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2014年3月31日 (月)

< もうやめよう!TPP交渉 3・30大行動 >に参加しました ~TPPいらない!命がだいじ!震災復興!さようならTPP~  

 数日前から、なんど、天気予報を見ても、3月30日だけが「傘マーク」なのだ。雨はもちろんやみそうにもない。それでも意を決して、何をしでかすか分からない高齢犬をサークルで囲い、眠ったスキに家を出た。今日の実行委員会構成団体の一つの代表でもある連れ合いはすでに日比谷野外音楽堂に着いている頃だろうか。

 電車に乗ると、地元の9条の会のHさんに声をかけられた。3・30の沢山のチラシもポスターも引き受けてくださった元市議の方だ。仲間が先頭車両に乗っているかもしれないと移動したが、見つけられなかった。この雨風では無理もないと思う。   

  会場に着くと、やはり出足が鈍い。今日の私の役目は、やたらに長い名前の、TPP反対の「大学教員の会」の場所取りだった。大きな横断幕を手すりに掛けて待機するものの、集まる者がいない。いったいどうなることやら・・・。前回の、昨年12月8日の大行動の折は、それでも数人の方々と横断幕を持って行進することができた。

 きょうの参加者のほとんどは、白いビニールの雨合羽を身につけ、グショグショのノボリ旗のもと、濡れた石のベンチに座っている。壇上では、挨拶からリレートークに変わり、熱気を帯びてくる。沖縄の玉城サトウキビ生産組合長の玉城健さんは「たださえ台風や干ばつなどの影響が厳しいなか、TPPは、サトウキビや畜産業に壊滅的なダメージを与えます」、岩手生協連専務理事の吉田敏恵さんは「TPPは大企業や多国籍企業のためにしかならず、被災地の農家や中小企業に打撃を与え、さらに窮地に追い込みます」、 滋賀県日野町長の藤沢直広さんは「日本一おいしい近江牛の生産地からやってきました。TPPは、食の自給や安全を脅かし、日本を支える根っこの農林漁業を壊します」と述べ、「みんなで力を合わせ、頑張ってTPPを阻止しよう」と結ぶ。建設分野からは「公共事業へのアメリカ資本の参入、外国人労働者の導入などにより日本の経済や雇用はズタズタになります」、学校給食の現場からは「地元の安全な食材が使えなくなります」、医療現場からは「TPPが通れば、アメリカの高い薬が押し付けられ、保険にはアメリカ流の混合診療が持ちこまれ、私たちの命が売り渡されるかの瀬戸際です」との発言が続く。

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  大学教員は、会場には来ているが場所がわからないのか?それとも参加者がいないのか?一人もここには現れない。雨風が激しくなると、待つ身はだんだんと苛立ち始める。しょうがないなあ、大学の先生は!

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  私事にわたるが、私は、国家公務員の時代を経て、私立大学の職員であった時代が長い。幸か不幸か大学の先生のウラとオモテを見てしまった。同僚たちと大学教授の「昼と夜」が書けるネ、と冗談を言い合ったものである。プライドが高く、自分は特別に遇されて当たり前という上から目線がキツイ。だから、たとえば、市民運動や政治活動にしても、一教員、一市民という感覚で参加することができない人々が多い。会場の雨風が烈しくなるにつれ、私の思いはだんだんと増幅されてゆく。

  デモは、ひとりで参加するとして、例の横断幕は畳んでしまおうと思った。そんなとき、不当解雇で闘っているJAL乗務員の原告団の方々が、ノボリを立てて署名活動をしているのが見えた。連れ合いが支援を続けていることもあって、思わず声をかけてしまった。今日は、客室乗務員の女性ばかりが参加しているとのこと。というわけで、銀座までの1.5キロは、キャビン・アテンダントの皆さんとデモ行進をさせてもらうという貴重な体験をしたのだった。当方の愚痴も聞いてもらったり、JAL“再建”にあたったという稲盛和夫の怪しげな経営術談義にも花が咲き、解散地点の鍛冶橋の辺りでは雨もおさまっていた。私も「ありがとう」の気持ちと何か熱いものをいただいたような思いで、皆さんと別れたのであった。

