが、19日の開票途中で「電子号外」が刊行された。そして、120日のみならず、関係の社説が続けられた。それに比べ、全国紙は以下の通りであった。

Okinawataimusugougai

朝日新聞

2014120日一面トップ「辺野古反対の現職再選 名護市長選 政権推進変えず」

社説:120日 名護市長選 辺野古移設は再考せよ

毎日新聞

2014120日一面トップ「辺野古反対稲嶺氏再選 名護市長選 普天間移設混迷 自民系敗北

 安倍政権打撃」

社説:120日 名護市長選 移設反対の民意を生かせ

東京新聞

2014120日一面トップ「移設反対派再選 名護市長に稲嶺氏 政府に打撃 普天間難航必至」

社説:120日 「辺野古」強行許されぬ 名護市長選 

 また、「沖縄タイムス」は、次のような記事のなかで、筆者未見の読売、産経についてつぎのようにも報じていた(2014121 06:21

「名護市長選:本土紙、関心高く1面トップ」

 名護市長選の稲嶺進さんの大差での再選を、20日付の東京発行の各紙は、軒並み1面や社会面のトップニュースで扱い、全国的な関心の高さを示した。有権者の投票行動や一票への思い、政府反応、普天間辺野古移設をめぐる歴史など、関連記事を数ページにわたり多角的に報じた。

 朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、東京新聞は1面や社会面で稲嶺さんや支持者の喜びの写真を使い、トップ記事で掲載した。(中略)読売は稲嶺さんの再選を伝える一方、政府の工事着工方針を報じた。「地方選を悪用するな」との評論で、国政の課題を首長選挙で問うことに疑問を呈した。

  産経新聞は1面の2番手で「反対派・稲嶺氏が再選」と報じた。2、3面では移設の遅れを懸念しながら、政府の実現に向けた意思を紹介した。

 

「そもそも総研」は、そもそもいつから~強烈だった「野菜のタネはどこから」

 玉川徹さんによる「そもそも総研たまペディア」は、「モーニングバード」の木曜のコーナーのひとつだが、私が意識的に見始めたのは去年の夏ごろからだろうか。放送開始は、20114月からで、前身の番組「スーパーモーニング」では「玉川総研」といっていたらしい。税金の無駄遣いや官僚制度に迫る企画が多かった。「そもそも総研」になってからは、原発事故、電力問題を盛んに取り上げていたことも記憶に新しいし、去年は、特定秘密保護法などはいろいろな角度から繰り返し取り上げていた。

  TPPに関しては、横槍も入ったが、ともかくTPP 推進論者を取り入れての放送となって切り抜けたという経緯もあったが、ぜひ続けてほしいコーナーである。その頃の放送で、私にとって、二重の意味で衝撃的だったのは、20131024日放送の「食料自給率も大事だけど野菜のタネの意外な現状を知っていますか」というものだった。その内容と番組統制の影だった。

 日本の食料自給率は39%で、あとは輸入に頼っているという。野菜に関して言えば、外食産業用を含めて約75%の自給率だが、家庭では98%近くという。ところがその野菜のタネの9割が自家採種ではなく、購入しており、その内の8割が外国産であるというのだ。私の記憶にある野菜のタネと言えば、タネとするものだけを残して収穫していたはずである。そんな風にとったタネは「固定種」と呼ばれ、昭和30年代頃まではメインだったが、大量消費時代を迎えると、収穫や流通に便利な、固定種を掛け合わせた「F1種」を使用するようになったという。まさに高度成長期と重なる。そしてその「F1種」は、野菜の原産国の環境で採取するのが最良ということで、しかも一代限りなのでタネを採ることができない仕組みになっているそうだ。毎年、タネを原産国で作らせた、外国のタネメーカーから輸入したものを購入せざるを得ないというわけである。一代限りにする「操作」がなされているというのである。サカタのタネ、タキイのタネ・・・の大部分が外国産であるという。アメリカの巨大なバイオメーカー、ベトナム戦争での枯葉剤や遺伝子組み換え作物で有名な「モンサント」もその一つではないか。私も日常的には、生活クラブ生協に入会、市販のものでも「遺伝子組み換えでない」素材を使った商品を購入するよう気を付けていたのだが・・・。

