« 新緑の歴博へ、企画展「歴史にみる震災」はこれでよかったのか(2) | トップページ | 鉄線、いっきに花開きました »

2014年5月 3日 (土)

新緑の歴博へ、企画展「歴史にみる震災」はこれでよかったのか(3)

常設展第6展示室(現代)を大急ぎで

たしか、23年前に、沖縄戦における「集団自決」の解説文のなかで、「軍の関与の有無」が問題となってクレームが付き、軍の関与がなかったような曖昧な表現に修正したとのニュースが思い出された。事前に調べてくればよかったと思いながらの入室。「現代」というのは、1931年満州事変からの「戦争の時代」、1945年から7年間の「占領の時代」、1955年を起点とする「高度経済成長の時代」となった1970年代までを対象とするらしい。大きく「戦争と平和」「戦後の生活革命」の2部構成をとる。展示目録もないし、カタログもなく、A44頁のリーフレットが用意されているだけだった。この部屋のコンセプトは「現代史研究の現段階における総括であると共に、その新たな出発でもあります」ということだが、1970年代までという発想に、ここでも私は戸惑ってしまった。

企画展で直近の大震災を対象としなかったこと、常設展「現代」で1980年代以降の総括を対象外にしてしまうこととは共通している点があろう。歴史研究者は、どこまで用心深いのだろうか。研究上の慎重さは大事だが、研究にゴールはないのだから、成果の発信は、つねに「現段階」でしかないのではないか。

歴博のある佐倉城址は佐倉歩兵連隊の跡地でもあり、数年前の企画展「佐倉連隊にみる戦争の時代」(200674日~93日)の実績があるので、「兵士の誕生」「銃後の生活」では臨場感のある資料やものが展示されていた(下記ブログ記事参照)。 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/sakurarenntai.pdf 

 2006年当時の当ブログにおける訪問記事です。

 

市役所の隣にある海隣寺は日清戦争時、「清国捕虜清国厰舎」に充てられていた当時の写真の看板が下げられる門柱に、いまの佇まいを重ねた。三八歩兵銃は、1.28m、3.95キロで、手にすることができるようになっているが、これを持っての行軍の過酷さを知る。連隊の除隊記念の塗り物のお盆には「軽き身に重き務を恙なく果して帰る今日の嬉しさ」の短歌が書かれていたりする。

問題の「集団自決」は、「大量殺戮の時代―沖縄戦と原爆投下」のコーナーに展示されていた。帰宅後調べてみると、説明文は、以下のような変遷をたどっていることがわかった。マーカーは筆者によるが、この箇所の違いに着目してほしい。

 

①「集団自決」 (未定稿~201038日の新聞報道によってあきらかになった)

 沖縄戦の犠牲者のなかには、戦闘ばかりではなく、「自決」による死者も含まれている。米軍の上陸後、住民たちのなかにはガマ(自然洞窟)のなかに非難した人びとがいた。そして、米軍からの投降の呼びかけを前に、集団自決をはかった人びとが数多くいた。その背景には、住民への軍国主義教育や、軍人からの指示や命令など、住民の意思決定を左右する戦時下のさまざまな要因があった。 

 

 「戦場の民間人」 2010316日開室時~201012月)

沖縄戦では生活の場が戦場になった。とりわけ米軍の上陸後は、住居や村を追われて避難する人びとも多かった。 激しい戦闘で多くの人びとが生命を落としたほか、犠牲者のなかには、戦闘ばかりでなく、「集団自決」に追い込まれた人びともいた。 

③「集団自決」(201115日~)

沖縄戦の犠牲者のなかには、戦闘ばかりでなく、「集団自決」による死者がふくまれていた。米軍の上陸後、住民たちはガマ(自然洞窟)などに避難した。そして投降を促す米軍からの呼びかけを前に「集団自決」を図った人びとが数多くいた。その背景には、米軍に対する住民の恐怖心のほか、日本軍により軍民の一体化が押し進められたなかで、米軍に投降すべきでないとの観念が一般にも浸透したこと、そして手りゅう弾の配布に示される軍人の指示など、住民の意思決定を左右する沖縄特有のさまざまな要因があった。

*①②については、当時の新聞記事などの写真から書き起こしたが、③については、会場でメモも取っていなかったため、桜チャンネルの一画面から、書き写した。

 

①から②への変更の経緯について、歴博からの説明によれば、1)大江健三郎・岩波書店『沖縄ノート』他のケースが訴訟継続中であったこと 2)文字資料から検証できるレベルのものに留め、軍の関与をぼかす文章にした、とある。②から③への変更については、歴博内外の研究者たちによりリニューアル委員会の検討の結果であるとする。③では①と較べる、と軍の関与を示す「命令」の文字が消えている。その点について歴博側は、沖縄戦体験者の証言映像や集団自決体験者の証言を補充資料として会場での公開閲覧に供していることを言明している。会場を訪れた入館者への伝達方法として、どれほど有効なのか。じっくりと時間を取れる場合や特別の関心がある人は別にして、やはりパネルの解説文というのは、重要なのではないか。

20058月大阪地裁に元沖縄戦指揮官らにより大江らは『沖縄ノート』が記す集団自決命令はなかった、と名誉棄損で提訴された。2008328日に第一審判決では「自決命令それ自体まで認定することには躊躇を禁じ得ない 」とする一方、「大江の記述には合理的な根拠があり、本件各書籍の発行時に大江健三郎等は(命令をしたことを)真実と信じる相当の理由があったと言える」として、原告の請求を棄却、大阪高裁も20081031日に地裁判決を支持、控訴を棄却、2011421日、最高裁第一小法廷は上告を棄却している。

歴博訪問は、丸一日かけても、全部は回り切れない。また一度、常設展は見に行かねばと思っている。

Gedc3436

歴博隣接のくらしの植物園入り口、ヒマラヤスギと

散り急ぐ八重桜

Gedc3440

歴博から京成佐倉へ、帰りは徒歩で。

佐倉城址、外濠の沿って

|

« 新緑の歴博へ、企画展「歴史にみる震災」はこれでよかったのか(2) | トップページ | 鉄線、いっきに花開きました »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 新緑の歴博へ、企画展「歴史にみる震災」はこれでよかったのか(2) | トップページ | 鉄線、いっきに花開きました »