みどりの日、関さんの森、再訪
初めて訪ねたのも2年前のゴールデンウィーク。2010年から、「関さんの森を育む会」のボランティアに参加している長女が帰省中でもあり、一緒に出かけた。新松戸駅下車、さかい農園の際を通ってゆるやかな坂を上ってゆく。やがて道は、車のすれちがいができないほど狭くなったり、急な坂や階段が現れたりするが、ともかく国道6号線につながる市道の交差点に出る。2年前はまだ工事中だった市道、2012年9月に開通し、連休中だったためか、この日の車の往来は激しい。前回の訪問記は以下の記事、あわせてご参照ください。 http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2012/05/post-e122.html(2012年5月8日)
前にもお会いした「育む会」の武笠さんがすでに正門前で、入園者を待っていらした。私たちは、常時開放の「関さんの森―屋敷林」の方を先にと、しばらく森に沿って歩き、入口の階段をのぼる。起伏のある鬱蒼とした雑木林を進むと、2月14日の大雪でだいぶ折れた枝や竹もあったらしく、そこここに片づけられていた。後に訪ねる関家の庭園を含めると、全部で1.5ヘクタールの広さという。湧水の池は決してきれいとは言えなかったが、ご近所の親子連れが何組か、ザリガニをとりに来ていて、時折、子どもらの歓声が、森に響いていた。
今日は、さらにこの森から6~7分ほどのところに、やはりかつて関家の所有だった「溜ノ上の森」があるという。途中、右手には、「花嶋さんのスダジイ」が見え始め、その一樹が何軒もの屋敷をまもるようにこんもりと辺りを睥睨しているようだった。「溜ノ上の森」は、広さから言うと、「関さんのの森」の三分の一くらいだそうだ。昔は、松も多かったらしいが、いまは竹林が広がり、そして、まさにタケノコ、若竹の季節。破竹の勢いというが、2~3mに伸びた「タケノコ」が、突然、目の前に現れて驚かされる。
スダジイ
そして再び、「関さんの森」に戻り、今度は関家の庭園を見学させていただく。梅林の梅の実は、大きいものはすでにほんのり色づき始めていた。この、広大な緑地を開発から守り続けた関家のご姉妹にもお会いすることができた。そしてのんびりお昼寝中の猫たちにも。
雑蔵の裏手、アジサイの道になるそうだ。いまは古文書が保管されている。3.11以降、燃すに燃せない薪と。
1964年、関家の敷地を通る都市計画道路が決定したが、先代の関武夫氏が、周辺の都市化によって失われてゆく自然を守りたいという願いから、関家の屋敷林と畑を「子どもの森」「子どもの広場」として市民に開放したのが1967年。1994年、氏の死去後は、その多くを環境保護団体に寄付、1996年には「育む会」が誕生、屋敷林の維持管理とともに、松戸市との道路計画変更協議を重ね、関家とも2009年に合意、翌年着工の運びのなったという経緯がある。
天気にも恵まれ、のんびりと森林浴を楽しんだ、みどりの日となった。
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