しかし、この放送では、モンサントも、TPPも、遺伝子組み換えという言葉は登場しなかったのが不思議だった。昨年の番組への介入により、自主規制してしまったのだろうか。そういえば、この番組も、先般の「減反政策」を取り上げたときも、取材の末尾に農水省担当者の「採種農家の育成」、「農地バンク」への取り組みを紹介して、バランスを取っていた。担当者の返答は何とも頼りないものであったが。

もっとも、固定種のタネを採って販売している農家もわずかながらいて、固定種専門の「野口のタネ」のインタビューもあった。これからは、採種農家は高齢化も進み、その存在は貴重で、「固定種」がなければ「F1種」さえ作れなくなるというのであるから、深刻な問題ではある。

玉川さんはじめスタッフみなさん、どうか頑張ってほしい。経営のトップの方々、安倍首相との会食なんぞ、みんなで断ってほしい。みんなでノーと言えばコワくない、のでは。もちろんひとりでノーといえる気概を持ってほしいのだが。

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2014年1月21日 (火)

「朝日歌壇」における小中学生短歌の功罪

最近の「朝日歌壇」では、相変わらず小中学生の短歌の入選が続いている。こうした現象を、私の周辺でも、積極的に評価する人、別にいいじゃない?かわいらしくて、何か少しおかしくない?と反応はさまざまなようだ。私の立場は、すでに以下の記事にもしているが、最近、この記事に賛否のコメントが付いた。多くの方にご覧いただき、議論になればと思う。ただ、私が思うのは、朝日新聞紙上はもちろん、歌壇、歌壇ジャーナリズムにおいても、この論議はご法度のようなのだ。時評などでも見かけない。私の記事へのアクセス件数は、つねに上位を占めているから、まったく関心がないとは言えないのではないか。プロの歌人は、そんな議論に「関係ない」「必要ない」とばかりに黙殺にも近い。それというのも、舞台は「朝日新聞」であり、選者が馬場あき子、佐佐木幸綱、高野公彦、永田和宏という、各々『かりん』『心の花』『コスモス』『塔』における実質的な発行・編集責任者であり、歌壇の「実力者」たちである。その同門や後継者たちまでが選者となっている各様の投稿歌壇でも、ぽつぽつと、小中学生の作品を対象にし始めているのである。

世の文化人や有識者?たちは、たとえば、新聞社やNHK、岩波書店・・・、歌人たちは、加えて、カドカワや講談社・・・には無抵抗なのではないか。果たして、憲法や言論の自由を守りきれるのだろうか。

少し風呂敷を広げ過ぎたカナと思いつつ・・・、このテーマに限らず、大いなる議論や論争が起きない歌壇がさびしい。

「朝日歌壇」、の小学生短歌の入選について(2012429日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2012/04/post-8723.html

「朝日歌壇」、小学生短歌に入選について、の反響(2012819日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2012/08/2012429-303c.html

 

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2014年1月16日 (木)

歌会始2014、今後の行方

いつもさびしい皇族席

 昨日のNHKの「歌会始」中継は、初めて最初から終わりまで見た。やはりあの「披講」という読み方には生理的についていけず、画面を見ながら、太極拳の八段錦とラジオ体操第一を繰り返していた。1時間20分丸々というわけにも行かず、きつかった。

 それにしても、いつも気になるのが、平成に入って、出席する皇族方が少ないことである。今年は天皇・皇后以外は、向かって左には皇太子と秋篠宮の二人、右には、女性の秋篠宮の紀子さん、常陸宮の華子さん、三笠宮の彬子さん、高円宮の久子さんともうひとりの五人であった。雅子さんの欠席についてNHKの説明では一言触れていたが、あとは、だれが出詠し、誰が欠席なのかも明言しない。夕刊などで確かめると出詠者のみは分かる。三笠宮の信子さんが7年ぶりで出詠していることを報じている新聞もあった。高齢の三笠宮夫妻は歌会始に姿を見せなくなって久しいが、最近は常陸宮も参加していない。あと、秋篠宮、三笠宮、高円宮家の若い女性たちは、出詠はするものの参加するかどうかは、年によっていろいろのようでもある。出詠者は、宮内庁の発表で分かり、今年に至る5年間の実績は、12141512人、今年が14人であり、出席は、写真などにより、近年は、天皇・皇后と合わせて9人どまりである。