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↑解散の頃は、だいぶ小降りになって、・・・


  帰宅後のメールでは、地元の9条の会でご一緒している Mさんも集会とデモに参加されたことを知った。お会いできず残念だったが、うれしいことのひとつだった。翌日の日本農業新聞で、佐倉市の年金組合の方が取材に応えている記事を読み、当地からも、ほかに多くの人が参加していたかもしれないと思うのだった。

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2014年3月29日 (土)

小高賢さんのコラムがまだ続いている

  朝日新聞の大岡信「折々のうた」が終了して久しい(1979年1月25日~2007年3月31日、休載期間度々あって、6762回)。今度は東京(中日)新聞の岡井隆「けさのことば」が終了し(1984年6月1日~2014年2月12日)、3月27日には、「『けさのことば』終わります」という執筆者の寄稿が掲載されていた。ともに、編集部の協力が大きかったと思うが、長い間、よく続いたものと思う。「折々のうた」は、当初より自然に読むともなく読んでいた。「けさのことば」が始まった頃は、名古屋に住んでいたが、中日新聞は購読していなかった。当地に転居後、しばらくして東京新聞を取り始め、「けさのことば」を知った。「けさのことば」の人生訓というか箴言の博覧強記ぶりがむしろ苦手だったし、歌人でいえば、若手の起用が頻りであった。
 昨年から、家人の必要から日本農業新聞の購読が始まった。そこで出会ったのが「おはよう 名歌と名句」という一面のコラムであった。名歌が小高賢、名句が宮坂静生両氏の日曜を除く隔日の担当である。月曜の「読者文芸・歌壇」は大辻隆弘、小高賢両氏の隔週担当だった。
 
 その小高氏の2月10 日逝去の報には驚いたのだが、没後、そのコラムの執筆がいまでも続いているのを知る人は少ないかもしれない。コラムの下段にはいつも「生前の原稿を掲載しています」の添え書きがある。短歌雑誌でも追悼号が出始める頃だというのに、である。何回分の原稿のストックがあるのだろうか。さすがに、名編集者の名に恥じず、編集者を困らせることはなかったのである。今朝3月29日の新聞には「家を建て妻子をなしぬ生活といふ解し難き時空生きつつ」(筑波杏明)の歌を掲げ「簡単なようで、じつはなかなか難しいのが生きるということだろう。多くは年齢を経るにつれて、そのことを実感する。人間は一人では生きにくい。・・・」とあった。ご自身の最晩年の一首をあげて、ご冥福を祈りたい。

老いてなおこころ奪わる年下の死に遭う哀しさうたう哀しさ
(『現代短歌』20143月)

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(3月31日補記)

日本農業新聞の読者文芸・歌壇の選者小高賢さんの後任は、同じ「かりん」同人の川野里子さんになった。

(4月1日補記)

日本農業新聞の「おはよう 名歌と名句」の小高さん執筆分は3月末で終了となり、4月1日からの短歌選評の担当は「未来」の大島史洋さんになった。

 

 

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2014年3月26日 (水)

自治会と寄付金 一律集金に異議を唱えよう

 表題は、今月17日、朝日新聞朝刊オピニオン欄「私の視点」に掲載された投稿です。これまでも、何度か、このブログでも触れてきた内容です。朝日購読の方には、ひっくり返して読んでいいただければ幸いですし、おついでの折、図書館などでご覧いただければと思います。

幾つかのブログや何人かのツイッターで、本稿をご紹介いただいております。大きな励ましとなりました。ありがとうとうございます。

以下のブログに全文収録してくださっています。

「マキペディア<発行人:牧野紀之>」http://blog.goo.ne.jp/maxikon2006/e/166c12f8001a6f6b2724e795ea2422db

「愛国者の邪論」

http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/ed43b5642c105841d7f524363623b9ec

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今年の芸術選奨、これはどういうことなのだろう?

