小高賢さんのコラムがまだ続いている
朝日新聞の大岡信「折々のうた」が終了して久しい(1979年1月25日~2007年3月31日、休載期間度々あって、6762回)。今度は東京(中日)新聞の岡井隆「けさのことば」が終了し(1984年6月1日~2014年2月12日)、3月27日には、「『けさのことば』終わります」という執筆者の寄稿が掲載されていた。ともに、編集部の協力が大きかったと思うが、長い間、よく続いたものと思う。「折々のうた」は、当初より自然に読むともなく読んでいた。「けさのことば」が始まった頃は、名古屋に住んでいたが、中日新聞は購読していなかった。当地に転居後、しばらくして東京新聞を取り始め、「けさのことば」を知った。「けさのことば」の人生訓というか箴言の博覧強記ぶりがむしろ苦手だったし、歌人でいえば、若手の起用が頻りであった。
昨年から、家人の必要から日本農業新聞の購読が始まった。そこで出会ったのが「おはよう 名歌と名句」という一面のコラムであった。名歌が小高賢、名句が宮坂静生両氏の日曜を除く隔日の担当である。月曜の「読者文芸・歌壇」は大辻隆弘、小高賢両氏の隔週担当だった。
その小高氏の2月10 日逝去の報には驚いたのだが、没後、そのコラムの執筆がいまでも続いているのを知る人は少ないかもしれない。コラムの下段にはいつも「生前の原稿を掲載しています」の添え書きがある。短歌雑誌でも追悼号が出始める頃だというのに、である。何回分の原稿のストックがあるのだろうか。さすがに、名編集者の名に恥じず、編集者を困らせることはなかったのである。今朝3月29日の新聞には「家を建て妻子をなしぬ生活といふ解し難き時空生きつつ」(筑波杏明)の歌を掲げ「簡単なようで、じつはなかなか難しいのが生きるということだろう。多くは年齢を経るにつれて、そのことを実感する。人間は一人では生きにくい。・・・」とあった。ご自身の最晩年の一首をあげて、ご冥福を祈りたい。
老いてなおこころ奪わる年下の死に遭う哀しさうたう哀しさ
(『現代短歌』2014年3月)
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(3月31日補記)
日本農業新聞の読者文芸・歌壇の選者小高賢さんの後任は、同じ「かりん」同人の川野里子さんになった。
(4月1日補記)
日本農業新聞の「おはよう 名歌と名句」の小高さん執筆分は3月末で終了となり、4月1日からの短歌選評の担当は「未来」の大島史洋さんになった。
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