 今年の選者は、昨年に引き続き、岡井隆、篠弘、三枝昻之、永田和宏、内藤明、召人は芳賀徹。陪聴者は、各界から選ばれて招待されるらしい。歌壇からも何人かいて、ああそうか、あれ、あの人も・・・というような顔も見えた。有効な応募歌数21680首、去年・一昨年は、東日本大震災のためか18千首台であったから、直前の状況に回復したと言えるのだろう。入選者は15歳から83歳の10首、佳作に高齢者が多いのは、入選者全員が出席できるような配慮なのだろうか。

 国民と皇室の文化的な架け橋というより、いまは数少ない皇室と一部歌人との懸け橋に過ぎなくなってしまっていないか。

 

こんな風に進められていた

 これまで、あんまり関心が向かなかったが、披講の順序は、10人の入選者の年齢の若い順、その後に召人、選者では、今年は篠弘の歌であった。皇族からは、今年は三笠宮の彬子さんで、皇太子、皇太子妃、皇后、天皇という順は毎年同じなのだろう。「伝統にのっとた節回し」の披講だけでは、もちろん短歌は聞き取れないので、NHKの放送では、披講のさなかに作品が分かち書きされた画面がしばらく映しだされる。一首一首の披講の後半に作者の紹介や作品の解説がアナウンスされる。入選者の発表は、年末になされるが、入選作品は、当日までけして口外してはならないということで、事前に明らかにされることはない。しかし、NHKは、入選者の紹介と共に、入選作一首にまつわる作歌動機やエピソードなど周到に用意された原稿が読まれるのである。入選作、選者、召人と天皇・皇后を含む皇族方の作品解説は、報道関係者にはいつ配られているのだろう。少なくとも、NHKは、作品にまつわる解説や映像を用意していることからも、早くに伝わっているはずである。

 披講は、いずれの歌も1回だが、皇后が2回、天皇が3回で、披講されている作者だけが起立しているが、天皇の歌のときは天皇着席のまま、全員が起立ということになる。「歌会始の儀」の本旨からは、当然の成り行きなのかもしれないが、ここには、序列や男女の格差が当然のように前提として成り立っている儀式で、憲法を守りたいとするメッセージを発信している天皇の意向との整合性はどうなのだろう、などと考えてしまう。短歌人口からしたら、圧倒的に女性が多いし、活躍する歌人も女性が多い中で、選者という「特別席」は、女性には回ってこないのだろう。せいぜい一人というのが実績でもあり今後もそんなものかもしれない。入選作も男女比は微妙にバランスを取っているのではないか。

 

 

歌一首はもっと自由なはず・・・

 とくに、入選作のNHKの解説は、誰が原稿を書いているのかわからないが、むしろ不要にも思えたのである。以下、若い順の入選作四首だが、いずれも口語的な発想で、「俵万智」風の雰囲気を漂わせ、どこかで読んだような気もするような「相聞」に聞こえ、それはそれで「いまどきの」青春なのかな、と思ったりした。しかし、「解説」を聞いていて興味が半減してしまった。というのは、作者の説明だったのかもしれないが、どれも、はぐらかされたような感じで、作者の周辺を慮ったように思えてならなかったのだ。必ずしも恋人同士というわけでもなく、中学時代の思い出だったり、「大切な人」であったり、たんなる友人であったり、といった、当たり障りのない、優等生的な解説がなされたのである。

 

・吾の名をきみが小さく呼捨てて静かに胸は揺らいでしまふ

 福島県 冨塚真紀子さん(32

・静けさを大事にできる君となら何でもできる気がした真夏

 東京都 樋口盛一さん(29

・二人分焼いてしまつた食パンと静かな朝の濃いコロンビア

 東京都 中島梨那さん(20

・続かない話題と話題のすきまには君との距離が静かにあつた

 新潟県 加藤光一さん(16 

皇族方の短歌の解説は、以下の宮内庁の資料で分かる。しかし、宮内庁の「お墨付き」の解説や鑑賞が果たして必要なのだろうか、という疑問も去らない。

http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h26.pdf

 

歌一首は、もっと自由なはずではなかったか。

 

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2014年1月14日 (火)

