新緑の歴博へ、企画展「歴史にみる震災」はこれでよかったのか(1)
地元の国立歴史民俗博物館で、3月11日から始まった企画展示が気になっていた。東日本大震災では、千葉県では旭の津波被害、浦安ほか各地での液状化、県北西部は佐倉も含めての放射線量のホットスポットなどが問題になっているので他人ごとではない。日本人は、震災の歴史から何を学んできたのか。この日は、担当者によるギャラリートークもあるというので、早めに出かけた。
京成佐倉駅から私が乗ったバスは、新緑の愛宕坂を上って、博物館入口まで運んでくれる。アプローチの大階段をのぼり、企画展示の地階までの、これまた大階段を下り、さらに奥まったところが企画展示室である。今回の展示は、Ⅰ.東北の地震・津波 Ⅱ.近代の震災の2部構成であった。第1部では、「東北の津波」被害に焦点があてられている。
旧佐倉連隊営門を過ぎると愛宕坂
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1.東北の地震・津波
(1) 前近代の被災
(2)近現代の地震・津波
2.近代の震災
(1)関東大震災
(2)北但馬・北丹後地震
(3)東南海・南海地震
(4)福井地震
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東日本大震災の津波は<想定外>の<1000年に1度の>の規模だったのか
第1部の入り口の冒頭の大きなスクリーンには、東日本大震災の津波がいつ、どこで、どのくらいの高さになったかが、秒刻みでの変化が見られるようになっていた。そして、東日本大震災は、仙台市若林区荒浜地区採取の地層剥ぎ取りの標本と「日本三大実録」の記録などから、貞観地震(869年)とほぼ同規模の地震と津波被害を東北地方太平洋沿岸にもたらしていたと推測され、その「説明」には、「2011年の津波は、決して想定外の規模ではなかったのである」と記されていた。また、慶長地震津波(1611年)についても、歴史資料や堆積物調査によって、明治三陸地震津波(1896年6月15日)、昭和三陸地震津波(1933年3月3日)の被害よりもさらに内陸まで津波は及び、東日本大震災の規模に匹敵することが示されているという。東日本大震災の直後、政府関係者、原発関係者、メデイアで盛んに喧伝された「1000年に1度」の大災害という事実はなく、「見直し」の必要が記されていた(「図録」13p)。
慶長地震の被害状況の一部が、はからずも、日本に「金銀島探検」に来ていたスペインの探検家ビスカイノの報告書に記録されていたのである。「想定外」「1000年に1度」などと、いかにも人間の知恵と技術で制御しきれなかったような「言い訳」として、軽々しく使っていた人々を、あらためて記憶に留めなくてはいけないと思うのだった。
正面の大きな窓には、満開の桜がみごとだった由
<情報>も大切だが、<記録>が大事
今回の企画展で思ったのは、現代のような情報社会においてももちろんなのだが、まだ、情報量そのものが少なかった、あるいは情報統制が厳しかった明治・大正・昭和における災害の原因や実態を後世に伝える手立ては、かなり難しいことがわかった。第1部の第2節「近現代の地震・津波」に登場するつぎのような人々の仕事が私の目を引いた。
遠野の山奈宗真(1847~1909年)は、城下で戸籍調べや地租改正調査にあたったが、明治三陸津波直後、町会議員として岩手県下の津波被害調査を建言、県からの支援を得て、自らが指揮を取り、190個所にわたる各種調査報告書をまとめた。また、中島待乳アルバムとして残った48枚の写真には、3人のカメラマンによる大船渡から釜石周辺の被害状況が写されていた。また、写真師末崎仁平(鍬が﨑町、宮古市)の19枚の写真には、この町に限られた被害状況と救助活動が写されていた。瓦礫に埋め尽くされた街、倒壊の家屋、打ち上げられた漁船、流された鳥居、生き埋めの人らの救助活動、遺体が荼毘にふされる様子など、私たちが目にした東日本大震災の報道写真とかわらない光景であった。しかもこれらの写真は、両者とも、東日本大震災後の2012年から2013年にかけて、さまざまな経緯で、初めて全貌が判明した写真群であったという。
さらに、続いて「昭和三陸津波」「遠地津波による被害―チリ津波」(1960年5月24日)と「東日本大震災」(2011年3月11日)のコーナーが設置されている。チリ津波は、チリの地震後、20数時間後にやってきた津波のメカニズムを恐ろしく思ったものである。1960年5月と言えば、東京では「安保反対」「岸を倒せ」のデモで騒然としていた頃である。なお、今回の展示には見かけなかったが、奥尻島地震の津波の高さも驚異的であったのが思い出される。カタログの年表によれば230人の犠牲者を出している。昭和以降の地震・津波の資料類は格段の量に及び、情報手段も多様化したと思う。しかし、だからといって、後世に、確実に、正確に伝わっていくかとなると、必ずしもそうではない。これは、幾重もの意図的な隠蔽や情報操作が複雑に絡み合って、国民に届かない情報も少なくなかったことは、東日本大震災の例を見ても明らかであろう。(続く)
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