  3月13日発表になった昨年度の業績に対する芸術選奨が発表になった。とりあえず、私は短歌関係のみに着目しているわけだが、どうも変な現象が起こっている。これまでも、このブログにおいても、昨年まとめた著書でも触れた。国家的褒章制度が持つ権威性とその選考過程の閉鎖性を指摘してきた。この賞は、作品、歌人でいえば「歌集」「歌書」が対象である。ところが、毎年の選考委員・推薦委員と「受賞者」の名簿を見ただけでも、歌壇の事情を少しでも知っている者ならば、その固定化と結社系列の特定化の懸念がよぎるのではないか。

  たとえば、今世紀に入ってからの短歌関係受章者一覧を作成してみると以下のようになる。括弧内の太字は所属結社(誌名)を示した。少しでも、現代短歌の事情に通じた者であれば、この受賞者と所属が意味するところ分かるのではないか。「心の花」は佐佐木信綱が中心で1898年に創刊され、幸綱は信綱の孫にあたる。昭和10年代にさかのぼるが、『短歌人』創刊の斎藤瀏は、『心の花』出身である。窪田空穂の詩歌集『まひる野』に由来し、空穂の嗣子窪田章一郎と馬場あき子・岩田正・篠弘らが中心となって1946年創刊されたのが『まひる野』である。1978年、馬場あき子らが独立して『かりん』を、1982年に武川忠一らも独立して『音』を創刊している。さらに『かりん』より三枝昻之らが分かれて『りとむ』を創刊する。いずれも窪田空穂の流れをくむものである。

http://dmituko.cocolog-nifty.com/geijutusensyoujusyouysaitiran.pdf

  それでは現在も、信綱や空穂の歌風を受け継いでいるかと言えば、その特徴はかなり薄れている実情ながら、各結社の主宰者たちは、自らの出自や所属をとても大事にしていることが分かる「一覧」ではないか。

  岡野弘彦は、釈迢空をの師とする歌人で、国学院大学で永らく教壇に立ち、歌会始選者が長かった。水原紫苑は春日井建を師とする歌人で、日本の古典芸術にも造詣があるという。永田和宏は、アララギ系の高安国世創刊の『塔』を継承し、歌会始選者も努める。
   ここに登場する歌集や歌書は、私も一部読んでいて、かなりすぐれた作品と思われるものが多いのだが、どうしてもこの年、この作品でなければならないという決定的な要素が見出しがたい。適否は別にして、人気投票とか売り上げなどという客観的なバロメーターもない。どう見ても、選考委員・推薦委員2・3人の個人的な嗜好ないしは評価で、国家的な褒章制度が成り立っているということをもっと知るべきではないかと思う。これは短歌の分野に限る問題ではないはずである。

(4月7日補記)
今日になって、「ほろ酔い日記」(佐佐木幸綱さんのブログ)につぎのような記述を見出した。

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20140321 | 日記

芸術選奨・授賞式(於・都市センターホテル)
藤島秀憲君の歌集『すずめ』が、今年度芸術選奨・新人賞に決定。選考委員の一人として授賞式に参席した。
 『すずめ』は推薦委員の小池光が推薦してくれ、選考委員の川上弘美、正木ゆう子、篠田節子、沼野充義、高橋順子、高橋一清氏らに好評で、そろって支持してくれた。

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2014年3月15日 (土)

遅ればせながら、「山崎方代」入門?いたしました

 山﨑方代(やまざきほうだい・1914~1985年)は、今年、生誕百年です。「昭和の山頭火」ともよばれました。チモール島での戦傷のため片方を失明し、定職を持たず、放浪歌人の時代もありました。

 阿木津英さんが『方代を読む』を出版されたのは一昨年でしたが、その書評を書く機会がありました(『国文目白』 53号 日本女子大学国語国文学会編刊 20142月)。私のミスで方代の生年を10年間違って一九二四年としていて、気が付かなかったのです。関係者の方にはご迷惑をおかけしてしまいました。また、続いて、『現代短歌』生誕百年特集にも短文を寄せる機会がありました。

 歌壇に方代ファンが多いのは知っていましたが、これまで、どちらかと言えば、「食わず嫌い」?の感があったのですが、しばらくの間『山崎方代全歌集』(不識書院 1995年)の頁を繰っては楽しんでいました。こんな歌が並んでいます。

 

『方代』(1955年)

占いの紙を上からおさえている一つ一つの石生きている

一枚の手鏡の中におれの孤独が落ちていた

『右左口』(1973年)

息絶えし胸の上にて水筒の水がごぼりと音あげにけり

ひび黒き茶碗と箸を取り出してひとり降誕祭(ノエル)の夜を送れり

『こおろぎ』(1980)

