< もうやめよう!TPP交渉 3・30大行動 >に参加しました ~TPPいらない!命がだいじ!震災復興!さようならTPP~
数日前から、なんど、天気予報を見ても、3月30日だけが「傘マーク」なのだ。雨はもちろんやみそうにもない。それでも意を決して、何をしでかすか分からない高齢犬をサークルで囲い、眠ったスキに家を出た。今日の実行委員会構成団体の一つの代表でもある連れ合いはすでに日比谷野外音楽堂に着いている頃だろうか。
電車に乗ると、地元の9条の会のHさんに声をかけられた。3・30の沢山のチラシもポスターも引き受けてくださった元市議の方だ。仲間が先頭車両に乗っているかもしれないと移動したが、見つけられなかった。この雨風では無理もないと思う。
会場に着くと、やはり出足が鈍い。今日の私の役目は、やたらに長い名前の、TPP反対の「大学教員の会」の場所取りだった。大きな横断幕を手すりに掛けて待機するものの、集まる者がいない。いったいどうなることやら・・・。前回の、昨年12月8日の大行動の折は、それでも数人の方々と横断幕を持って行進することができた。
きょうの参加者のほとんどは、白いビニールの雨合羽を身につけ、グショグショのノボリ旗のもと、濡れた石のベンチに座っている。壇上では、挨拶からリレートークに変わり、熱気を帯びてくる。沖縄の玉城サトウキビ生産組合長の玉城健さんは「たださえ台風や干ばつなどの影響が厳しいなか、TPPは、サトウキビや畜産業に壊滅的なダメージを与えます」、岩手生協連専務理事の吉田敏恵さんは「TPPは大企業や多国籍企業のためにしかならず、被災地の農家や中小企業に打撃を与え、さらに窮地に追い込みます」、 滋賀県日野町長の藤沢直広さんは「日本一おいしい近江牛の生産地からやってきました。TPPは、食の自給や安全を脅かし、日本を支える根っこの農林漁業を壊します」と述べ、「みんなで力を合わせ、頑張ってTPPを阻止しよう」と結ぶ。建設分野からは「公共事業へのアメリカ資本の参入、外国人労働者の導入などにより日本の経済や雇用はズタズタになります」、学校給食の現場からは「地元の安全な食材が使えなくなります」、医療現場からは「TPPが通れば、アメリカの高い薬が押し付けられ、保険にはアメリカ流の混合診療が持ちこまれ、私たちの命が売り渡されるかの瀬戸際です」との発言が続く。
大学教員は、会場には来ているが場所がわからないのか?それとも参加者がいないのか?一人もここには現れない。雨風が激しくなると、待つ身はだんだんと苛立ち始める。しょうがないなあ、大学の先生は!
私事にわたるが、私は、国家公務員の時代を経て、私立大学の職員であった時代が長い。幸か不幸か大学の先生のウラとオモテを見てしまった。同僚たちと大学教授の「昼と夜」が書けるネ、と冗談を言い合ったものである。プライドが高く、自分は特別に遇されて当たり前という上から目線がキツイ。だから、たとえば、市民運動や政治活動にしても、一教員、一市民という感覚で参加することができない人々が多い。会場の雨風が烈しくなるにつれ、私の思いはだんだんと増幅されてゆく。
デモは、ひとりで参加するとして、例の横断幕は畳んでしまおうと思った。そんなとき、不当解雇で闘っているJAL乗務員の原告団の方々が、ノボリを立てて署名活動をしているのが見えた。連れ合いが支援を続けていることもあって、思わず声をかけてしまった。今日は、客室乗務員の女性ばかりが参加しているとのこと。というわけで、銀座までの1.5キロは、キャビン・アテンダントの皆さんとデモ行進をさせてもらうという貴重な体験をしたのだった。当方の愚痴も聞いてもらったり、JAL“再建”にあたったという稲盛和夫の怪しげな経営術談義にも花が咲き、解散地点の鍛冶橋の辺りでは雨もおさまっていた。私も「ありがとう」の気持ちと何か熱いものをいただいたような思いで、皆さんと別れたのであった。
↑解散の頃は、だいぶ小降りになって、・・・
帰宅後のメールでは、地元の9条の会でご一緒している Mさんも集会とデモに参加されたことを知った。お会いできず残念だったが、うれしいことのひとつだった。翌日の日本農業新聞で、佐倉市の年金組合の方が取材に応えている記事を読み、当地からも、ほかに多くの人が参加していたかもしれないと思うのだった。
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