遅ればせながら、「山崎方代」入門?いたしました
山﨑方代(やまざきほうだい・1914~1985年)は、今年、生誕百年です。「昭和の山頭火」ともよばれました。チモール島での戦傷のため片方を失明し、定職を持たず、放浪歌人の時代もありました。
阿木津英さんが『方代を読む』を出版されたのは一昨年でしたが、その書評を書く機会がありました(『国文目白』 53号 日本女子大学国語国文学会編刊 2014年2月)。私のミスで方代の生年を10年間違って一九二四年としていて、気が付かなかったのです。関係者の方にはご迷惑をおかけしてしまいました。また、続いて、『現代短歌』生誕百年特集にも短文を寄せる機会がありました。
歌壇に方代ファンが多いのは知っていましたが、これまで、どちらかと言えば、「食わず嫌い」?の感があったのですが、しばらくの間『山崎方代全歌集』(不識書院 1995年)の頁を繰っては楽しんでいました。こんな歌が並んでいます。
『方代』(1955年)
占いの紙を上からおさえている一つ一つの石生きている
一枚の手鏡の中におれの孤独が落ちていた
『右左口』(1973年)
息絶えし胸の上にて水筒の水がごぼりと音あげにけり
ひび黒き茶碗と箸を取り出してひとり降誕祭(ノエル)の夜を送れり
『こおろぎ』(1980年)
ふるさとの右左口郷は骨壺の底にゆられてわがかえる村
一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております
『迦葉』(1985年)
風は五月の候である 白いダブルの袖でとおしている
赤旗の日曜版のみ取りましてずっと勉強をしておりまする
欄外の人物として生きて来た 夏は酢蛸を召し上がれ
私の第一歌集『冬の手紙』(1971年)の批評会に、玉城徹さんと連れ立って、山崎一郎さんと山崎方代さんもいらしてくださったのを思い出しています。出版元だった『閃』グループの増田文子さんの声掛けだったかもしれません。来賓の『ポトナム』』の阿部静枝先生、大学時代の短歌会の顧問だった峯村文人先生はじめ、会の世話をしてくださった中村寛子さん、林安一さんも故人になられました。赤木健介さん、小中英之さんも来てくださっていたのだなあと、感慨深いものがあります。司会をしてくださったのは、現在『ポトナム』の編集人の藤井治さんです。
方代さんは、例の風貌で、やはり麻の白のスーツを召していて、私の本に顔を近づけて、スピーチされているスナップが残っています。何を話されたのか、当時は録音を採っていませんでしたし、記憶のかなたです。
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