ふるさとの右左口郷は骨壺の底にゆられてわがかえる村

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております

『迦葉』(1985)

風は五月の候である 白いダブルの袖でとおしている

赤旗の日曜版のみ取りましてずっと勉強をしておりまする

欄外の人物として生きて来た 夏は酢蛸を召し上がれ

 

 私の第一歌集『冬の手紙』(1971年)の批評会に、玉城徹さんと連れ立って、山崎一郎さんと山崎方代さんもいらしてくださったのを思い出しています。出版元だった『閃』グループの増田文子さんの声掛けだったかもしれません。来賓の『ポトナム』』の阿部静枝先生、大学時代の短歌会の顧問だった峯村文人先生はじめ、会の世話をしてくださった中村寛子さん、林安一さんも故人になられました。赤木健介さん、小中英之さんも来てくださっていたのだなあと、感慨深いものがあります。司会をしてくださったのは、現在『ポトナム』の編集人の藤井治さんです。

 方代さんは、例の風貌で、やはり麻の白のスーツを召していて、私の本に顔を近づけて、スピーチされているスナップが残っています。何を話されたのか、当時は録音を採っていませんでしたし、記憶のかなたです。

 

 

 

 

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2014年3月11日 (火)

首相記者会見の気持ち悪さ

   310日、311を明日に控え、首相記者会見を行っていた。

首相記者会見を中継で見ていて、毎回思うのは、あの無機質な会見場の雰囲気と記者との質疑のヤラセっぽい行儀のよさである。シナリオ通りのやり取りに終始し、一件落着。そして、その直後に、NHKテレビでは、首都圏ニュースの時間を割いて、首相の発言のポイントなどが記者とアナウンサーの間で語られるのも、いつものことである。マス・メディアの一部が、政府に乗っ取られているかのような静かさでもある。

  今回の記者会見での首相の発言は、被災地への月一回ほどの視察を踏まえて、各地の被災者の声を聴き、個別の要望にも対応しているかのような語り口での美辞麗句が続く。この日の、注目発言といえば、常磐道の全面開通を来年の連休までに前倒しする、というものであった。言うに事欠いて、ハード面の復興のみならず「心の復興に力を入れる」と言い、具体的には、(1)仮設住宅で暮らす子育て世帯への保健師らによる巡回訪問を実施する(2)仮設住宅の空き部屋を遊び場や学習スペースとして活用し、子どもの心のケアに努める、と説明した。また、震災が発生した2011年に被災地で生まれた子どもを中心に、「できるだけ多くの子どもたちを(20年東京)五輪に招待したい」といった内容であった。

ハード面、仕事・住居・医療・教育など根本的な復旧・復興なくして、心の復興などという言葉が躍る。基本的な環境が整わないからこそ、インフラの確保が一向に進まないからこそ、精神的な負担が長期化しているという状況を無視しての発言ではないか。 東京オリンピックに被災地の子供を招待するとか、聖火リレーでは東北3県を走らすとか、そんな一過性の「お祭り」で何が変わるのかと思う。

復興予算を被災地と無関係なところに使い、あるいは積み残している現状、原発再稼働のための、世界一厳しい安全基準と胸を張りながら、汚染水がまったくコントロールできていない状況についての国会答弁は苦しい状況が続いてもいる。

記者会見直前の310日午後の参議院予算委員会での首相答弁は回答になっていなかった。再稼働の安全性についてはだれが判断するのかの質問に、田中原子力規制委員長は、規制基準の適否は判断するが再稼働の安全性についての判断は否定、その判断は、地元、事業者、政府の判断であるとした。一方、首相は、「規制基準を越えれば安全だという判断がなされ、最も厳しいレベルでの審査に適合する原発の再稼働は進めていく」というのだ。責任をもって安全性の判断をする者がいないまま、再稼働だけは進めると答えていることになる。さらに、質問者の井上哲士議員は 原発事故の検証ができないまま、また各原発近隣自治体の避難計画の策定がないままの再稼働は無責任だと指摘していた。

その直後の首相記者会見場は、まるで段取り通り進むお通夜ののような雰囲気でもあった。

 

 

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