年末年始のマス・メディア雑感

「雑感」とせざるを得ないのが残念なのだが、やはりどうしても記事として残しておきたいと思った。

  年末年始、テレビや新聞をそれほど熱心に見たわけでもなく、大みそかなどは、急きょ東京に出かける用事ができて、結局一日中、テレビを見ずに終わった。元旦号の新聞はたださえ嵩高いが、5紙購読していると、ずしりと重く、もう別刷りの付録?特集?などはほとんど読まなかった。昔はもったいないような気がして頁だけは繰ったものだがいまはその気力もない。

  年末年始の新聞を少しまとめて読み、テレビのニュース番組はチラチラと見ていた。そんな状況での感想なのだが、思いついたまま・・・。しかし、同じような感想を持つ人たちもいて、少し心強くなった。

  『東京新聞』「反響」欄などに注目

私がいつも目を通すのが「東京新聞」の放送&芸能欄のなかの一段にも満たない「反響」という欄である。読者からの放送番組への感想投稿欄である。14日・5日の「反響」は、「新春特集・報道番組に一言」上下で、あわせても2段弱のスペースに9人の感想が載せられていた。その中6人は、直接「特定秘密保護法」に触れて、報道の自由への懸念や不安を指摘し、今後ともメデイアが結束して頑張ってほしいとエールを送るものだった。他の一つは、ニュースは量より中身の濃さが問題であるとする意見、もう一つは、テレビよりラジオの魅力、その自由さを伝えるものだった。私には、日常的にラジオを聴く習慣はないが、なるほどと思った。ただ、投稿者の7人が6070代で、57歳、43歳と、かなり高い年齢構成であったのが、気になるところであった。
 
また、『東京新聞』で、見開きのスペースをとった「こちら特報部」では、読み応えのある調査報道に出会える(最近では「原発・武器輸出 これが成長戦略?」110日)。『毎日新聞』の「オピニオン―メディア」欄の特集や「記者の目」、「メディア時評」には、切り抜きたくなる記事も多い。テレビでは、「モーニングバード」の「そもそも総研たまペディア」が面白い。

NHKがおかしい、視聴者は知っている

当ブログでも、昨年、「特定秘密保護法」の法案の閣議決定直後と、参議院の強行採決で成立した前後の新聞などのマス・メディアの対応について、3回にわたって書いて来た。その折も、他のマス・メディアとの比較で、NHKの対応の異様さを指摘してきた。つまり、①報道機関としての「特定秘密保護法」への危機感が感じられず、その報道量が極端に少なかったこと。②その報道のスタンスも、法律の内容や争点を明らかにすることを意図的に避けて、政権与党と野党との修正協議・駆け引きなどに焦点を当てるものだったこと。その2点に集約された。以下をご参照ください。

「特定秘密保護法」強行採決、嵐は去ったのか(2013129日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2013/12/post-2479.html

「特定秘密保護法案閣議決定、そのとき、新聞は」(2013111日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2013/11/post-6bc1.html

「特定秘密保護法案閣議決定、そのとき、NHKは」(2013111日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2013/11/post-9c02.html

   年末年始におけるNHKの報道姿勢や内容については、上記の傾向をさらに増幅するものとなっていた。こうした思いは、私だけでなく、多くの視聴者が感じているようなのだ。私はニュース7だけは、NHK報道番組のバロメーターとして、視聴するようにしているが、見逃すこともママあった。

  その1.(天皇誕生日)天皇記者会見「ニュース7」(20131223日)

  誕生日を前に行った記者会見の模様を放映したのだが、代表質問の最初が「80年を振り返って印象に残っている出来事や傘寿を迎えた感想、そしてこれからの人生について」であり、それに応えた部分で「特に印象に残っている出来事という質問ですが、やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。」で始まる。宮内庁のホームページに拠れば、つぎのように述べたはずなのだが、ニュースでは、赤字太字部分がカットされていたことが後でわかった。  

「この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです。

 戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経、今日、日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても、人と人とのきずな絆を大切にし、冷静に事に対処し、復興に向かって尽力する人々が育っていることを、本当に心強く思っています。」   

 なお、以下の皇后について述べている部分はカットされずに放映されていたと思う。

 「天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています。」 

  記者会見全文は、文字にすると2900字近いものだが、もちろん、限られたニュースの時間帯ですべてを放映するわけにはいかないだろう。もちろん編集は必要であるが、上記のカットの仕方は、いかにも不自然である。一部の新聞、NHKのwebニュースでも全文は読めたが、ニュースで、あえて、日本国憲法の由来部分を省略した意図は、改憲や解釈改憲を急ぐ現在の安倍政権への配慮ではなかったか。「編集」という「情報操作」が露骨に表れた例と言えるだろう。

