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2014年5月21日 (水)

現代批評講座(第7回):対談 安丸良夫×菅孝行『近代日本の国家権力と天皇制』(5月17日)に参加して

  会場は、いつもの明治大学リバティタワー裏の研究棟で、御茶ノ水駅からのわずかな距離ながら、学生街の雑踏を歩くのは嫌いではない。昨年の11月(第5回)には、拙著『天皇の短歌は何を語るのか』を取り上げてくださった批評会である。今回は、御茶の水書房刊行のブックレット『近代日本の国家権力と天皇制』というので、逃すわけにはいかなかった。

 事故のため総武線が遅れて、すでに、安丸氏の報告は始まっていた。かつて『近代天皇像の形成』(岩波書店2001年)には目を通しているはずだったが、読み直す時間もなく、白紙の状態での参加だった。民衆史の中でとらえる天皇制とは・・。やや聞きづらいお声ながら、「通俗道徳」、これも初めて耳にする言葉だったが、その通俗道徳こそがが、天皇制イデオロギーを支えてきたということを力説されていたと思う。菅氏の報告は、今回のブックレットにもあるように、多岐にわたる天皇論は、予備校の講師もなさっていたというだけあって明快であった。とてもまとめにくいのだが、私が一番印象に残ったのは、昭和天皇は、マッカーサー、占領軍との敗戦処理における攻防で、東條の断罪、沖縄の施政権、国家神道の排除などと引き換えに天皇制と私事としての神道を残したという部分である。皇室の私事としての神道、それに伴う祭祀については占領軍にも手を触れさせず、いまも国家の中心に在り続け、国民の目には触れない形で権力者との連携を保っているという構図についてあった。 保守党と天皇制についてはもちろんであるが、さまざまな野党や少数の政治的なグループと天皇制への姿勢については、私の中でも整理できていないところであり、もう少し詳しく知りたかった。

  コメンテイターの友常氏の話で、私には、お二人の話の位置づけが少しだけ分かったような気がした。ここでも断片的な要約ながら、私にとっては、ミクロの世界の現場での検証や戦いの積み重ね、下からの自律的な自己形成によって実現可能な変革もありうる・・・という話に、少しだけ勇気づけられた。そして、天皇制研究が日米開戦の1940年代より盛んで、進化を遂げているのはアメリカであるが、その限界もある。そこで育った日本人の研究者も出てきていることにも期待したいということだった。 質疑の前半での途中退席ながら、刺激的な批評会であった。

会の案内は以下に詳しい。

http://chikyuza.net/archives/44121

 

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