この件につき、上記『東京新聞』の「反響」欄(20131229日)には、どこの局とは特定していなかったが、つぎのような投稿が寄せられていた。 

 

「戦後の復興に関するお言葉で、『平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り・・・』という部分は放送されていなかった。陛下ご自身が一番印象に残っていることとして、戦争の惨禍を挙げられてことから考えると、負に落ちない編集である」(川越市・男性・62歳)

 

その2.仲井真沖縄県知事「普天間移設、辺野古埋め立て申請承認」についての県議会質疑及び辞任を求める決議に関する「ニュース7」(201419日、10日)

 

 昨年12月半ば、仲井真知事が都内の病院に入院とのニュースが流れ、安倍首相との会談日程が取りざたされる頃から、ほぼ会談の結論は予想できた。しかし、1225日の会談を経て、27日の知事の記者会見で、安倍首相の対応にあれほどの賛辞を送り、「いい正月が迎えられる」?との発言にはいささか戸惑った。その内容は、普天間県外移設の選挙公約に大きく外れるものだったからである。

  年明けの19日には、沖縄県臨時県議会で、6時間にも及ぶ質疑で、知事の追及がなされ、翌10日には、野党4会派と公明党が知事の辞任要求決議が可決した。県議会の質疑はいっさい報じられなかったし、辞任決議については、「フラッシュニュース」で短く報じただけであった。9日は、午後に横浜地検の川崎支部から逃走した男が横浜で逮捕され、四日市の化学工場の爆発事故で5人の死者を出した事故が発生していた。たしかに、災害・事故・事件の報道も重要であるが、沖縄の基地の問題は、地方ニュースではないはずである。その扱いがあまりにも軽く、黙殺にも近いものだったのである。その一方で、スポーツや緊急性を要しない話題、いわば<ヒマネタ>で、時間を占めてしまうことが多々ある。たとえば、「インフルエンザ、全国的流行」(9日)「ビール各社、冬に“高級路線”強化」「XP打ち切りで、偽ソフト急増」(10)などであり、日常的には、執拗なほどの「領海接近・侵入船舶」の頻出には、そのバランス感覚に疑問を持たざるを得ない。というより非常に意図的なものを感じてしまうのは私だけだろうか。

  以上のようなNHKの報道番組の「偏向」の一方、エンターテイメント番組について、最近目に余るのは、自局の番組宣伝である。スポット的な予告ならいざ知らず、新年5日から始まった大河ドラマ「軍師官兵衛」の関連番組というのが目白押しである。たしか、初回1月5日の午後には、「官兵衛が始まるまであと何時間何分」などと、はしゃいでカウントダウンまで始める番組に出くわし、あきれてしまった。また、「あさイチ」のオープニングは、司会のふたりが直前の番組「ごちそうさん」の感想をなにやら言いあうのがどうも慣例になっているらしい?それほどまでにして「視聴率」をあげて受信料制度を守りたいのか、と思うほどである。

 

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2014年1月 3日 (金)

新年のご挨拶申し上げます。

当ブログをお訪ねくださいましてありがとうございます。

ムラのある更新状況ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

政治の動向には、腹立たしさと恐ろしさを覚える昨今です。

明るいニュースは期待できませんが、今できることは何かを探っていきたいと思います。

この街に暮らしはじめて26年、当地も高齢化に伴う課題が年々深刻化してきている様相です。

昨年は、『天皇の短歌は何を語るのか―現代短歌と天皇制』まとめることができました。多くの方々からの温かい言葉を励みに、少しでも筆を進めることができればと願っています。

皆様のご健康とご活躍を祈っております。

201411

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近くの八社大神に初詣に行きました。

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隣町の市役所にお勤めのご近所のSさんが神官となってお祓いをしてくださる。

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出来たばかりの八社大神の由来書です。

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初詣の人も途絶えた昼下がり。

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鳥居の左手の神木?3本が根方もあらわに辺りを見守っている。

何の木か氏子さんに尋ねてみたのだが・・・。

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